第14話 いつでも言い訳が苦しい
***
「本当に逃げられると思うかい?」
相変らず迷ってばかりの顔色で、アリシドは外へ通じる扉に手をかけた。
ここぞという時の決断力が弱いのだろう。
だからこそ、幸も殺されずに済んだのだが。
「ものは試しだろ。殺したくも、死にたくもないなら」
幸は数日ぶりに隠れ家を出て、土を踏む。
カビ臭すらしない快適な地下室に比べ、外のほうが肌寒い。曇りがちの空は、いつでも降り出すような気配があった。
アリシドの後ろについて町を出ると、ものの三十分ほどで高い
『殺し合い』が行われている町は
まるで牢獄の町だ。
壁のところどころには、鉄柵の出入口が設置されている。柵の隙間から、重たげな鎧を纏った兵士が見えた。
「あの人たちと話すことは出来るのか?」
木陰で幸が声量を落として訊ねると、アリシドは頷く。
「まあ……警戒はされると思うけど、出来なくはないだろう。彼らの仕事は参加者を逃がさないことで、殺しは国王陛下と女神様の仕事だから」
「あの人たちも……あんたみたいに、誰とでも言葉を交わせる術をかけているのか?」
「勿論だ……君もここへ来た時に声くらいは聞いただろう? 参加国の
「ああ、そうだったな」
幸はとぼけたふりをして笑う。内心を隠すのは久しぶりだが、こなれた笑顔は、むしろアリシドに違和感を持たせてしまったらしい。
「……君は……」
「それよりアリシド」
幸は意識をそらすため、強引に話題を変える。
「薄紅色の葉っぱをつけた木は、ここの名物なのか? 他の色を見たことがないが」
「名物? なんの冗談だい?」
話を切り替えるつもりが、余計な不審を煽ってしまったらしい。アリシドの
「ごめん……俺は今まで、自分の国を出たことがなかったから……よくわからないんだ」
「だからって……
「……そんなところだと思ってくれていい。狭い世界で生きてきたには違いない」
「そうか。なら、これ以上、君の素性に触れるのはやめておくよ。他人の傷をえぐるのは趣味じゃない。――それで、ここにある木だけど。これは王樹と言って、王によって色を変える、国の象徴みたいなものさ」
「王によって?」
「そうだ。正確には、王の色を葉につける木さ。王樹は、その国が誰に治められているかを示す」
「だったら、王が変われば枯れるのか?」
「いいや。代が変われば、新しい王の色を吸収して葉の色を変える――そういう木なんだ」
「……そうなのか」
幸は王樹の話に何か引っかかりながらも言葉を切った。
処刑の期限が迫る今、無駄話も長々とはしていられない。
「アリシド、あんたはここで待っていてくれ」
周壁に近い木陰から、幸は踏み出しながら告げる。
アリシドはやや狼狽えながら周囲を見回した。
「君……一人でどうする気だい?」
「まずはあの服を調達してくる」
「どうやって?」
幸は不安を上手に隠し、何も言わずに
「――あの、ちょっと……」
「なんだ、お前は」
予想はしていたが、幸が話しかければ、衛兵の一人が嫌そうな顔をする。
だが決して友好的な態度ではないもの、周壁があるせいか、思ったほど警戒はされなかった。
また幸も、殺される相手ではないと知れば、そう怖くはなかった。
すでに何度も死地に立たされたせいか、妙に肝が座っていた。
「あんたたちにお願いがあるんだ」
「……ふっ、お願いだと? 助けてくれと言われても困るな」
衛兵たちが馬鹿にしたように鼻で笑い始める。危険のない外にいる人間だけあって、『殺し合い』は他人事らしい。
だが警戒され、全く相手にされないよりはマシだった。
幸の双眸が僅かに光を帯びるもの――したたかさは綺麗に隠し、幸は憔悴した顔を作って見せる。
「俺、いきなりここに連れて来られてさ、何も持ってないんだ。ほんとに困ってて……悪いけど、武器と鎧一式を貸してくれないか? もし殺されたら、回収でもなんでもしてくれて構わない。どのみち女神様に殺されるだろうけど――いくら弱くたって、まるごしでやられるなんて無様だろ? 国の
「そんなことを言われてもな……」
他人事と笑っていた衛兵たちが、顔を見合わせる。
人を小馬鹿にはしても、それほど悪い人間でもないらしい。
衛兵たちは密やかに相談を始めた。
『たとえ自国の鎧を着ても、囲いの中では誰もが殺し合いの参加者だ。渡してもいいんじゃないか?』
『だが万が一ということも……』
『しかし、こんなひょろっちい子供が、ただ殺されるのはな……』
『ほんとに、えげつねぇ国もあるもんだな』
『違いねぇ』
『誰か、武器くらい貸してやれよ』
『これも支給品だろ。俺はイヤだからな。お前がやれよ――』
「――お前たち、なんの相談だ?」
落ち着いた低い声が風のように吹き抜けた時、衛兵たちが相談をやめた。
静かな海を割るようにして現れたのは、濃い肌色の男だった。
珍しくも鎧を
傷の男は地位ある人間らしく、衛兵たちは
予想外の出来事に、幸は溜め息をつきたくなる。
「なんだ? こいつも参加者か? こんな子供を見た覚えはないが……お前、どこの国のモンだ?」
傷の男は柵越しに幸を観察してくる。
決して睨みつけてくるわけではないもの、ただ見られるだけでも強烈な威圧感があった。
だが幸も退くわけにはいかず、男の顔色を読みながら唯一知っている国を言う。
「ウェルガルだ」
「……ふーん。まあ確かに、ウェルガルの参加者は細かった気もするな。――が、参加者には、お前のように丸腰のやつはいなかったぞ」
「そうか?」
幸は肯定も否定もせず、男を見る。
いったん退くことも考えるが、それも不審に思われることだろう。
背中に嫌な汗をかきながらも、幸は交渉を続けた。
「俺はこの小さい体を活かして、隠れてなんとかここまで生き残れたけど――それも、いつまでも続かないだろう。どうせ死ぬなら足掻くだけ足掻いて死にたい。だから鎧や武器を分けてもらいたかったんだが……でもそれが無理なら、このまま行くよ。俺の最後の夢だったけどな」
ここは泣くべきか、さすがにそれはやりすぎか、と思いながら幸は黙り込む。
沈黙が降りると、衛兵の一人が憐れむような顔で傷の男に耳打ちした。
傷の男は面倒そうに頭を掻いて剣のひとつを放り投げる。
細い両刃の剣は柵をすりぬけて、幸の前に落ちた。
「それをやる。だが、鎧は渡せない。鎧は、衛兵たちが王から賜ったものだからな。――お前が子供で良かったな。こいつの子供が、お前と同じくらいなんだそうだ」
さっきまで笑い飛ばしていた男の一人が、何か言ったらしい。傷の男は、静かに笑みを浮かべた。
渡されたのは剣一本だが、幸は何も言わずに地面のそれを拾う。
鎧は貰えなかったが、不満はなかった。
アリシドには言っていないが、幸が本当に必要としていたのは『武器』のほうだった。
幸がこれから行う仕事のことを考えながら剣を見つめていると、傷の男が幸に一歩近づく――。
「それにしてもお前」
顔をあげると、柵を挟んだ幸のかたわらに、いつの間にか傷だらけの男が立っていた。
幸は男の剣呑な目を間近にして、咄嗟に座り込む。
刹那、頭上で男の剣が柵をすりぬけた。もしも体勢を崩していなければ、胸を刺していただろう剣を見送りながら、幸は遠くに身を転がす。
距離をとった幸が、再び見あげると、傷だらけの男はギラギラした目で笑っていた。
「やはりな――お前、普通じゃないだろ?」
「……何をいきなり……」
幸だけでなく、周囲の衛兵も狼狽えて顔を見合わせる。
はたからみれば、偶然、幸が腰を抜かしたように見えただろう。
だが傷の男だけは、そう思わなかったらしい。
「まともな人間だったら、俺と長い時間、目を合わせるなんてマネできねぇよ」
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