第19話 異名に証を刻みたい
「まっ、――――ママ村!?」
思いのほか大声で叫んでしまった幸は、手で口を塞ぎながら気まずい顔をする。
初対面で不躾な幸に対して、古い民族衣装のような、
「……母、だと?」
不運にも言葉の通じる相手らしく、名前の意味がダイレクトに伝わったらしい。
言い訳もできないとわかって、さらに幸の顔が青ざめてゆく。
(名前の意味まで翻訳されんなよ……)
幸は生まれて初めて友人を殴りたいと思った。
頭の片隅では、嫌な顔で笑う
時々巧妙な嫌がらせをする男だけに、いつか本人の前で呼ぶことを期待していたのかもしれない。
(それにしても柔らかいな――――あ)
少女の膝を枕にしていることに気付いた幸は、慌てて起きあがる。
居たたまれない顔で距離を取る幸に、少女は尖った口調で告げる。
「どうして逃げるんだ?」
「……ごめん、苦手な人に似てて、つい……」
「その者は母親なのか?」
「……母親かどうかはともかく……咄嗟に友達がつけた悪いアダ名を使ってしまった。ごめん、悪気はないんだ」
クラスメイトと同じ顔をしているせいか、まるで本人を前にするようなバツの悪さで言い訳をしてしまう。
纏う空気はクラスメイトよりも幾分鋭いもの、容姿が酷似しすぎていた。
「……別人、だよな?」
「初見だと思うが、それほど似ている人間がいるのか?」
「ああ……あんたが俺を助けてくれたのか?」
自分の胸元を見ると、赤髪につけられた怪我が、初めから何もなかったかのように見事に消えていた。
衣服はすでに学生服のカタチをとどめてはいないが、露出した肌には傷痕も見つからない。
どういう治療が施されたのかは、全く想像すらできないもの、助けられたのは間違いないだろう。
だが幸が礼を述べるよりも先に、少女は否定する。
「確かに私が治療したが――ベアリス様の命で動いたにすぎない。お礼なら、あの御方に言うがいい」
「ベアリス様……って?」
「まさかお前、知らないのか? このグインハルム国を守るただ一人の騎士姫様のことだ」
「騎士『姫』……って、『女神様』のことか?」
「他国ではそんな風に呼ばれているようだな」
「でもなんで――その、ベアリス様が俺を?」
女神に遭遇し、殺されそうになった記憶しかない幸は、怪訝な顔をする。
殺される理由はあっても、助けられる理由は思いつかない。
誰か別の人物と間違えられたのかと思えば、そうではなかった。
「ベアリス様が瀕死のお前を見つけて、治療のため私が呼ばれた。お前が助けられたのは、おそらく『殺し合い』が終わったからだろう」
「『殺し合い』が……終わったのか?」
「ああ、そうだ。お前は運が良かった。瀕死でも、この祭で生き残った人間は珍しいからな」
「……じゃあ、もしかして……」
「お前はこれから、国王陛下にどんな願いでも叶えてもらえるだろう。今頃は町の広場にいらっしゃるだろうから、お前もそこへ向かうといい。場所がわからないというなら、私が送ってもいいが」
「……そうか」
『殺し合い』が終わったと聞いて、気が抜けた幸は、その場に崩れるようにして寝転がる。
異世界にやってきて数日間、生きた心地がしなかった。
これで以前の生活に戻れるとまではいかなくとも、確実に殺人鬼の集団からは解放されるのだ――アリシドのおかげで。
一瞬、夢のような解放に気を抜いた幸だが、自分に課せられた責任を思い出して、口元を引き結んだ。
「それで、お前は何を願うつもりだ?」
クラスメイトのまどろっこしい喋り方とは違い、直接的な物言いで少女が訊ねた。
その違いに苦笑しつつ、幸は考える。
「俺の願い……そうだな……まずはウエルガルに行って――そのあとにでも決められればいいんだが」
罪を償う手始めに、アリシドが守ってきたものを知る必要があった。これから幸が守るべきモノはそこにあるのだから。
アリシドの代わりにはなれない幸に、何が出来るとも思えなかったもの、生かされた以上は償いたいと思う。
しかし、ウエルガルと聞くなり、少女は顔を暗くする。
幸は現実がいかに残酷な流れによって動いているかを知ることになる。
「……ウエルガル……か」
「その国がどうかしたのか?」
幸が訊ねると、少女は眉間を寄せて告げた。
「あそこは……『殺し合い』の間にうちが攻め込んで……隷属国となった」
「……は……?」
「『殺し合い』が始まったと同時に、ウエルガルの民が我が国で暴動を起こしたらしい。『殺し合い』の中にいる代表者を解放しろと」
「暴動? 『殺し合い』の参加者って……アリシド?」
「知っているのか?」
「……ああ」
「暴動と言っても、子供や年寄りばかりだったそうだ。グインハルム国王の恐ろしさを知らなかったのだろう。陛下に喧嘩を売れば、鎮圧だけでは済まない」
「――――マジかよ」
「そういうわけだ。ウエルガルに行くのはやめておけ。あそこはもう、ただの観光地ではないからな」
幸は詳細を訊ねようとしてやめた。
少女がウエルガルの現状を告げなかったのは、それだけひどい状況だと言うことだ。今の自分が行ったところで、力になれることはないだろう。
「――くそッ!」
幸は自分の髪を両手でかき混ぜる。アリシドに託された罪が、さらに重みを増すのを感じていた。
「じゃあ、私はそろそろ責務に戻るが――ウエルガルのことを絶対に陛下の前で口にするな。なんだか今日は機嫌が悪いそうだ。下手をすれば巻き込まれるぞ」
「……あ、待ってくれ」
「なんだ? 町まで案内してほしいのか?」
少女が立ち去ろうとしたところで――幸は咄嗟に腕を掴んで引き止める。一緒にいて妙に落ち着くこの少女と、また会えるなら――と不謹慎にも思ってしまった。
これまでクラスメイトとのつきあいすら面倒だと思っていた幸は、異性を繋ぎ止めようとするのも始めてで――少し照れくさい顔をする。
「君の名前を……教えてほしい」
「私の名前を聞いてどうする?」
「一応、恩人だからな」
「そもそも私はベアリス様の言いつけで……」
「けど、実際に治療してくれたのはあんただろ?」
「……アリス」
「え」
「アリスだ。――お前今、似合わないと思っただろう?」
「……何も言ってないだろ」
「ベアリス様の名前から頂いたんだ。可愛らしい名前が似合わなくて悪かったな。それでもこの名前は、ベアリス様との家族である証だ、馬鹿にするなよ」
「馬鹿になんてしない……そうか、証……」
「で、お前はなんて言うんだ?」
「俺は…………」
「なんだ、言えないような名前なのか?」
「……アリシドだ」
「……ふうん……ウエルガルの代表と同じ名前か。それともお前がウエルガルの……?」
「いや、違う……俺は……」
それは、アリシドのことを決して忘れないように、常に自分が罪を背負っていると自覚できるように、自分に刻みつけた瞬間――。
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