第33話 いささか騒がしい

***




「コウ、あたし変じゃない?」


「ああ、どこからどうみても人間だ」


 同じことを繰り返し聞いてくるアカルミハエイに、幸は律儀にも毎回返事をする。


 人間の姿と化したアカルミハエイと手を繋いで王城内を歩けば、周囲はみな振り返った。


 不吉と呼ばれる幸を見ているのか、隣にいるアカルミハエイを見ているのかはわからないが、あまり良い気分でもなく、幸は早足に廊下を過ぎる。


 きっかけはアカルミハエイの我儘だった。


 本来、アカルミハエイは禁忌の魔術であり書院の外に出てはならない存在だが、人間の姿になった途端、彼女は外が見たいと言ってダダをこねた。


 聞けば、アカルミハエイはもう何百年も書院の外に出ていないらしい。


 そして『ハエ』にされた恨みを引き合いにして、さんざん暴れたアカルミハイを止められる者はおらず、エリシナは不服ながらも外出を承諾したのである。


 だがアカルミハエイが、どれだけの時間ヒトの姿で居られるのかもわからないため、王城内を一周するのみという条件つきだった。

 

 などという事情により、王城内の散歩が始まったわけだが――王城内という限れられた範囲にもかかわらず、アカルミハイは初めて遊園地に来た子供のように目を輝かせていて周囲を見回していた。


「ねぇねぇ、コウの部屋はどこ?」


「俺の部屋には面白いものなんてないぞ」


「でも行ってみたい! コウの生態が気になるわ」


「ああ、はいはい。順番にな」


 妹がいるせいか、アカルミハエイの相手はそれほど苦痛でもなく。『ハエ』にして、重傷を負わせた罪悪感を思うと、散歩につきあうくらい易いものだった。


 そんな風にエリシナの地図を片手に一階を歩き回る中――


 ふいにアカルミハエイがニオイを嗅ぐような仕草を見せる。


「ねぇねぇ、すっごい美味しそうな匂いがするんだけど」


「なにがだ? 併設の魔術学校が近くにあるくらいで、廊下には何もないだろ」


「人の恨みの匂いがする。美味しそう」


「恨み?」


「そう。他人に恐怖を与えてやりたいっていう人間の負の感情。なんだかお腹が空いちゃった。あ! でも幸は違う意味で美味しそうだよ? もっと多彩な感情が混ざってる感じ」


「……ハエとか言ってすみませんでした。俺を食べるのはやめてくれ」


「え? だめなの? 今も食べてるよ。コウの残骸を」


「物理的な意味じゃないのか……ならいい」


「でも時々、コウの匂いをかいでると、頭からバリバリ食べたくなるよね」


「お願いだからやめてくれ」


「どうしよっかな~」


「……お前、わざとだろ?」


「何が?」


「人を食うとか」


「さあ、どうかしら?」


 化粧などしなくてもパッチリしている目を細めてアカルミハエイは破顔する。


 幸は騙された気持ちになりながらも、アカルミハエイがご機嫌なのでそれ以上何も言わなかった。


「ねぇ、コウ」


 王城の廊下から見える庭を見て、アカルミハエイが呟くように言った。

 

「どうした?」


「もしも、あたしが人を糧とする存在だとしたら――コウはそれでも一緒にいてくれる?」


「仮定で判断したところで、事実は違うこともあるぞ」


 異世界に来たことで、幸が今まで思っていた自分像は見事なまでに崩れた。


 想像には自分の都合の良いことも混ぜてしまうことがある。アカルミハエイに期待を持たせるようなことを言うつもりはなかった。


「コウは真面目だな。気休めでも言ってくれると嬉しいのに」


 アカルミハエイはそう言って薄く笑う。


 たとえ人の姿をしていても魔術アカルミハエイから感情を読み取ることはできず。幸は『ソ』を読むにも限界があることを初めて知った。


「アカルミハエイがどうしても腹が減って動けないって言うなら、食ってくれてもいい。俺はアカルミハエイのことが嫌いじゃない」

 

 幸が潔く笑いながら言うと――しばらくして、アカルミハエイの顔が真っ赤に染まる。


「誰も私の心を射抜いてくれなんて言ってないわよ」


「食べる前に殺してごめん——なんて」


「恥ずかしいって気持ちを初めて知った気がする」


「だったらついでに、男女で手を繋いで歩くことも恥ずかしいことだと知ってくれ」


「あら、コウはこんなことが恥ずかしいの? だったら、もっとくっついて歩こうかな」


「ギブギブ! ――それはもう、くっつくっていうレベルじゃないだろ!」


 後ろから首にしがみついてくるアカルミハエイに、幸がいくら訴えてもやめようとはせず。二人は無駄に目立ちながら歩いた。


 すると背後から、それをたしなめる声が響く。


「おやおや、老師エリシナの弟子どのは、こんな昼間から女遊びかい?」


 気付くと、魔術学校の授業が終わったらしく。白い法衣ローブを纏った学生達が廊下に溢れていた。


 幸は「すみません」と逃げの姿勢になるもの、ライズに腕を掴まれて阻まれる。


「今日こそは逃がさない」


「すぐに戻ってくるので、ちょっとだけ席をはずしてもいいですか?」


 アカルミハエイが人間で居られる時間がわからないだけに、ライズの長話を聞くわけにはいかなかった。


 この場でアカルミハエイが元に戻れば、変に思われるかもしれない――だから幸は、アカルミハエイを書院に戻すまで待ってほしいと告げたつもりなのだが。


 相変わらず俺様ライズ様は、他人の都合などおかまいなしだ。


「お前そんなことを言って、今回も逃げるつもりだろ! させるか!」


「ちょっと! あんた、コウから離れなさいよ」


「ちょ――やめてくれ二人とも」


 ライズが幸の腕を引っ張ると、アカルミハエイはさらに幸の首をきつくしめながらぶらさがった。


 幸は深海におぼれるような錯覚に陥いる。

 

 抵抗したところで、アカルミハエイとライズが互いに譲歩する様子はなく――次第に幸の視界がかすみ始める。


 だが幸が気を失う寸前で、ライズの後ろからレイエンが頭をのぞかせた。


「ライズ様、こんな奴にあまり長く触れていては、穢れてしまいます」


「……ああ、そうだな」


「……俺は……汚物か……」


 相変らずひどい言い草だが、レイエンの一言でライズは幸を離した。


 そして大勢の取り巻きに呼ばれていることをレイエンが伝えると、ライズは勝ち誇った顔で幸を一瞥し、取り巻き集団の元へとスキップしていった。


 そんなライズのあとを、レイエンもついてゆく。


 自尊心の塊のような少年から解放されて、幸は大きく溜め息を吐く。


「……あいつの長話に捕まらなくて良かった」 


「ねぇ、さっきの美味しそうな匂いの人達はコウの友達?」


「美味しそうな『人達』?」


「うん、どっちもすごく美味しそうだった。恨みとか憎しみとか。血を呼びそうな負のかたまり」


「へぇ……それは気づかなかったな」


 幸は取り巻き集団の中でのぼせあがっているライズの顔を見ながら考え込む。


 レイエンからいつも陰気な空気を感じ取っていた幸だが、ライズはそういったものとは無縁のように思えた。


 だがアカルミハエイが嘘を言っているとも思えず、幸は彼女の言葉を軽く頭にとどめておくことにする。


 幸よりも若い身でありながら、魔術学校の頂点にいるというのだから、それなりに重いものを背負っているのかもしれない。


 だがまさか、アカルミハエイの言葉が、このさき王城内で起きる混乱に繋がるとは――この時は思いもよらず。





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