第35話 嫌な予感しかしない
遙か彼方のように思える天井を、幸は背中を反らして見あげていた。その壮大さに、口は開きっぱなしだ。
初めて訪れた玉座の間は、賓客を迎える場所だけあって、グインハルムの権威を見せつけるような広さを誇っている。
仰々しい華やかさはないにせよ、大理石のようになめらかな床や柱は汚れひとつなく。澄みきった白で統一されたその場所は、さながら神殿のようだ。
神聖な空間に身を投じているような気分だった。
玉座の前にもかかわらず、国王そっちのけで部屋を見物していた幸は――そのうちゲインにゲンコツを落とされる。
「――ッて」
「お前、ここに来た意味をわかってんのか?」
「――ああ、そうだった」
我に返った幸は、
高い椅子に座る国王の側には、珍しく騎士姫ベアリスの姿はない。それどころか、側近らしき人間の姿は一人も見当たらず。
足を組んでゆったりと座る国王は、いつになく伸び伸びとした姿をしていた。
幸がようやく礼節をわきまえると、国王はいたって真面目な顔で告げた。
「お前ら、何しに来た?」
その一言に、幸とゲインは思わず顔を見合わせる。
「……いや、何しに来たと言われても……」
幸が
「『殺し合い』を生き残ったこの子供が、我がグラッカス家に加わったご報告と――それでこの
「いらぬ」
ゲインが必死で似合わない言葉を扱うもの、エゼルノワーズは真面目な顔のまま、ゲインの努力をばっさり斬った。
その瞬間、周囲に控えていた兵士や召使い達の顔が凍りつく。
他の部屋から完全に隔離されている謁見の間は、無駄な音がほとんど聞こえない。おかげで国王の声は皆に筒抜けだった。
国王のあからさまなヤル気のなさに、呆れたゲインは「せめて」と続ける。
「陛下、こいつは魔術書院を担う人材です。顔だけでも覚えてもらえると助かる」
ゲインが溜め息混じりに言うと、エゼルノワールは頷く。
「顔なら覚えておる。それより――――コウ、と言ったか?」
「は、はい」
『殺し合い』の直後は、怒りなどの感情もあって身分などを気にすることもなかったが――王城で働き始めて一ヵ月。
さすがに自分の立ち位置を理解するようになった幸は、緊張を募らせる。
相手は一国の主。巨大な玉座にのんびりと座ってはいるが、隙のない身のこなしに、嫌でも身に沁みる威圧感。
ゲインやエリシナとは格の違う『ソ』が滲み出ていた。
これが生まれながらの王様か――などと、幸は納得する。
恐怖を植え付けられた相手に対して
アリシドのことは決して忘れたわけではない。
だがあれだけ殺伐とした気持ちだったにもかかわらず、いつの間にか国王を落ち着いて観察できるようになった幸は、冷静に次の言葉を待った。
「お前、今は暇か?」
「は?」
「今は暇なのかと聞いておる」
「……そうです、ね。エリシナさんが急用で出かけたので、今日はもう、部屋に戻っていいと言われました……」
「ならば我を書院に案内しろ。我もお前が使った魔術とやらを見てみたい」
「は? どこからその話を――」
「ベアリスから聞いた。お前は“アカルミハエイ”という大魔術を呼びだしたそうだな」
悪戯を企む猫のように目を光らせて言うエゼルノワールに、幸は目をむいた。
隣のゲインは「やられたな」と舌打ちする。
「コウ、お前、女に弱いのをどうにかしろ」
「なんだよいきなり」
「エリシナ以外に気を許すんじゃねぇぞ」
ゲインに指摘され、幸が目を白黒させる中、エゼルノワールはマントを翻して立ち上がる。
「我の前で無様な
国王はマントと冠を置いて玉座を降りる。
召使い達が慌てて玉座を片付ける中、
有無を言わさず書院に行くつもりだ。
「――おいゲイン、いいのか?」
「いいも何も、陛下が行きたいと言っているんだ。案内してこい」
「俺一人で陛下の相手とか無理があるだろ」
「書院には、エリシナの許可がなければ入れない。国王は例外だが――お前も今後は肝に銘じることだな。部外者を容易く書院に入れるな。あそこは眠らせておくべき場所だ――」
「……そう言われて、追い出されたことがあるのか?」
「……昔の話だ」
「だったら、エリシナさんに陛下のことを伝えてくれるか?」
「あいつは書院の視察で明日まで戻らん」
「――そうだった。……ということは、陛下と二人きりか……」
「これも仕事だ。逃げようなんて思うなよ。たまには養父の顔も立てろ」
「了解……でもアカルミハイはまずいんだよな」
幸の力は隠すべきものだとエリシナには言われている。
だが国王相手にテキトウなことを言うわけにもいかず。幸は自分の能力についてどこまで話すべきかを考える。
だがそうこうするうちに国王の姿が見えなくなり、幸は慌てて国王のあとを追った。
「妙な気だけは起こすんじゃねぇぞ!」
遠ざかるゲインが意味深な言葉を投げるもの――しかし今の幸に余計なことを考える余裕などなく。
相変らず不気味なほど静かな空間で、幸の駆ける音だけが響いた。
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