第32話 因果関係


「ちょっとコウくん、いいかしら?」


「なんですか?」


 アカルミハエイの治療も無事に終了し、レイエンが立ち去った後。書院の片付けだけで日が暮れてしまった。

 

 ようやく元の書院に戻ったところで、エリシナは幸を呼びつけるが――開口一番、幸はエリシナに小気味よい音を立てて頬をはたかれる。


「――ッ」


「あなた、アカルミハエイを軽んじすぎだわ。相手が何で出来ているのかを、教えたばかりでしょう?」


「……す、すみません……でした」


 書院の片付けをしている間、ずっと黙っていたエリシナは軽蔑するような目で幸を見据える。


 まるで犯罪を咎めるように睨み据えられて、幸の頬が痛み以上の熱を持つ。


「私が話したことを聞くだけでも駄目、ノートに刻みつけたところで、あなたの心に刻まれなければ意味がないわ。あなたは無意識でも――その無意識が凶器になるの。何かが起こってからでは遅いのよ」


「……なんとなく、わかります」


「あなたはアカルミハエイという古代魔術を容易く解いた人間なのよ。ゲインよりも多くの武器を持ち歩いていることを――自覚しなくてはいけないわ」


「俺は……よくない人間なんですか?」


「『ソ』の使い方を間違えればね。あなたの手も、声も、耳も全てが武器。あなたはアカルミハエイよりも恐ろしい、生きた兵器も同然よ」


 エリシナに厳しい口調でたたみかけられ、幸は黙りこむ。


 だがエリシナの言葉はそれだけでは終わらなかった。

 

「書院を統括する老師エリシナの権限を持ってあなたに命ずるわ――今後は、あなたが書院外で言葉を必要以上に発することを禁じます」


「書院外で?」


「ええ。一番おそろしいのは、あなたの力が他者の目に触れること。とくに、国王陛下や他国からのお客様の前では絶対に使ってはダメ。たとえどんな状況であっても――自分が最も恐怖を生む存在なのだと、肝に銘じておきなさい」


 エリシナは言うだけ言って、背中を向けた。


 もともと王城内でほとんど喋る機会のない幸だが、いざ『喋るな』と言われれると、辛いものがあった。 


 だがアカルミハエイを危険に晒したことを思えば甘い処分だろう。


 下手をすれば、アカルミハエイが人を襲っていた可能性もある。それにアカルミハエイの命も危険に晒してしまったのだ。

 

 幸は何気なく使ってきた自分の能力を今更ながら恐ろしいものだと思う。


 生きるために必要としてきた力であって、決して他者に害を成すために発揮したかったわけではない。


 だがそれは幸が思っているだけで、他者にどう思われるかなどは、考えたこともなかった。

 

「……でも、どうしてアカルミハエイは、あんな姿になってしまったんですか?」


 幸が訊ねると、エリシナは何かを言いかけて口を噤んだ。


 そして少しの沈黙のあと――振り返り、言い難そうに告げる。


「……いい、コウくん? アカルミハエイの姿が変わったこと、誰にも言ってはダメよ」


 幸が頷くと、エリシナは躊躇いがちに告げる。


「……さっきのアカルミハエイの姿は……おそらく、あなたが組み替えた魔術よ。きっとあなたは、他者の魔術を作り変えることができるんだわ」 


「……もしかして、俺が『ハエ』って名付けたから?」


「そう。それと、あなたの思う『ハエ』にまつわる言葉を併せて使ったんじゃない?」


「ハエ? ――――あ、『五月蠅い』!」


「その言葉で、ハエの姿を確固たるものにしたのよ」


「だから『ハエ』はヤだって言ったの~」


 書棚で休んでいたアカルミハエイが、低空飛行で幸の元にやってくる。


 アカルミハエイはくたびれたサラリーマンのように顔をしかめて肩を叩きながら、幸の肩に座った。


「アカルミハエイ――大丈夫なのか?」


「あのくらいダイジョブよ。あたしの能力値よりも低い虫なんて、どうってことないわ」


 強気なことを言いながら、アカルミハエイは幸にもたれかかって溜め息を落とす。


 レイエンのおかげで見た目はすっかり元通りだが、まだ本調子ではないのだろう。


 幸がアカルミハエイを労わるように頭を撫でていると、エリシナはアカルミハエイを見て考え込んだあと――思いついたように言った。


「ねぇ、コウくん。アカルミハエイに新しい名前をつけてみて」


「え? さっきは、危険だって……」


「『アカルミハエイ』に『人間らしい名前』をつけてみなさい。もちろんアカルミハエイが人間のつもりでね」


「……人間」


「おおー! つけてつけて!」


「わかった、わかったから――しがみつくのはやめろ」


 幸はアカルミハエイを膝に置いて、腕を組んで考える。


 女の子の名前を必死で考える自分を、微妙に恥ずかしく思いながらも、迷惑をかけたからには覚悟を決めて、その名前を口にした。


「じゃあ、お前は『アイ』だ―――うわッ」


 幸が告げたと同時に、膝にいたアカルミハエイがみるみる重みを増して、幸に覆いかぶさる。


 柔らかいまま大きくなったアカルミハエイを見あげると、少し大人びた少女はご機嫌な顔で笑っていた。


「――アイだよ。よろしくねコウ」


 リアル少女の姿と化したアカルミハエイ――アイに、幸が頬ずりをされる中、なぜかエリシナは不機嫌そうに片眼鏡モノクルを何度も持ち上げていた。

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