第26話 嫌がらせは通用しない


「今日はこのくらいにしましょうか」


 エリシナが片眼鏡モノクルの位置を正しながら、仕事の終わりを告げる。


 大蛇が破壊しつくした部屋は、エリシナ本人が元に戻しており、書院内はすっかり片付いている。


 だがエリシナに言われても、幸は箒を離さなかった。


「まだ、ほこりが残ってます」


「このくらい大丈夫よ。コウ君のおかげでじゅうぶん綺麗になったから、そろそろ終わりにしましょう」


「きちんと掃除しておかないと、またアカルミハエイみたいなのが出て来るんじゃないですか? それに、このままだと病気になる」


「魔術が出てきたら私がなんとかするから、やめにしましょうよ。……ほんとに、律儀な子ね。そんなに掃除が好きなら、いっそ掃除職人になるといいわ――」


「……それはお金になりますか?」


「ちょっと、本気にしないでよ――冗談に決まっているでしょう。あなたのその服もどうにかしないと、不審者だと思われるわよ?」


「――あ、そうだった」


 幸は自分が悲惨な格好をしていることを思い出す。


 日本なら、何を言われたものではない。


 異世界に来てからというもの、だいぶ生活の感覚が麻痺していた。


 生きているだけでも有難いと思うようになってからは、あまり自分の姿などにも囚われず。ただ目の前のことしか考えていなかった。

 

 幸から掃除具を取り上げたエリシナは、早速どこからともなく服を持ってくる。


 窓のほこりを凝視する幸の前に、エリシナは大量の衣類を積んだ。


「俺一人にどれだけ持ってくるんですか……」


「ねぇねぇ、これとか――」

 

 エリシナが女性もののメイド服を引っ張り上げる前に、幸がすかさず手で押さえた。


 エリシナは一瞬、不機嫌な顔になるが、あきらめ悪くも次の衣装に手を伸ばす。


 しかしエリシナが手に取る前に、魔法少女風のそれを幸が遠くに捨てた。


「ちょっと、コウ君、人の『ソ』を読まないでよ。からかうことも出来ないじゃない」


「こっち貰ってもいいですかね?」

 

 幸はエリシナの言葉を流して、一番地味な紺の上下を手に取る。


 エリシナは不服そうではあるが、しぶしぶ頷いた。


「勝手にしなさいよ……どうせ『ソ』を読むんでしょ」


「着替える場所はありますか――――あ、エリシナさんの前でっていうのはナシで」


「だから、先回りして言うのはやめてよ。わかったわよ。私が出て行けばいいんでしょ」


「出て行ったと見せかけて覗くのもナシ」


「あなたどこの婦女子よ。そんなことで恥じらうなんて――」


「エリシナさんの名誉のために言ってます。誰か来たら、ヤバいのはエリシナさんですよ。だから早く行ってください」


「……わかったわよ――見ないから、部屋に居てもいいかしら?」


「なら、少し待っていてください」


 どうにかするのを諦めたエリシナは、カウンターの反対側で大きく息を吐き――そして呟くように、幸に訊ねた。


「アリシドは……その……私の事、何か言ってた?」


 幸は少し迷ったあとに「いいえ」と答える。


 他にエリシナを喜ばせる言葉はあったのかもしれないが、上辺だけの優しさで騙せるとも思えなかった。


 そんな幸の内心を読み取ったエリシナから、自嘲するような笑い声が漏れる。


「気を遣わなくていいわ。あの人が私のことを言わないのは、当然の事だから」


「何か思い出したら言います」


「本当に……いいのよ。私は『元』婚約者だから。――それであなたは、『殺し合い』でアリシドと出会ったのかしら?」


「はい。おかげで色々と知ることが出来ました」


「あの人は薀蓄うんちくとか好きだものね。あの年で、年寄りのように、同じ事を何度も言いたがるのよ。だから子供の頃は、聞いているふりをして本を読んだりしていたわ」


「子供の頃からの知り合いなんですか?」


「同じ孤児院で育ったの。あの人が教会の牧師をしていることは知ってる?」


「はい」


「その教会で私もあの人も育ったの。とても正義感溢れる人だから、小さい頃から、『自分は絶対、教会で働くんだ』って言ってたけど、本当に実行するんだから、すごいわよね。私なんて、こんな――」


 エリシナはかすかに声を震わせて、言葉を切った。


 感傷の空気が伝わり、幸はあえて何も言わなかった。


 すると、エリシナが再び話しかけてくる。


「ねぇ、コウ君。なんだか長くない?」


「……そうですか?」


「あんな服を着るのに、そんなに時間はかからないと思うんだけど?」


「そう……かもしれません」


「ちょっとそっちに行ってもいいかしら? なにか手間取るボタンがあるなら、手伝うから」


「大丈夫です」


「でも、気になるわ――――あ」


 痺れを切らしたエリシナがカウンター越しに幸を覗きこむ。


 エリシナの不意打ちに、幸は少し動揺する。


「あなた……また掃除してたの?」


「……脱いだ学生服がちょうどいい雑巾になるなと思って、つい……」


「そういうところ、アリシドに似てるわね……」


 言い訳する幸に、エリシナは困った顔で溜め息を吐いた。

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