第28話 幾つもの思い

(※幸が寝込んでいる間の話です)



***




「誰か、コウくんを運んで!」

 

 書院でコウが倒れた。


 そう言ったエリシナは、いつもの沈着冷静クールビューティーからは程遠い姿で取り乱していた。


 よほどの事があったとみた医務室長のリドは、エリシナと同じ黒い長袍チャンパオで風を切って、彼女の元にやってくる。


「どうした、エリシナ。コウとは誰のことだい?」


「うちに配属された子なのよ。熱を出してしまったみたい」


「それは、『殺し合い』を生き残ったとかいう子供かい?」


 老婆が『殺し合い』という言葉を使った途端、医務室内の温度が下がる。


『殺し合い』はもともと、戦闘狂の国王を落ち着かせるために行われている祭事だ。

 

 それを生き残った人間がいるというのは、国王の機嫌を損ねることになりかねないわけで、グインハルムの民にとっては、決して喜ばしいことではなかった。

 

 しかも生き残ったのは、まさかのウェルガルの出身者だ。ウェルガルの民が暴動を起こしたおかげで国王の機嫌が最悪なだけに、コウの存在は『不吉』と呼ばれていた。


 実際は、国王が幸を気に入っているようなので、表だってコウが攻撃されるようなことはないのだが。


 冷やかに囁き合う助手達に、持ち場へ戻るよう促したリドは、なんの感情も持たない顔で、エリシナに話を訊いた。


「お前さんは、その子のことがとても心配なんだね。ウェルガルでの知り合いか何かなのかい? 状態は?」


「食べ物を受け付けないし、意識がないわ。――私の知り合いでもなんでもないんだけど。でも、大事な部下だもの」


「そうかい。あんたの大事な子なら、私も大事にしないといけないねぇ。その子はまだ書院にいるのかい?」


「ええ。細くてもやっぱり男の子よね。私一人では運べなくて」


「だったら――俺が運んでやる」


 エリシナと老婆との間に、傷だらけの男が割り込んだ。


 男は自分で申し出ていながら、戦でも始めそうな顔をしていた。


「ゲインが怪我人の運搬なんて、明日は槍でも降るのかしら? いいえ、剣の雨ね」


「『殺し合い』を生き残ったやつに用があってな」


「病人を刺激するのはやめて。あなたが陛下と同じくらい戦好きなのは知っているけど、今回は駄目」


「お前こそ、らしくねぇな。『アリシドと名乗る奴が現れた』とかで、キレてたんじゃないのか?」


「気が変わったのよ。あの子の側にいる『アリシド』が、それでいいって言っているんですもの」


 そう言って、エリシナは目を伏せる。

 

 『アリシド』と名乗る子供がいると聞いた時は、腸が煮えくり返る思いをした。そして実際にそう呼ばれている子供を見て、殺してやりたいとさえ思った。


 アリシドが『殺し合い』に参加すると聞いた時は、事前に『殺し合い』の参加者を調べたが――参加者の名簿には、人相書きまではないにしろ、各国の代表者の肩書きが添えられていた。


 そこにいたのは、けた者ばかりで、アリシドが勝ち残れる可能性などなく。


 それを生き残ったというのだから、『殺し合い』に紛れ込んだ子供が、アリシドの同情を引いて、騙し討ちのようなことをしたのかもしれない、そう思った。


 もしくは、アリシドが子供のために死んだ可能性もある。彼は生まれながらの聖職者であって、潔癖と呼べるほど争いごとを拒んでいたのだから。


 そんな人が『殺し合い』に参加すると聞いた時は、殺されることをある程度覚悟はしていた。だが、彼の命を奪って生き残る子供は、たとえ子供でも許し難かった。


 子供はおそらく、『殺し合い』の功績をもらうために、参加者の名前を必要としていたに違いない。


 考えただけで、エリシナは胸が悪くなった。


 だが、そんなエリシナの気が変わったのは、コウと戦ってからだ。

 

 エリシナが追い詰めたコウは、『ソ』を自由に読み取ることができる体質だったらしく――不覚にもエリシナが追い詰められてしまった。


 だがアカルミハエイが暴走した時、コウは身を捨てる勢いでエリシナを救った。


 コウがエリシナに抱き着いた瞬間、エリシナに流れ込んできた彼の『ソ』。


 コウを包んでいたのは、アリシドが命を賭けて守ったという痕跡だった。

 

 最初は洗礼かと思っていたが、コウを包み込んでいたのは、アリシドのの残骸だ。


 人は『ソ』から始まり、そして命を終えた時に『ソ』を還す。


 アリシドは死して還らずに、いまだコウを見守っているのである。


 アリシドがそこまでして、どうしてコウを守りたいのかはわからないもの――彼の覚悟を感じ取ったと同時に、エリシナもコウを守ると決めた。


 アリシドにとって大事なものは全て、エリシナにとっても大事なものだった。


 コウを抱きしめた時は、それはそれは懐かしい匂いがして、泣きたくなった。


 だが、喜ばしくもあった。


 きっとアリシドとはこの先も一緒にいることができるだろう。


 コウという子供に託された想いの中に彼は今も残っているのだから――。


「お前さんがそれだけ心酔してるとあっちゃ、俺もうかうかしてられねぇな」


 エリシナがアリシドの事を想って、無意識に微笑んでいると、ゲインが挑むような目を向けた。


 それが、決して悪意ではないことを知っているエリシナは、ゲインの真意から目を反らす。


「アリシドの大切な人は、私にとっても大切な人よ」


「俺がいつか、昔の男を忘れさせてやる」


「私は争いを好まない人が好きなの」


「戦を引き寄せるお前さんが、平和ホゲと一緒にいられると思うのか?」


「ひどい男ね。そういうところが、私は好きじゃないよ」


「俺はあんたの心変わりを待つさ。俺じゃないと駄目だって言わせてみせるぜ」


「……もう、あなたと話していると、疲れるのよ。それより、ゲインお願いがあるんだけど」


「色っぽいお願いなら、いくらでも聞くが?」


「悪いけど、色気はないわね。けど、私の機嫌を取りたいなら――彼の後見人になってほしいの」


 目を反らしてばかりだったエリシナが、真っ直ぐにゲインを見つめて言った。


 口ではあれこれ言いながらも、わりと硬派なゲインは頭をかきながら、戸惑う顔を見せる。


「『殺し合い』を生き残ったそいつが、俺の見込んでいるガキなら構わないが。あいつとは、殺り合いたいと思っていたんだ」


「あなたほど強い殺気を放っていれば、彼も身を守ることくらいは出来ると思うから――元気になったら好きにして構わないわ。他の人に利用されるよりはずっとマシだもの」


「俺のことを信用してくれるのか?」


「そうね。あなたのことは正直、あまり得意ではないけど、信用はしているわ」


「そこまで言われたら、俺も引き受けないわけにはいかねぇな」


「……恩にきるわ」


 コウの周囲をなんとか固めることができたエリシナは、ほっと胸を撫で下ろす。


 アリシドとは違い、他人の世話を焼くのはあまり得意ではなかったが、今回は自然と動いていた。

 

 実はコウの『ソ』を密かに独自で調査していたエリシナ。


 彼女は自分が知り得た『驚くべき情報』を隠して、身元調査の魔術師たちに目くらましを与えた。


 異世界からやってきたという事実はエリシナの胸の奥にしまって、彼が新しい生をまっとう出来るように、彼女なりの最善を尽くした。


 アリシドが望むことはわからないまでも、コウがどういった成長を遂げるかを、彼女は密かに楽しみにしているのだ。


「おいエリシナ、置いていくぞ」


「わかっているわ」


 ガラにもなく、ぼんやりとしていたエリシナは、早足でゲインの後ろにつく。


 彼女はアリシドに託されたモノの意味を考えながら、ゲインとともにコウの居る書院へと向かった。

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