第49話 命を狩る魔性との戦い


 ――――幸が書院でライズと対峙していた頃。


 エリシナは王城に漂う陰気な『ソ』を頼りに、騒ぎの元を探していた。


 幸ほどハッキリと『ソ』を認識できるわけではないが、足跡のように続く『ソ』はエリシナでも肉眼で確認できた。


 まるでわざと痕跡を残しているような――


 どこかで感じたことのある『ソ』に一抹の不安を抱えながら、エリシナは階段を駆け上がる。


 途中で兵士の群れに遭遇するもの、彼らもまた現状を把握している様子ではなかった。


 そして『ソ』をひたすら追いかけて辿りついたのは王座の間。


 普段なら王の許可なく立ち入ることの出来ない場所であるにもかかわらず、そこは兵士でごった返していた。


 中には滅多と人前に姿を現さない王宮の魔術師さえいた。

 

 次第に濃くなる『ソ』に嫌な予感を覚えたエリシナは、人混みを強引にかきわけて王座の間に近づく。


「ちょっとどきなさい! 私を誰だと思ってるのよ!」


 焦れたエリシナが声を上げると、兵士達が二手に割れて道を開いた。見通しが良くなった廊下――王座の間へと繋がる入口に、ゲインの背中が見えた。


「ゲイン!」


 行動派のゲインが珍しく、難しい顔で待機していた。その背中に声をかければ、眉間を寄せた顔がエリシナを振り返る。


「エリシナ。もう視察から帰ってたのか」


「ええ。コウくんのことが心配で、無理言って切り上げさせてもらったのよ」


「過保護だな」


「それより、この騒ぎは何?」


 エリシナが訊ねると、ゲインは困惑気味に頭を掻く。


「王座を見ろよ」


 エリシナは片眼鏡モノクルを上げて、目に『ソ』を込める。


 五十歩ほど先では、王座を囲んで上位の兵士や魔術師が何やら騒ぎ立てていた。


 目を凝らしてしばらく眺めていると――


 ふいに一人の少女が、兵士の輪をするりと抜けだすのが見えた。


 その顔を見るなり、エリシナは片眼鏡を落としそうになる。



「――どうしてアカルミハエイがあそこにいるの?」


 

 確かにそれはアカルミハエイの姿をしていた。といっても、普段の小さな姿とは違い、人の大きさで妖艶な真黒のドレスを纏っている。

 

 兵士達がいっせいに追いかけると、彼女は踊るように彼らをかわした。背中にある羽で時折飛ぶような仕草を見せるもの、空を舞うことはなかった。


 余裕の表情で、ともに踊る相手を探すように笑顔を振りまいている。


 しかもアカルミハエイの身体には、常に陰気な『ソ』がまとわりついていた。


 触れることをためらうような毒を吐き散らして、それは踊っていた。


 その毒々しい『ソ』はエリシナだけでなく、他の魔術師達にも見えているのだろう。


 魔術師達は、アカルミハエイに直接触れないよう注意喚起していた。 


 さすがは王宮の魔術師。彼らの見解は正しいとエリシナは思う。


 強烈なその『ソ』に触れれば、エリシナも決して無事では済まないに違いない。


 以前エリシナを燃やした炎ほど強い熱ではないが、あきらかに質の違う『ソ』だった。


「あれはお前んとこの魔術か?」


 ゲインが探るような目で訊ねる。


 エリシナは知らないと言いたいところだが、目の前で踊る魔性が偽物だと言い切ることもできず、視線をゲインから外した。

 

「わからないわ。ベスカルテ大佐なら、この場所からでも見破ることができるけど……そういえば最近、姿を見ないわね」


「大佐はミリア殿下とともに外交で不在だ」


「そう……困ったわ」


「あの魔術に心当たりがあるんだな?」


「ええ。だけど……アカルミハエイはコウくんに懐いていたもの。それにあんな禍々しい『ソ』を振りまくような子じゃないわ」


「じゃあ、あれは――その『アカルミハエイ』とやらの姿を借りた『何か』か」


「その可能性はあるし、アカルミハエイの質が捻じ曲げられている可能性もあるわね。でも、あれはどう見たってアカルミハエイなのよね」


「だったら俺が、少しつついてやろうか?」


「そうね。お願いしようかしら」


 ゲインが不敵に笑うと、エリシナもつられるようにして笑う。


 だが次の瞬間、悲鳴と怒声が洪水のように王座の間から溢れた。


 黒い『アカルミハイ』がとうとう人に手を出したらしい。


 エリシナは慌てて王座の間に足を踏み入れる――――が。



「いい人みっけ」



 気づけば、アカルミハエイの顔が触れそうなほど近くにあった。


 心臓がビクリと跳ねて、思わず固まりかけたエリシナだが。ゲインに腕を引かれて倒れるようにしてアカルミハエイから身を引いた。


 途端、エリシナがいた場所に黒い靄が渦巻く。


 もう少しでアカルミハエイの『ソ』に飲み込まれるところだった。


 ゲインはエリシナを背中にかばいながら、アカルミハエイを睨みつける。


「おじさん、そこの人ちょうだい。もっともっと『ソ』が必要なの。こんなんじゃ足りないわ」


 アカルミハエイは持っていた兵士の腕を甘噛みして捨てた。


 エリシナはゾッとして遠くを見れば――王座を囲んでいた兵士や魔術師達が、落ち葉のように床に積もっている。


 エリシナが固唾をのむ中、アカルミハエイは恍惚とした表情で唇をなめる。


「あなたは、なんなの?」


 エリシナが訊ねると、その魔性はクスクスと笑い、口を開いた――かと思えば。


 アカルミハエイの赤い口腔がエリシナに向かった。


 エリシナは咄嗟に避けながら、アカルミハエイの名を逆さに呼ぶ。


 だが焔の書は戻らず。魔性は執拗にエリシナを追いかける。


 ――――が、


「――きゃッ」


 転がっていた兵士の腕に足を取られたエリシナ。


 魔性は飛ぶようにしてエリシナに接近する。


 エリシナの眼前で、魔性の口が大きく開かれた――その時。


 ゲインの頭が視界に割り込み――その太い首筋に、魔性が牙をむいた。

 

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