第36話 異色の存在


 王城で暮らすようになってから、これほど緊張したことはなかった。


 廊下を行き交う人間が倒れるように伏せてゆくさまを、幸は気まずい顔で見おろしていた。


 召使いから武人から貴族まで。頭をさげるのは、無論、隣に国王がいるためだ。

 

 ただでさえ国王の赤髪は珍しい。さらに幸がそばにいることによって、余計に目立つことこの上ないだろう。


 幸がアリシドではないことは、すでに周知の事実だが、ゲインの養子になった今でも、幸を敵視する風潮は変わらず。


 いちど排他的な空気に巻き込まれてしまうと、馴染むのは至難だった。


 ゲインが国王に挨拶しろと言ったのは、王城内で蔑視される幸をなんとかしたかったのかもしれない。


 だがそう簡単にはいかず。今も国王と暴徒コウが仲良く歩いているように見えるらしく、奇妙な緊張感が続いている。

 

 通りすぎた人塊の中には、ライズやレイエンの姿もあったが、いつも騒がしい彼らも国王の前では大人しかった。


 不気味なほど静かにこうべを垂れているのを見て、幸は気味が悪いとさえ思う。


 ライズとは次に会う時のことを思うとうんざりするが、国王を書院に連れてゆくよりは、ライズの長話を聞いたほうがよほど気楽だった。



 

 宮廷書院に辿りつくと、幸は首にかけていた鍵を手に取る。


 本来、書院の鍵は老師が持つものだが、掃除のために今日は偶然あずかっていた。


 いっそ鍵を持っていなければ国王を入れずに済んだかと思うと、自分に責任があるような気もする。

 

 だが日を改めてと言われても、それはそれで――国王に便乗して見学したいという人間が現れても困るので、嫌なことは早く済ませてしまうに限るのかもしれない。


 そんなことを考えながら、幸は知恵の輪のような複雑な鍵を手際よく開けた。


 エゼルノワーズを入れる前に、まずは幸が書院を確認する。


 するといきなりアカルミハエイと目があってしまい、幸は顔をしかめた。


「コウ! また来たの? ねぇねぇ、また人の姿に――」


 手のひらサイズのアカルミハエイが寄ってきた瞬間、幸は勢いよくドアを閉める。


 いつもなら本に戻って休んでいる時間なのだが、運悪くアカルミハエイが起きていた。


 人の姿になったせいで気がたかぶっているのかもしれない。


 幸は引きつった笑顔でエゼルノワールと向き合う。


「陛下、申し訳ありません――虫がいたんで、ちょっと掃除してもいいですか?」


「虫くらい構わぬ」


「いえ、それではエリシナさんに俺が叱られますので、掃除させてください! 陛下には美しい書院を見ていただきたいんです!」


「――ならば、五分やろう」


「ありがとうございます」


 幸は国王を置いて慌てて書院に入る。頭上で飛び回るアカルミハエイはまさしく虫のようだった。今すぐに叩き落としたい気持ちに駆られるが、幸は自分を抑えてアカルミハエイを呼んだ。


「――おい、ちょっと話がある」


「なになに?」


 幸が手招きすると、アカルミハエイは嬉しそうに寄ってくる。幸は誰もいないカウンターの下に隠れてアカルミハエイに小さく告げる。


「今、国王陛下が来ているんだ。ちょっとの間だけ大人しくしてくれないか?」


「やだ、すごいじゃない。お茶でも出したほうがいい?」


「余計なことをするなと言ってるんだ」


「でもここに来たってことは、魔術を見に来たんじゃないの? 期待に応えないとダメじゃない?」


「大丈夫だ。誰もそんな期待はしていない。とりあえず、じっとしてくれればいい。今後の俺の立場がお前にかかっているかもしれないんだ――たぶん」


「ふーん。よくわからないけど……。じゃあ、今度は町に降りてみたいな」


「…………わかった。ついでになんか買ってやるから」


「え? ほんと? なら張り切って大人しくする!」


「張り切らなくていいから、頼む――アイ」


 ひと通り話し終えたところで、幸が国王を呼びに行こうとした矢先。


 身を翻した幸の背中でドサリと重いものが落ちるような音がした。幸はまさかと思いながら、青ざめた顔でゆっくりと振り返る。


「あれ? コウ、また人のカタチになっちゃった」


「最悪だ」


「――もう、入っても良いのか?」


 対策を練る間もなく、痺れを切らしたエゼルノワールは、自らドアを開けて入ってくる。


「げ」


 幸が凍りつく中、エゼルノワールと目が合ったアイは、清純な顔立ちを崩して愛嬌良く笑った。




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