第27話 今から胃が痛い


 書院内がスッキリと片付き、幸の身なりもマシになったところで、エリシナは木製の円卓に茶菓子を用意した。


 気が抜けた途端、昨日から何も食べていないことに気付いた幸は、エリシナが用意したスコーンのような菓子を齧るもの、胃がまともに受け付けずその場で吐いた。


 エリシナは顔色を変えて、咳き込む幸の額に手を乗せる。

 

「コウくん、あなた熱があるじゃない! 一度部屋で休んだほうがいいわ」


「……俺には部屋なんて……」


「あるわよ。王城で働く人間には、部屋だって与えられるのよ。それも今から説明するつもりだったのに――とにかく、あなたの部屋に連れて行ってあげるわ」


「……俺は本当に……ここで働くことができるんですか?」


「そうよ。私はあなたの仕事上の世話を命じられているから、書院のことなら私に聞きなさい。それにあなたは『殺し合い』を生き残ったことで、名誉昇任しているの。王宮ではそれなりに融通かおが利くから、何かあれば召使いにでも命令すればいいわ。――とにかく、私達は国のために戦うかわりに、それなりの生活を保障されているから、安心なさい」


「…………国のために、戦う? ……俺は、本のある場所で働きたいって言っただけで……」

 

 幸はエリシナの話を処理しきれず、円卓の上に崩れた。


 熱が上がっているのだろう。エリシナが何を言っても遠くに聞こえ、フェードアウトしてゆく。

 

 緊張の糸が切れたのか、それから幸は円卓の上で意識を落とした。


 誰かに背負われるような感覚に身を任せていれば、いつの間にか柔らかいベッドに移動していた。


 のちにエリシナから聞いた話によれば、幸は三日間、熱にうなされていたらしい。


 そして久しぶりに目を覚ました幸が見たのは、繊細な彫りが施された天井だった。


 気だるい体を起こして周囲を見回せば、そこは簡素な調度品に囲まれた見知らぬ部屋であり――幸は中世貴族さながらの大きな寝台の上にいた。


 部屋には、エリシナと、そして剣をやまのように背負った男の姿があった。


「よう、起きやがったな」


 幸は傷だらけの男を認識した瞬間、布団に隠れる。


 しかし、たぬき寝入りする前に、エリシナが布団を勢いよく剥がした。

 

「もう、隠れないの! ゲインも病人に殺気を飛ばすのはやめなさい。コウくんは安静の身なのよ?」

 

 幸はゲインと呼ばれた男を見て、固唾をのむ。


 その傷だらけの男は、『殺し合い』の際、檻の外から幸に攻撃を仕掛けた男だった。


 『殺し合い』でもないのに、いつでも人が殺せそうな男の目を見て、幸は思わず近くの窓から逃げようとするが、エリシナに襟首を掴まれる。


 病み上がりの人間には、少々刺激の強すぎる相手だった。


「コウくん……大丈夫よ。『ソ』が読めるあなたなら、これだけ殺気を放出している相手の行動なんて、手に取るようにわかるでしょう?」


「行動は読めても、殺気が痛いです……」


「ハハ! それだけの才能を持っていても、宝の持ち腐れだな、お前」


 ゲインは軽く笑い飛ばすが、鋭い刃をつきつけるような視線に、幸は再び死にそうになる。


 口から出そうな魂を、むりやり喉の奥にひっこめた幸は、出来る限りゲインから距離をとった。

 

「あなた……これからずっと、父親とその距離でいるつもり?」


「父親?」


「ああ、そういえば、ずっと眠っていたから知らないのよね。実はコウくん、あなた身元が不明だから、後見人としてゲイン大尉がつけられたのよ」


「はあ!?」


 あまり大声を出すようなタイプではないのだが、幸は咄嗟に叫んでいた。一度戻した魂が窓に向かったが、なんとか止める。


 エリシナはやれやれといった顔で説明した。 


「あなたが眠っている間、身元を調べる魔術師が、あなたの『ソ』を調べたんだけど――わかったのは、あなたの名前だけで、他は読めなかったそうよ。それよりもあなたの膨大な『ソ』や『イン』のせいで、魔術師のほうが寝込んでしまったわ」


「身元って……調べられるものなんですか?」


「そうね。これは身元に限った話ではないけど――『ソ』の解析は書類カタチよりも安全だし、便利よね。書として残しているのは、魔術書くらいよ。だからあなたがいくら『アリシド』と言い張ったところで、『アリシド』にはなれないのよ」


 エリシナに教えられて、再出発しようとしていた幸は、完全に出鼻をくじかれていた。


 あれだけ堂々と『アリシド』と名乗っておいて、撤回するのも気恥かしく。次にアリスと会った時のことを考えると、気が滅入った。

 

 そんな幸の考えは筒抜けらしく、エリシナは微かに笑いながら言った。

  

「それで、身元不明者を宮廷書院に置くわけにはいかないから、ゲイン大尉の養子ということになったの。あと、あなたの動向を見張るのも兼ねて、かしら」


「それは、俺が信用されていないってことですか?」


「……まあ、あなたから何も読み取れない以上は、警戒されるのは当然よね」


「見張られるのは構いませんが……ゲイン、大尉の養子って……」


 幸がなるべく視線を合わせないようにしていると、ゲインはわざと視界に入るように近づいてくる。


「もちろん、殺すつもりで育てるからな」


「まあ、頑張りなさい、コウくん。あなたが選んだことでしょう?」


「………………はあ」


「俺のことはゲインでいい。明日からは存分に育ててるから、覚悟しとけよ」


 言って、ゲインは至って真面目な顔をして、背中の剣を二本抜き、幸の前で擦り合わせる。


 幸に重い空気がのしかかる中、エリシナは手を合わせて破顔する。


「良かったわね、コウくん。良い父親ができて。ゲインの元にいれば、すぐに強くなれるわよ――あ、でも、命だけは守ってね」


「……」


 書庫で働くことを希望し、今後苦しい生活を強いられることは、ある程度覚悟していた幸だが――ウェルガルを支援するまで生きていられるかが謎だった。



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