第31話 生きた魔術の扱い


「気をつけて、コウくん! アカルミハエイの魔術のが全くの別物となっているわ!」


 巨大蠅ハエと化したアカルミハエイが複数の羽を、楽器のように震え合わせると、強烈な轟音で書院を揺らした。


 その凄まじい音の破壊力に、幸とエリシナは両手で耳を塞ぐ。


 防ぎきれない音だけで気が狂いそうになる中、アカルミハエイが幸に向かってくる。


 せっかく片付けた書棚がアカルミハエイが通ったと同時に崩れ、さらにカウンター窓をこじあけるようにして破壊される。


「ちょっと! 修復したばかりなのよ!」


 エリシナが耳を塞いだまま、怒声を放った後に、口早に何かを唱えた。


 アカルミハエイの羽音のせいで何を言っているのかはサッパリわからないが、雰囲気から察するに魔術だろう。


 幸が書棚の陰に隠れて見守っていれば、エリシナの手に弓矢が現れる。


 エリシナが弓を構える姿を見て、幸は慌ててエリシナの前に飛び出す。


「どきなさい! コウくん!」


「やめてください! あれはアカルミハエイですよ!」


「あれは魔術よ! 危険な姿と化した以上、アレが外に出たら混乱を招くわ!」


「他に方法はないんですか!」


「ここは人の目に触れてはいけない魔術庫よ! 書院の外に出れば、アカルミハエイが殺されるわ! 一刻も早くあの音をどうにかしないと――誰かが気づいてやってくる前に!」


「待ってくだ――」


 懸命に訴える幸の頬を、矢が過ぎる。

 

 直後、振動がピタリと止み――それにかわって、地響きのような悲鳴が響渡った。


 振り向けば、アカルミハエイの胴体に矢が刺さっている。


「――アカルミハエイ!」


 幸が叫ぶと、蠅はアカルミハエイの姿を取り戻した。


 力なく落ちるアカルミハエイを、幸はすかさず受け止める。


 エリシナの矢はアカルミハエイの胸を貫いていた。その小さな体から滴る水滴を手にして、幸の心臓が凍りつく。


「エリシナさん」


「一度、本に戻しましょう――幸くん、アカルミハエイを逆から唱えて」


「はい――――イ、エ、ハ、ミ、ル、カ、ア」


 幸が名前を逆から辿ると、アカルミハエイは分厚い書の姿に戻る。


 人の姿であれば痛々しく見えたものが、本だと多少気持ちが楽になった。


 無機物だからだろう。見た目が変われば、全くの別物に思える。


 だがそれは幸が以前の世界で得た先入観であって、実際は、思っているものとは違った。


「これは……急所をうまく突いちゃったみたいね――治癒の魔術が使える人を、呼ばないといけないわ」


「補修は出来ないんですか?」


「アカルミハエイは生きた魔術よ。文字通り、生きているのよ。魔術であっても、私やコウくんと同じよ」


「そんな――じゃあ、本に戻っても、樹液のりで補修するだけじゃ駄目なんですか?」


「そうよ。樹液のりで補修できるのは、書物うつわの老朽化だけ」


「じゃあ、アカルミハエイを治療できる人は、どこにいるんですか?」


「医務室……は、たぶん無理ね。あそこは、魔術は専門外だから。魔術は生き物であっても、人間ではないのよね」


「内科医と外科医が違うようなものですか?」


「動物と人間のお医者さんは違うでしょう?」


「なら誰に――」


「私がなんとかしましょうか?」


 幸とエリシナが血相を変えて話し合う中――崩れた書物の間を縫って、だいだいのワンピースに身を包んだ少女が現れる。


 声がするまで、幸はその存在に気付かなかった。

 

 少女は不気味な雰囲気をかもしながら笑い、アカルミハエイを大事に抱える幸に近づく。


「書物の修復魔術でしたら――免許を持っています」


 少女はライズという少年の取り巻きで、いつも幸に毒々しい『ソ』を向けてくるレイエンだった。


 いつも幸に対して良くない感情を向けるレイエンだが、なぜか今日に限って彼女は、恐ろしく機嫌が良かった。


 だが日頃、厭味ばかり言われているせいか、幸は反射的に顔をしかめる。


 レイエンの有難い申し出を素直に受け止めることはできず、幸はアカルミハエイを抱えてあとずさった。


「あなた、その制服、城に併設されている学校の子ね?」


 黙り込む幸の傍ら、エリシナがレイエンに訊ねた。


「はい、老師エリシナ――私は王宮魔術学校のレイエン・アイスラと申します」


 レイエンは礼儀正しくスカートを軽く持ち上げて挨拶をする。


 この世界の人間は、出身国の挨拶を使うらしく、エリシナは胸に手を当てて軽く頭をさげた。


「魔術の治癒が出来るの?」


「できます。実践でも何度か使った経験があります」


「――そう。なら、お願いできる?」


 レイエンは治癒を承諾するもの、幸はどうしても彼女の毒々しい『ソ』を好意的に見ることができず、警戒を解くことができなかった。


 しかし、弱っているアカルミハエイを前に、他に選択肢がないのだろう。


 かたくなに拒む幸に対して、エリシナがたしなめるように告げた。


「コウくん、アカルミハエイを彼女に渡しなさい」


「……嫌です」


「どうして?」


「……それは……」


「別に、嫌なら私はやらなくても構いませんけど」


「コウくん!」


「…………わかりました」


 悪い予感しかしない幸だが、エリシナに睨みつけられて、渋々頷いた。


 そして幸がアカルミハエイをレイエンに引き渡すと、彼女は相変わらず毒を吐き散らすように歪んだ笑みを浮かべて、幸を見返した。

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