第15話 異世界での役目はこれでいい
「立てよ、ガキ。俺は『殺し合い』なんてものには興味はないが、ちょうど退屈していたところだ」
傷だらけの男の好戦的な視線に晒されて、幸は剣を浴びせられた錯覚を覚える。
座ったまま後退するもの、獲物を逃すまいと光る鋭い眼に縫いとめられ、体が言う事を聞かなかった。
距離はあっても、喉元に刃をつきつけられているような感覚。
言い逃れできるような気もしない。
「――ゲイン様、どうか剣をお納めください。『
衛兵たちは男の殺気に怯えながらも、慌てて止めに入る。
だが一度火がついたら収まらない性質の男は、邪魔をするなとばかりに周囲を睨みつけて黙らせた。
「
「ゲイン様ッ!」
傷の男は身勝手に言うなり新しい剣を抜き、黒い柵に向かって双剣を振りおろす。
一瞬、柵には十字の亀裂が入るもの、すぐにそれは溶けるようにして消えた。
「術が施されているのか。面倒だが――術式ごとぶった斬るか」
「おやめください!」
「ゲイン様!」
傷の男が不機嫌に舌打ちする中、恐怖で縮こまる幸の前を、細い影が遮った。
幸を背にかばうようにして立つ優男。
「――お待ちください」
幸が目を丸くする中、目の前の優男――アリシドはちらりと幸を見たあと、傷の男と向き合う。
その肩は、小刻みに震えていた。
「なんだお前、こいつの仲間か? 『鳥籠』で仲良しごっこたぁ、大した余裕だな」
「田舎者の弟が世話になっていたようなので」
「弟?」
傷の男が訝しげに目を細める。
アリシドは視線を男の足元に落としながらも澱みなく答えた。
「これは、ウェルガルから私を追いかけてきた弟で……僕が不甲斐ないばかりに、心配してついて来てしまったんだ……悪気のない子供のすることなので、無作法を許していただけないだろうか」
「それにしちゃ、お前らちっとも似てねぇな」
「孤児院で育った兄弟だからね」
「ほお……兄弟、ねぇ」
――――張りつめた沈黙。
そのうち傷の男は気持ちが落ち着いたのか、ようやく双剣を収めた。
だが決して納得したわけではない。
「お前がこいつをかばう理由は俺にはわからんが……俺はあの女と違って、お前のような『弱者』をいたぶる趣味もないんでな。ここは退いてやる。だが――」
男は背中を向けて、より凄みのある声を響かせる。
「残っていた時は、覚悟しろよ」
物騒な言葉を残して、傷の男は去っていった。
幸はいまだ恐怖の余韻で足に力が入らず、アリシドの手を借りて立ち上がる。
また衛兵たちも静かに持ち場へと戻っていった。
それから幸はアリシドに連れられて、近くの雑木林に身を潜めた。
周囲を確認したあと――ようやく緊張が解けたアリシドは小声で怒りを
「君はどうして僕の国を
「……ごめん。俺の国は地図にも載っていない国なんだ。あんたの国のほうがよほど信用されるかと思って」
「地図にも載せてもらえない小国か。それは屈辱だな――しかも、まさか『傷の大尉』に目をつけられるなんて……仮に君がこの先『殺し合い』から脱出できたとしても、長生き出来そうにない」
「さっきのやつは、『傷の大尉』って言うのか? 前に会った女神様よりも……強そうだった」
「実際、どちらの実力が上かはわからないけど――ああ見えて、常識人だからね。好戦的でも、人殺しを好んでやるような男ではないから、国王陛下には煙たがられているんだよ」
「……俺は殺されるかと思った」
「君は他の人間とは違う、独特の空気を持っているから。好奇心を刺激されたんじゃないのか? お気の毒に」
「空気で刺激とか、俺は存在するだけでも苦労だな。――それはそうと。アリシドは他人のために動くときは――思い切りがいいんだな」
「よく言われる。だからこそ、今回の役目も僕が適任だと思ったんだが……そう上手くはいかないものだね」
アリシドは弱気を吐いた。望みの薄い幸の意見に乗ったふりをして、本当はどこか諦めた顔をしている。
だから幸は、ひと晩寝ないで、自分のやるべきことを見出した。
アリシドはおそらく一生かかっても人は殺せない。
幸は自分の価値について考えていた。
元の世界に帰れる見込みもなく、何も持たない幸が唯一持っているものと言えば――。
「……俺があんたを変えてやるよ」
幸はそう呟きながら、剣の柄を握りしめる。
アリシドは幸に対して、なんの警戒も見せずに隙だらけだった。
今なら、子猫でも傷を負わせることが出来るだろう。
幸のことをいまだにアリシドは子供だと思っているらしい。
幸は覚悟を決めるように息を吐く。
そんな幸の微妙な変化に気づかないアリシドは、何も知らずに笑っていた。
「殺しをしくじった相手に言われるのも複雑な気持ちだ」
「それだけじゃない……あの時、あんたに必要なのは勢いだったんだ。俺は起きて応戦するべきだった。そしてあんたを追い詰めるべきだった――」
「突然、何を言い出すんだい?」
「ごめん」
幸はアリシドの喉元を剣で押さえる。
生まれて初めて手にした凶器――それでアリシドを救えれば、と幸は思う。
「――なッ……君、正気か?」
アリシドは衝撃と、そして裏切られたショックで息を止めて見開いている。
だが幸は動揺するアリシドをじわじわと追い詰めながら、さらにアリシドの腹に膝を入れた。
他人に危害を加えること自体が初めてだというのに、幸の内心はやけに落ち着いている。幸は常に自分の行動の先にあるものを見ていた。
「――ッ……」
幸が剣をおろすと、アリシドはその場にうずくまる。
「どうして……今さら……」
悲しげに見あげるアリシドに、幸は無表情を保つ。
――――武器が欲しかった。
アリシドを恐怖で追い詰められるだけの、物騒な
それに人を殺せるだけの勢いが――欲しいと思った。
思えば、いくら生きたいと願って、生き残ったところで、今の幸には何もない。
『殺し合い』があるような世界で怯えて逃げ回るくらいなら、アリシドを生かすために死んだほうがよほど有益だという結論に、幸は辿りついたのだ。
だから幸は初めて他人に危害を加え、そして初めて他人のために動こうと決意する。
「どうしてこんなことを……? 一緒に逃げる方法を考えてくれたんじゃないのか?」
「俺はあんたを殺す道具が欲しかった――それだけだ」
嘘には慣れているだけあって、すらすらと口をついた。
剣の扱い方を知らない幸は、適当に振って、アリシドを叩きつける。
これで少しは危機感を覚えれば良いと思う。
「……僕はまんまと君に騙されたのか……?」
豹変した幸を見て、アリシドは寂しげに自嘲した。
こうやってアリシドは自分の弱さばかりを見せて、優しさに甘えていた。
それに幸も頼り切っていたわけだが、
(もしかしたら俺は、アリシドを助けるために異世界へ来たのかもしれない)
幸はこの残虐な町に来た理由を、そう解釈し始めていた。
アリシドが一人で出来ない仕事を助けるための発破役。
それが幸にとって価値のあることに思えたのだから、やらないわけにはいかない。
幸が何度も剣を光らせると、さすがのアリシドも必死で逃げ回った。
傷の男とやりとりした反動なのか、アリシドはひどく汗を滴らせている。
傷の男とまともに目を合わせることも出来ないというのに、彼は立派に幸を救って見せた。
アリシドは優しさで戦うことが出来る人間なのだ。
「俺があんたを殺せば、あんたの代わりに、誰かがまたここに来るんだろうな。その時は俺の口から、あんたの死にザマを伝えてやる」
「僕のあと……」
(そうだ。『殺し合い』が定期的に行われているのなら、また別の誰かがここに来ることになるかもしれない。だから、あんたは『人を殺すこと』に慣れなければいけないんだと思う。今日も、そしてこの先も――)
幸は勢いをつけてアリシドの肩を斬る。アリシドは歯を食いしばって、幸を睨みつけた。
「ああ、そうか――僕はここで死ねないんだ」
よくある物語では、大事な人を守るために英雄は立ち上がる。
アリシドであれば、きっと幸ではない誰かのためにも動くことだろう。
そして幸の思惑通り、アリシドはその目に鈍色の光を宿らせて、静かに剣を抜いた。
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