第39話 偽れない色、蠢く脅威


「――な、何をするんですか。怖いですね」


 幸は強く波打つ心臓を抑えて、エゼルノワーズを見あげた。


 相手が本気ではないとわかっていても、おそろしかった。


 殺気が薄い分、ゲインよりもずっとかわしにくい。


 ゲインに鍛えられていなければ、おそらくまともに食らっていたに違いない。


 それでも幸は平静を装って笑うと、エゼルノワーズは短剣を自らの手で拾いあげる。


「お前は食えないやつだな」


 本当は余裕など無かったが、エゼルノワーズにはそうは見えないらしく。


 いかにも楽しげな顔で見返してきたが、礼儀正しい彼はそれ以上ことを大きくする様子もなく、短剣を懐に収めた。


 ゲインよりもよほど常識人だった。


「書院内で争うつもりはない」とのことだが――今が書院内で本当に助かった。


 エゼルノワーズは幸をしばらく凝視したあと、カウンターにもたれかかり、光差す書院の奥を見つめた。


 さすが国王になる器というべきか。その横顔からエゼルノワーズの考えを察することは、幸にさえ出来なかったが――彼は憂いに満ちた顔で溜め息を落としたあと、呟くように告げた。

 

「……もし、裏切り者に仕えなければならないとしたら――お前はどうする?」


 突然だった。


 幸を試すような言葉。『ソ』でその真意を測ることはできないもの、幸は素直に心にとめて答える。


「それは、身近な人間が自分を裏切る――ということですか?」


「己や、己を取り巻く全ての人間を裏切った人間を、だ」


「そうですね……もし、仮にゲインが俺やエリシナさんを裏切ったとして、なおかつゲインの下僕として仕えることになったとしたら――俺なら逃げますね」


「逃げられない呪いがあるのだとしたらどうする? 裏切り者をこの手で八つ裂きにしたいとは思わぬか?」


「逃げられない……なら、どうしようもないですね。八つ裂きは……できないかもしれない。裏切り者が友人なら、そう簡単には行かないですよ」


 裏切りと言われて、真っ先に浮かんだのはアリシドのこと。


 友人と呼ぶにはつきあいは浅いが、『殺し合い』という異常な状況下で、彼は幸の兄となり、父となり、友となってくれた。


 そんな彼が裏切ることは想定内だったにせよ、幸はアリシドを殺そうなどとは思わなかった。


『裏切りに対しての復讐』という考え方にメリットが見出せないのだ。


 確かに今現在、グインハルムに対して嫌悪はあるもの、だからといって貶めたいなどとは思わない。


 怒りにまかせて人を殺せるほど、幸は衝動的ではない。それもまた、母国で培われた倫理観だ。こちらの世界の人間からすれば、おかしな考えなのかもしれないが、根付いたものを覆すのは難しい。


 幸がその気持ちをどう説明するか悩んでいると、エゼルノワーズはふっと息を吐くように笑った。


「お前は――力を持つ者であっても、我とは違うな」


「それはどういう意味ですか?」


「お前にもし、王位を継ぐ権利がまわってきたならば、どうする?」


「今度はいったい何の話ですか? 『もしも』ばかりですね」


「仮に、だ。お前が王族で、王位継承権があるのだとしたら――どうする? 我を殺すか?」


「また、とんでもないご冗談を。俺なんかにそんな可能性なんて微塵もないですし、想像することもできません」


「微塵も?」


 エゼルノワーズは自嘲し、ゆっくりと窓の外を指さした。


「お前が平穏を望むならば、あれを燃やせ」


「は? 何を――」


 幸は笑いながら窓の外を見て、絶句した。


 書院の外は溢れんばかりに桃色の葉が盛っていたが、書院に一番近い大木だけが、うっすら青く色づいている。


 幸の額に汗が滲んだ。


 アリシドが歓喜し、命を捧げられるほどの奇跡が再びそこにあった。


 だが国王にとっては――。


「な……なんであんな色が……」


 幸は動揺のあまり、自分を取り繕うことすらできず。心臓を吐いてしまいそうなほど緊張で震えた。


 幸はうかがうようにエゼルノワーズの顔を盗み見る。だが意外にも、彼に負の感情はなかった。


 エゼルノワーズは強い眼差しで青い葉を見据えて言った。


「ベアリスはあれを見たのか?」


 その問いに答えようとして、幸は息をのむ。


 見せていない――そう言おうとしたところで、思い出す。


 幸が初めてベアリスと会った時のことを。


 青い葉をまるで自分の子供のように愛おしそうに触れる姿。


 逃げることで精いっぱいだった幸は、その時は気にもしなかった。

 

 そして咄嗟に目を反らした幸を見て、その意を悟ったエゼルノワーズは「そうか」とだけ言って眉間を寄せる。


「だからアレは、お前に興味を持ったのか」


 エゼルノワーズの呟きは、書院内で重く響いた。




***




 突然「帰る」と言い出したエゼルノワーズを、幸が送り届けている間。


 偽アカルミハエイは、書院の天井をふわふわと浮かんでいた。


 仕事を終えたアカルミハエイは、まるで人形のように虚ろな目をしている。


 国王の前で役割を終えて、ただの人形と化したのは確かだった。


 だが彼女を本当に必要としていたのは、幸や国王ではなかった。


 静かな書院に現れたのは、一人の少女。誰も開錠できないはずの書院に、容易く侵入した少女は、天井に向かって声をかける。


 すると、偽アカルミハエイはカウンターに着地して、侵入者を見あげた。


「――で、どうだったのかしら」


 黒の法衣で闇に紛れた少女が訊ねると、まがいものは国王陛下や幸の声を真似て喋り始める。彼女は、書院で見たこと、聞いたことを残らず語った。


「……青い葉、ね。良いことを聞いたわ」


 少女は陰気な顔で笑うと、アカルミハエイの体を手で裂く。


 すると小さな体はまるで紙切れのように千切れて霧散した。


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