第25話 一抹の不安と恣意


「いつまでそうやって寝たふりをしているつもりだ、老師」

 

 アリスにそう言われて、幸は改めて自分の状況を思い出す。


 いくら剥がそうとしても離れなかったエリシナは、アリスが指摘した途端、たぬき寝入りをやめて幸から離れた。


 白い目で見るアリスに対して、エリシナは誤魔化すように笑う。


「あら、バレてたの?」


 エリシナはとぼけた顔で悠々と伸びをする。その姿は、大蛇の姿で暴走した人間とは思えない。


 幸が激高した大蛇を思い出して青ざめていると、エリシナは苦笑しながら言った。


「もう、襲ったりしないわよ。あなた達の話、聞いていたもの。ウェルガルを救いたいという気持ちがあるなら、あなたは私の敵じゃないわ」


「エリシナはアリシドの言葉が、口先だけとか思わないの?」


 すっかり落ちついたエリシナを、アカルミハエイが意地の悪い顔で挑発する。


 だがエリシナはもう逆上する様子もなく、アカルミハエイに余裕の微笑えみを向けた。


「私にはわかるのよ。アリシドの加護がこれだけ染みついてるんだから、おチビちゃんはよほどアリシドに気に入られているのね」


「でも、俺は――」


 話を蒸し返そうとする幸の口に、エリシナはそっとひと差し指を立てる。


 沈黙を表す仕草はこちらでも同じらしく――エリシナの凪いだ目の色を見て、幸は言葉を飲みこんだ。


「アリシドの加護? このアリシドは、老師の婚約者ではないのか?」


 幸とエリシナが無言でやりとりをするかたわら、アリスが素朴な疑問をぶつけた。


 だがエリシナが「まあね」と曖昧に流すと、アリスもそれ以上詮索することはなく。


 アリシドという名前自体珍しくないのか、『アリシドが複数存在する』という結論で、アリスは勝手に納得したようだった。


 エリシナが不自然なほど、にこやかに幸を見つめる中、アカルミハエイがアリスの手から脱出し、幸の肩に寄り掛かる。


「……久しぶりに動いたら、なんだか眠くなってきたぁ……ねぇ、しばらく眠ってもいい?」


「ありがとう、アカルミハエイ」


 幸が礼を述べると、小鳥のような少女は低空飛行で書庫に入り、本の姿で棚に引っ込んだ。本になったアカルミハエイを見て、幸が改めて驚いていると、アリスも立ち上がる。


「老師も目覚めたことだ。私はもう行くが――老師、アリシドを頼む。『読む』ことが得意なようだから、アリシドの今後を考えるなら、おそらく魔術師である老師が適任だろう。宮廷書院で働くか否かをゆっくりと考えるがいい」


「迷惑をかけたよな。……アリスも、その……ありがとう」


 幸がぎこちなく礼を言うと、アリスは苦笑しながら書庫をあとにした。


「あらあら、だらしない顔しちゃって」


 二人きりになり、幸はエリシナと向き合うことにおののくもの――エリシナは再び幸に敵意を向ける様子もなく、本を拾い始める。


「あ、あの……お……俺も手伝います」


「じゃあ、まずは本を色ごとに分けてくれる? 国を色別にしてあるから、一度分けてから棚にしまいましょう。魔術の種別はわからないだろうから、それはまた棚に戻す時に指示するわ」


「はい……えっと、老師エリシナさん?」


「その呼び方はやめて」


 老師と言った途端、エリシナが鬼の形相で幸を睨みつけた。


 皆は気軽に『老師』と呼んでいたが、あまり良い言葉ではなかったらしい。


 青ざめる幸を見て、エリシナは溜め息をつく。


「『老師』って言うのは、書院に古くから従事する人間のことよ。敬意を払って使われることもあるけど、一番年寄りって言われているのと同じなの。外の人間は使ってもいいけど、ここで働くなら、あなたは使っては駄目よ、コウ」


「――え……どうして俺の名前……」


「他人の『ソ』を読めるのは、何もあなただけじゃないのよ。私ほどの魔術師であれば、他人の名前くらい読み取れるわ――名前くらいなら、ね。でもあなたは特異な体質を持っているようだから、その件については、一度書庫を片付けてからにしましょう」


「……はい」


 幸はエリシナの指示通りに本を色分けし始める。


 宮廷書院にある本は大物ばかりで――書物を大量に移動させるのは、けっこうな重労働だった。


 また幸がうっかり本を読みそうになることもあったが、その時はエリシナが素早く駆けつけてくれたため、大事にはならず。


 そして色分けが終わり、今度はエリシナと幸が肩を並べて本棚に本を収納する中――忙しなく動いていたエリシナが、ふと幸に声をかけた。


「ねえ、コウくん。あなた、……アリスと仲がいいの?」


「……会ったのは数回ですが、俺の恩人で、わりと気さくに話せるコ――人だと思います」


「そう。でも、今後は距離間を考えなさい。あの子に近づきすぎるのは良くないわ」


「……どうしてですか?」


「人を癒すことに長けている人間は、人を懐柔することにも長けているからよ。それにあの子の後ろ盾バックには、あの女がいるもの」


「懐柔? ……俺なんかを懐柔してなんの得に――」


 懐柔と聞いて、幸の脳裏になぜか、青い葉を手にした女神の姿がよぎった。


 だがかぶりを振って、幸は本棚に次々と本を押し込んでゆく。


 エリシナは重ねて告げる。


「あの子を見極めるのはあなた自身だから、私が何を言っても無駄でしょうけど――ただ、この王宮には『殺し合い』に似た空気が潜んでいるということを、覚えておいて」


 エリシナの助言を何食わぬ顔で聞いていた幸だが――彼女の言葉は、その後も見えない釘として幸の胸に刺さったまま、抜けることはなかった。



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