第18話 命拾い


(ヤバイ……動けない……)


 血の色を彷彿させる男の赤髪は、満月の前に燃え盛る光を宿す。


 若く見える姿とは裏腹に、血に飢えた目が、空気が、幸の五感を震撼させた。


 殺人鬼と対峙しているような心持ちだった。


 幸は体に力が入らず、腰から崩れる。


 凶器のような殺気は、直視するだけで魂を奪われてしまいそうで――深い闇に引きずり込まれそうな目に見くだされてなお、幸が目をそらさずにいれば、赤髪の男は、牙で威嚇するごとく剣を掲げる。


 すでに針の殺気むしろで倒れそうな幸に、煌びやかな長剣が音もなく落ちる。


 幸は成す術もなく、刃が風を切る姿を、怯えきった顔でただ凝視していた。


 そして無防備な肩が赤髪の剣に噛みつかれた瞬間――幸の脳は、叩きつけられたような痺れが走り、痺れは脳内を大きく揺さぶったあと、鼻から抜けると同時に血を滴らせた。


 まるで電流を食らったような痺れが、全身を駆け抜けた。


 自然と出た鼻血に驚いていれば――さらに幸の口が血を吹く。


 腹に感じる鋭い痛みに気付いた時には、懐を貫かれていた。


「自国を守るために人すら殺せないクズが。お前は生きる価値すらない」


 声は聞こえても、幸の視界は既に白く濁り、その声の主をハッキリと確認することはできなかった。


 いつの間にか地面に横たわった幸の体は、痛みよりも激しい寒さを覚え、震えてうずくまる。


 赤髪の男を意識でとらえることすら出来ない幸は、ただ「寒い」とだけ呟くが、それは声にすらならなかった。


 終わるのは簡単だった。


 アリシドが信じたことを、幸も同じように信じようとした矢先。


 『青い葉』の可能性が僅かでも幸の中にあるのだとしたら、きっとどうにか切り抜けられるはずだと――そんな淡い期待は儚い早さで散った。


 結局アリシドが見たものは夢に過ぎず、訓練さえ受けていない幸が、簡単にどうにか出来る事態ことではなかったのだ。


「――我の剣を受けること、光栄に思うが良い」

 

 葉を踏む音がやけに耳についた。


 だが首すら重く感じる幸は、避けることも逃げることもままならない。


 ただ終わる瞬間を甘んじて受ける覚悟もないまま、静かに涙を堪えるしかなかった。


 ――――――悔しい。


 自分が無力なのは当然の事実だが、それでも幸は言いようのない悔しさで胸を焦げつかせた。


 死をもってアリシドに託された罪が、幸にのしかかる。


 これほどの感情を持て余したことがなければ、これほど腹が立ったこともない。


 『可能性』頼りで何も準備していなかった自分の腑抜けた精神に対して、一番腹が立った。


 悔しさの余り、幸が土を握りしめていると――


 ふいに、赤髪の痛いほどの殺気が、和らぐ気配がした。

 

「……なんだ、これは?」


 赤髪は驚くような声を発したあと、落ち着かない様子でその場を歩きまわる。


 そして落ち着きのない足音が止んだ時、風向きは変わった。


 足早に幸を通り過ぎた足音が、アリシドの墓標に向かう気配がする。


「――まさか、これは墓なのか?」


 訊ねられても、幸がすぐに答えられるはずもないのだが――しかし、気の短い赤髪は、幸の状態など気にもせず再び訊ねる。


「おい、われが墓かと聞いておる。返事をせぬか」


 苛立ちを含んだ赤髪の声。


 幸は微睡まどろみながらも、なんとか「あ――」と、返事にもならない細い声を出した。


 すると、赤髪はあからさまに焦り始める。


「なんだお前、人を殺していたのか? 血の臭いなど全くしないと思っていたが、珍しくわれの勘が外れたか? これではあいつとの約束を破ってしまうではないか。面倒な事になったな……だがまあ――致し方あるまい。お前も運がなかったと思え」


 赤髪の男は身勝手に言い放って、足早に遠ざかっていった。


 幸はなんとかとどめを刺されずに済んだもの、ろくに手当も出来ないこの状況で、なんとかなるはずもなく――ただ土に体温を奪われるしかなかった。


 幸の濁った世界が、さらに真白く霞んでゆく。


(……なんだか、もう……面倒、だ……早く眠りたい……)


 何もかも放棄しても良いと言うのなら、それはそれで有難い気がした幸は、静かに意識を手放していった。




***




『――――コウ君?』


 眠りから醒めきれない幸の耳に、よく幸を追いかけてきたクラスメイトの声が響いた。


 柔らかな温もりに抱かれているような感覚に、幸は自然と顔をほころばせる。


 ――――なんだか暖かいな。それに柔らかくて気持ちいい。


 呟けば、どこかで聞いたことのある声が笑う。


『コウ君が笑うなんて、珍しいじゃん』


 ――――そうだろうか。俺はそれなりに笑っていたと思うが。


(それがたとえ、偽物だったとしても)


 幸がすがりつくようにして柔らかな壁に触れると、温もりが少し遠ざかった。


 幸を包む人肌のような優しい温度が、土の冷たさに変わる。


 よく知るクラスメイトは悲しい声でこぼした。


『嘘つき。あたし、知ってるんだからね。コウ君はいつも――』


 ――――アタシのこと、見下してたでしょ?


 悔恨のこもった声を最後に、幸は弾けるように夢から抜けた。


 起き抜けの目に、夜をひらいた朝日の洗礼が突き刺さる。


 気づけば、幸の頭は布越しの柔らかい膝の上にあり――その慣れない感触と甘い香りに動揺してしまう。


「――起きたか」


 困惑する幸に降り注がれる、高く清々しい少女の声。


 声につられて見あげると、同級生によく似た顔が幸をのぞきこんでいた。






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