第40話 嫌とは言えない

***



「オイ、お前。陛下に何か失礼なことはしてないだろうな」


 夜の幕を閉じるように、かすみを漂わせる王城の朝。


 書院の掃除に向かう途中で、幸は当然のように呼び止められた。


 もちろん、城の人間から遠巻きに扱われている幸に対して、堂々と話しかけてくる人間は一人しかいない。


「ライズ……さん。今日は魔術学校は休みですよね。なんの用ですか?」


「大尉の躾けがなってないな。不遜な態度は慎め、下民」


「ゲインでもゲミンでも構わないので、あとにしてもらえませんか? 今日は陛下直々に頼まれた用事があって、すぐに行かないといけないので」


 今日もエリシナはいないが、エゼルノワーズに指摘された青い葉を、アカルミハエイの力で燃やすつもりだった。


 青い葉は書院に来る者でなければ気づかない場所にあるもの、やるなら早いほうが良い。


 幸はなんとか誤魔化して去ろうとするもの――背中を掴まれて転倒しかけた。


 振り向けば、ライズが何か企むような顔で笑っている。幸はゾッとして去ろうとするもの、少年は幸の背中を決して離さなかった。


「よし、俺が手伝ってやろう」


「――はあ!?」


「お前に出来ることで、この俺に出来ないわけがないだろう? 俺様は魔術学校の首席なんだぞ」


「いや、そういう問題では――」


「なんだ。俺が居て不都合なことでもあるのか?」


「……そう、でもないですが……」


 幸がしどろもどろ答える。


 さまざまな人間を混乱させている青い葉を、ライズに見せるわけにはいかない。


 だがゲイン同様、他人の話を聞かないライズは、自分より大きな幸の背中を掴んだまま歩き始める。


「待ってください、俺は――」


「用事は書院だろう? ちょうどいい。俺は魔術実習のために、本を借りる予定だったんだ」


「だけど今は、エリシナさんがいないから貸し出しはできない――ですけど」


「老師エリシナにはすでに許可を取ってある。老師が視察に行く前に許可を取りつけておいたんだ。だから俺が書院に入ったところで、問題にはならんぞ。――残念だったな」


「……マジか……」


「わかったなら――お前の仕事とやらを手伝ってやるから、陛下と何を話したのか教えろ」


「レイエン……さんは、今日は一緒じゃないんですか?」


「は? レイエン? 今日は魔術学校が休みだからな。あいつならいないぞ――お前まさか、レイエンみたいなのが好みなのか?」


「…………違う」


 レイエンが見れば『穢れが移る』と言って、ライズを遠ざけてもらえた。


 だが彼女がいなければ、唯我独尊ライズを止められる者はおらず。


「よしわかった。今度俺が仲介してやる。だから陛下とのことを聞かせろよ」


「仲介とか絶対にいらん! じゃなくて、いりません! だから離してください」


「着いたぞ」


 抵抗も虚しく、幸は書院へと連れて行かれた。


 しかも魔術書が必要だと言う以上、ライズを入れないわけにはいなかない。


 幸は悩んだ末、「掃除をするから少しだけ待ってください」と言ってみる。


 しかし、


「掃除? だったから、中で待ってやるよ。書院の前に居るところを誰かに見られでもしたら、俺の名誉が著しく傷つくからな」


「は?」


「お前のような下賤の民に待たされている姿を見られたら、大恥だ。中で待たせろ」


「……では、入口のところにでも居てください。すぐに済ませます」


 走り始めたライズの止め方を知らない幸は、半ばヤケになって鍵に触れた。


 ――が、次の瞬間。幸の手に、どろどろとした『ソ』の残骸がまとわりつくのを感じた。


 重厚な扉にぶらさがった知恵の輪から漂う異様な『ソ』に、幸は大きく見開く。


「……なんだこれ?」


「どうした? お前、こんな鍵も開けられないのか?」


「ちょっと、触らないでください――」


 幸が止めるのも聞かず、ライズは書院の鍵に触れた。


 ライズはいつになく真剣な顔つきで、瞬く間に知恵の輪を外すと、幸よりも手際よく開錠した。


「嘘だろ……?」


「老師エリシナに以前、開け方を教えてもらった。俺は魔術学校の代表としてここにはよく来るからな。今まではお前のようなやつもいなかったから、俺が直接借りに来ていたんだ」


「――そうか。て、あれ?」


「どうした?」


「……いや、なんでもない」


 気づけば、鍵にまとわりついていた誰かの『ソ』が消えていた。


 ライズと幸の『ソ』にかき消されてしまったのかもしれない。


 幸は嫌な予感を覚えながらも、ライズに急かされて書院の中へと進んだ。




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