第13話 イカれた町を離脱したい


 静かすぎる朝。


 幸は恐怖映画でも見たような気の重さで寝室を見回す。


 端のベッドにアリシドの姿はない。


 複雑な心境で寝室へやを出ると、アリシドは朝食を用意していた。


 声をかけようにも、なんと言って良いのかもわからず、幸は与えられるがままにブツ切りの野菜を緑のディップソースにつけて食べる。


 窓のない地下室でも、圧迫感など感じたりはしなかったが、初めて重圧に押しつぶされそうな気がした。


 そしてようやく沈黙を破ったのは、アリシドだ。


「どうして何も聞かない? ……あの時、本当は起きていたんだろう?」


 朝食の席でずっと口を閉ざしていたアリシドが、久しぶりに声を聞かせたかと思えば、あえて幸が避けていた話題に触れた。


 アリシドの言う『あの時』には、勿論心当たりがある。


 夜中に受けたまさかの襲撃。


 その相手がアリシドだというのは子供にでもわかる状況ことだった。


 危険が迫ればしらせる仕掛けを作ったのは、幸を油断させるための小細工だろう。


 それでも幸はまだ、アリシドを恐ろしいなどとは思わなかった。


 滝のような汗をかいたせいで体が気持ち悪いのは、逃れようのない事実だが、むしろ幸はアリシドの『弱さ』を確信していた。


 短い逡巡のあと、幸は糖度の強い乾燥果実を飲みこんでは口を開く。


「――アリシドには人を殺せない」


 すすり泣く声を聞いた時はバツが悪かった。


 だが他人の空気が嫌でもわかる幸が理解するにはじゅうぶんだった。


 幸が図星をつくと、アリシドは暗い顔で幸を睨んだ。


「それは……はっきりと言ってくれるね。そんなこと、どうして君にわかるんだい? 偽りの優しさに騙された君は、さぞお人好しなんだろうな。だが世の中そう甘くはないんだよ」


「俺もだけど……あんたみたいな人は早くここから離脱したほうがいい……と思う」


 幸が逆なでしたことで、アリシドはテーブルを叩きつけて激しく立ち上がる。


 それでも恐怖を覚えない時点で、幸はアリシドの『敗北』を悟る。優しい反面、幸よりも弱い本質が露呈ろていしていた。


「君に何がわかるッ!」


 嵐のような激高は、不安の現れだろう。


 そもそも幸は、『仲間が欲しい』と言われた時点で違和感があった。小さな力を集めたところで、大木を紙のように扱った強者てきを倒せる気がしなかった。


 切羽詰まった人間ならば、まず幸を殺すことだけを考える。


 しかし、アリシドは貴重な時間を使って幸に活かす術を教えた。


 他者に見つかれば、いつ終わるとも知れないかりそめの平和の中で――幸に『生きて欲しい』と願っているようなものだ。


 幸を殺すチャンスを自ら逃したアリシドが、この先無事でいられるはずがない。 


「アリシドは良い人だ――俺なんかと比べものにならないくらい」


「僕を馬鹿にしているのかい? 君なら僕を殺せると? 『何も知らない』と、あれほど怯えていた君が?」


「……あんたが俺を殺すよりは、確率が高いと思う。今すぐ殺せと言われたら、きっと俺は生きるためにあんたを殺す……実際やってみないとわからないが……俺はいつでも感情を切り離すことが出来る人間だから」


 幸が冗談などではないと見据えれば、アリシドは固唾をのんであとずさる。


 恩人であるアリシドには知ってもらうべきだと思った。


 不安要素がすぐそばにある現実を理解しなければ、アリシドの目はいつまでもぬるま湯に浸かったままだ。


「だからといって……俺があんたを殺したいとは言っていない。俺はこれでも……あんたに感謝しているんだ。今まで俺は他人に対する親切を、生活上のルールだと考えていたが……ここ数日で、優しさに対する意識が変わった。だからあんたには、その恩を――受け取っただけの力を返したい」


「……変わった考え方をする人だね、君は」


「ここに来て変わったんだ」


 距離をとっていたアリシドが、溜め息をついて椅子に座った。


 自分に対して落胆している感情が、幸にも伝わった。


「それと、俺はこんな殺伐とした国で願いを叶えるよりも、あんたの国で生活する権利が欲しい。そのほうが、よっぽどまともな暮らしが出来そうだ」


「ああ、島は若い働き手が少ないから、君みたいな人は歓迎だ。……くそ、これが普通の状況なら、泣いて喜ぶべき場面だが……このままでは若い担い手は減る一方だ」


 自分の弱さを認めたアリシドは、両手で顔を覆い項垂うなだれる。


「アリシド……この処刑が終了するのはいつだ?」


「処刑と言わないでくれ……気が滅入る」


「言ったのはあんただ」


「それはそうだが――終わりは明日の早朝……日の出とともにだよ」


「その時、参加者がこの町にいなかったらどうなる?」


「逃亡は考えるだけ無駄だよ。言っただろう、『棄権出来ない』って。――町の周囲は衛兵で固められているから、逃げる前に捕まる」


「……だったら、その衛兵の服を盗んで潜伏するのは? 俺が参加者に加わっているくらいだ――人相かおのチェックがないなら、棄権を悟らせなければいい」


「君は簡単に言うが、衛兵を細腕二人でどうにかできるとでも?」


「あんたや俺にとっては、きっと人を殺すよりも簡単なことだ。殺せないなら、死ぬ気で別の方法を探すしかない。それでどうしても駄目なら――俺が死ぬ」


「君が……なんだって?」


「本当に死ぬわけじゃない。死体を偽装するだけだ」


「……死体を偽装、だなんて……おかしなことを言う。バレたらどうするつもりなんだ?」


「バレればどっちも死ぬ――だから死ぬ気で考えるんだ、生き残る方法を」


 幸の胸は、これまでにないほどいでいた。


 考えるほどに冷たさを増してゆく頭では、自分がどこまで堕ちることが出来るかを考えていた。

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