第29話 居心地が悪い

***





「なんだ、起きていやがったか」


「朝からやめてくれよ……」


 宮廷書院で働くようになり、二週間が経過した。


 幸の身元を証明するものがないため、無理やりゲインの養子になった幸だが。


 同じ屋根の下で暮らしているわけでもないというのに、ゲインが毎日のように襲撃してくるようになった。


 エリシナいわく、彼なりの親愛の表現らしいのだが、幸からしてみれば、たまったものじゃない。


 異世界で貰った初めての自室は、ゲインの襲撃により日ごと荒れており、いい加減文句のひとつも言いたくなる。


 それなりに綺麗好きの幸は、ゲインが枕元に刺しこんだ剣を抜きながら静かに怒りを放った。


「ゲイン、俺はあんたのオモチャじゃない。戦いたいなら、部下を鍛えればいいだろ。エリシナさんから聞いたが、あんたの部下は、あんたから声をかけてもらうことを期待してるって――言ってたぞ」


「それは無理な話だな。俺の部下たちはまともな人間だ。向かい合っただけで気絶しちまう。俺の『ソ』に耐えられるのはお前くらいだ」


「頼むから……他をあたってくれよ……」


「だったら、俺を屈服させるくらい強くなってみろよ。逃げてばかりじゃ、こちらもつまらん」


「イヤだ」


「なんだと?」


 剣を繰り出すゲインから逃げ回りながらも、幸は器用に寝間着から紺の上下に着替える。


 幸にまとわりついてくるゲインの『ソ』は、黒い雲のようにその存在感を濃く見ることが出来るようになっていた。


 それは魔術について勉強を始めた成果であり。顔色を見なくても、今では他人が放つ『ソ』という色のついた空気のようなものだけで、動きを察することが出来るのである。


 剣を捨て、今度は素手で攻撃をしかけてくるゲインを、かわしながら丸いテーブルにあった緑の果実を頬張る。


 果実のひとつをゲインに放り投げると、ゲインは素早く抜いた剣でそれを受け止めて、果実を齧り出した。

 

 曲芸の練習にしか見えない光景に、幸は呆れた溜め息を落とす。


「俺は書院の仕事を覚えるだけで精いっぱいなんだ」


「は? 書院? 本を整理するだけだろ? 何が大変だって言うんだ?」


「俺にはあんた達みたいな知識がないんだよ! 魔術書を管理するために、『ソ』についてイチから学んでいるんだ」


「そんな頭でっかちになったって、強くはなんねぇぞ。それより、俺と組手しろ」


「断る。じゃ、エリシナさんが待ってるから」


「待て、まずは俺と戦え」


「エリシナさんに、今日もあんたは格好良かったって言っといてやるよ」


「……俺が男前なのは、言わなくてもわかる事実だ」


 エリシナの話を出した途端、眉間を寄せたゲインを見て、幸は軽く笑いながら自室を飛び出す。


 最初は怖いとばかり思っていたゲインだが、意外と扱い易い人間だった。


 その代わり、王城で擦れ違う人間たちは皆、幸に汚物を見るような目を向けていた。

 

 幸は集中豪雨のような視線を浴びながら、王城内を駆け抜ける。


 『殺し合い』を生き残って以来、悪名が急上昇中の幸は、周囲を見ないようにして走るもの――ふいに、誰かに足を引っ掛けられる。



「お前、今ぶつかっただろ」



 不意打ちで転んだ幸を、幸よりも幼い顔をした少年が見下した。


 彼はライズと言う学生で、城内で幸を目の仇にする筆頭だった。


 幸より三つ下で、同じような背丈をしている彼だが、学問に秀でており、王城内に併設されている魔術学校で期待の星と呼ばれているらしい。


 それを自分から言ってきた時は、思わず笑ってしまった幸だが――その態度がプライドを傷つけてしまったようで、毎日のように絡んでくるようになった。


 下手をすれば、幸が通るまでこの回廊で待っていたのかもしれない。

 

 ライズは悪意に満ちたを幸にぶつけるが――ゲインの殺気に比べれば清々しいとさえ思いながら、幸は心にもない詫びを述べた。


「すみません、急いでいたので、前をよく見ていませんでした。では――」


「ちょっと待て。タダですむと思うな」


 幸が足早に去ろうとするのを、ライズが引き止める。


「じゃあ、いくらですか? 請求先はゲイン――大尉でお願いします」


「金などいらん。それよりお前、『ソ』に詳しいらしいな?」


「勉強中です」


「あのゲイン大尉に見込まれたからと言って、調子に乗るなよ!」


 結局、何が言いたいんだ――と思いながらも、幸は話が長くなることを恐れて、大人しく頷いた。


 ライズは騒がしいだけで、実際はそれほど害のない人間だということはわかっている。


 だが、それよりも面倒なのは――。


「ライズ様、あまり絡んでは、こいつの醜い『ソ』が伝染うつってしまいますよ」


 ライズの傍に控えていた少女、――レイエンが、暗い笑みを浮かべた。


 レイエンの剥き出しの敵意が、幸の体に突き刺さる。


 ライズの取り巻きである彼女の『ソ』は、ゲインのように強烈な熱量はなくとも、まるで毒のように幸を内側からむしばもうと忍び寄ってくる感覚があった。


 レイエンの『ソ』にあてられた幸は、異物を口にいれたような気分になり、口を押さえる。


 そんな幸を見て、レイエンは真っ白な顔で不気味に笑う。


「どうしたのかしら?」


「……失礼、します」


「あ、こら! 待て!」


 幸はレイエンから逃げ出すが――そんな幸を、ライズが呼び止める。


 薄々気付いてはいたが、ライズは鈍感らしく、レイエンの異様な『ソ』には全く気づいていないらしい。

 

 だがレイエンの側から早く離れたい幸は、ライズを無視して書院に向かう。


(――俺の足を引っかけたのは、間違いなくライズだ)


 他人の『ソ』を感じ取ることが出来る幸は、レイエンの『ソ』から、国王に似たおそれを感じていた。


 表向きの成績や他人の評価があるにせよ、その素質や内面まで見破ってしまう幸にとって、ライズよりもレイエンと対峙するほうがよほど緊張した。





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