第45話 イーブンな晒しあい

「コウくん、あなたには聞きたいことがあるのだけど」


 決して王以外の色を纏わないはずの王樹。


 だが幸の居る場所に限ってその亜種は存在した。


 書院の窓から見えた青い木を、魔術で燃やしたエリシナは、厳しい表情で書庫に戻るなり幸を睨みつける。


 説明しないといけない。そう頭では思っても、エリシナの剣呑な目に圧されて、幸は自然と及び腰になった。


 国王に青い葉を見られた時は、衝撃でしかなかった。


 エゼルノワーズが見ないふりを決めてくれたおかげだろう。


 自分の足元を脅かす存在にもかかわらず、彼は黙認した。だから幸も、なかったことに出来ると思っていたのかもしれない。


 だがエリシナのほうは見過ごしてくれそうになかった。

 

 初めて青い葉についてまともに問い詰められて、幸は自分という存在の危うさを考えさせられる。


 それほどに、エリシナの『ソ』は乱れていた。


 幸は自分の掌が震えていることに気づく。


 今の幸が一番おそろしいのは、不穏分子として扱われることよりも――アリシドのように、期待されることだった。


 アリシドが命を賭けて守ろうとしたのは、幸ではなく青い葉だ。


 たとえ青い葉を咲かせた責任が幸にあったとしても、これ以上他人の命を背負う自信などなかった。


 幸はなりたくて、誰かの希望になったわけではない。


 幸が不安を堪えるようにして俯いていると、そのうちエリシナは溜め息をついて、幸に歩み寄る。


 エリシナが近づくと、殴られるような錯覚を覚えて咄嗟に目を瞑るもの。


 予想外にも、幸はふわりと柔らかい温もりに包まれる。

 

「……ごめんなさい。私が悪かったわ。あなたを追い詰めたかったわけじゃないの。そんなに怖がらなくていいのよ」


 エリシナに頭を抱えるようにして抱きしめられて、幸は動揺し頭が真っ白になる。


 だが我に返った時、急に気恥かしくなって思わずエリシナの肩を押し返せば、彼女は苦笑する。


「ごめんなさい。その見た目のせいで……つい子供扱いしてしまうわ」


「……すみません。動揺しすぎました。エリシナさんはアリシドの婚約者だから――やはりきちんと話すべきでした」


 隠すつもりはなかったが、出来れば知られたくないというのが本音だった。


 たとえ一度許されても、幸がエリシナに憎まれる存在であることには違いない。


 アリシドに願いを託された以上、罪は償うべきだと思う反面、エリシナには穏やかに過ごして欲しいという気持ちもある。だから言えなかった。


 エリシナは書院の隅にある円いテーブルにお茶菓子を用意して、幸を座らせた。


 幸を落ち着かせたいというより、自分が落ち着きたいのだろう。エリシナはカップの茶をわずかに含んで、静かに息を吐いた。


「……それで、窓の外に現れた青い葉――あれをアリシドも見たのね?」


 穏やかな口調で問われ、幸は躊躇ためらいがちに頷く。


「……はい。初めて青い葉の意味を指摘したのが……アリシドでした。あれを見て、アリシドは俺を生かそうと――」


「なるほど。あの人の考えそうなことだわ。本当は聞くつもりなかったのだけど……あれを見てしまった以上、知らないわけにはいかないわ。だからお願い、アリシドが死んだ経緯を――いえ、あなたがどうやってあの人と出会い、そしてあの人がどんな風に死を迎えたのかを教えてほしい。これは老師としての命令ではなく、私からのお願い」


 エリシナはテーブルの上にある幸の手を握る。


 その手はまるで泣きそうに震えている。


 本当はずっとアリシドのことを聞きたかったに違いない。


 エリシナのことを思えば、もう逃げようなどとも思えず。幸は黙って頷いた。


 たとえエリシナにとって優しくない現実でも、アリシドのことを知る権利を幸が奪うわけにはいかなかった。


 幸が承知すると、エリシナはやや瞼を伏せて告げる。


「……ありがとう。きっとアリシドはあなたに多くのものを背負わせているのね。見てればわかるわ――だけどきっと、私ならその荷を軽くすることができると思うの。――たとえあなたが、こことは異なる世界からやって来た人間だったとしても」


 幸は呼吸を忘れて瞠目する。


 おそらく一生耳にすることはないと思っていた、『異世界』という言葉を聞いた瞬間、思わず椅子を倒して立ち上がっていた。


「どうして……エリシナさんは俺のことを……?」


「あなたにアリシドの話をさせる以上、私もフェアになりたいから話すけど。実はあなたが熱を出して倒れた時、密かにあなたの『ソ』を調べさせてもらったのよ。そして、あなたの『ソ』がここではないどこかの世界から来た存在なのだと教えてくれたわ」


「俺の『ソ』が?」


「そう。誰かが残したメッセージね。あなたの素性がわかるように、人為的につけられた『ソ』よ」


「そんな……一体だれが……? まさか、ベルディが……?」


「ベルディ?」


「俺をこの世界に放り込んだ人です」


「……あなたの世界の人?」


「よくわかりません。彼女に出会ってから、今もまだ夢の続きのように思えて」


「私もいまだに信じられないくらいだから、あなたはもっと混乱してるわよね。じゃあ、あなたの世界に、異世界を行き交う術があるわけではないのね?」


「そんなものありません。魔術なんてない世界から来ましたから」


「そう。なんだか納得だわ」


「納得、ですか?」


「だってあなたは、魔術を恐ろしいものだと認識していないもの」


「魔術は怖いと思います」


「あなたの思う『怖い』は、きっと私たち少し違うわ。……なんて言えばいいのかしら。この世界の人間は、本能的に魔術を畏れているのよ。魔術を知らない者にとって、魔術師はいわば未知の化け物ね。だけどあなたの恐怖は……まるで『火器かき』に対するものだわ。扱いを間違えれば怪我をする。だけど使いこなせばいい。ああ――だから私はあなたに危機感を持っていたのね」


「……今の俺に必要な危機感……ですか」


「いいわ。そのことはおいおい、考えましょう。それより、私は自分の手の内を晒したわ。今度はあなたの番よ」


 エリシナは幸にクッキーのひとつを渡した。


 幸はそれを受け取って、アリシドと出会った経緯、そしてアリシドが亡くなった顛末を洗いざらい喋るが――だが語り終える前に、エリシナはその場で泣き崩れたのだった。

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