第16話 今わの際で覆してほしくない
「僕は思い違いをしていたようだ。……君は僕の同胞じゃない。それどころか、味方ですらなかったんだね」
アリシドは苦しげに言って、
針のように細いレイピアは、人を切るのではなく、刺すことでダメージを与える道具だと、アリシドが教えてくれた。
いっそひと思いに殺して欲しい――幸はできることなら、苦しむ暇もなく死にたいと願うもの、アリシドが再び悩むかと思うと、余計な言葉を口にすることはできない。
さすがに自分の死に際を考えるとゾッとしたが、それでもアリシドが生きるべきだという結論は変わらない。
幸が心の奥底から誰かの手助けをしたいと思ったのはこれが初めてだった。
自分以外のことを考えて動くことが、これほど胸を温めることだとは知らなかった。
そうやって思考を巡らせる間にも、アリシドが厳しい顔で連撃を繰り出した。
幸はアリシドの表情から目を離さず、次の行動を予測しつつ剣を適当に振り回す。
すぐに降参しても良いのだが、無抵抗すぎることで、幸の
「もう終わりかい?」
さすが『殺し合い』のある世界で生きる人間だけあって、アリシドは身のこなしが軽やかだった。
気の弱さを除けば、それなりの使い手なのかもしれない。
剣など扱ったことのない幸では、アリシドの力量までは知ることができないもの――――それでもアリシドの攻撃を避けるのは、行動を予測できる幸でも厳しい。
「――う……」
いつしか幸の体力も落ちて、アリシドの剣が腕に刺さる。
本能的に逃げそうになるもの、なんとか堪えた。
いくら幸がアリシドに生き残ってほしいと考えても、生存本能に抗うのは難しい。恐怖から目を背けることができない幸は、つい自分が生き残る道を考えそうになる。
(あまりに長引くと、俺の精神が耐えられない)
幸はタイミングを見計らって、アリシドの剣を受ける。バレないようにさりげなく自らレイピアを受けた幸は、傷の男から貰った剣を落とした。
「いッ……」
自分から攻撃を受けたは良いが、手を打たれた痛みは予想よりも鮮烈な熱を伴い、幸は目の端に涙を浮かべた。
だがギリギリで耐えた幸は、これ以上恐怖に侵食されないように、頭をからっぽにする。
空はそろそろ最後の夜を迎える。
このまま上手く事が運べば、朝にはアリシドが無事に帰ることができるだろう。
しかし、相も変わらず迷いの多い男は――そのうち勢いを落として、追い詰めた幸に
迷いに揺れる目の色を見て、幸は苛立ちさえ覚えた。
決意させるためには、幸が意地を見せるしかなかった。
逃げることをやめた幸は、アリシドの懐に飛び込むと、その細い首を両手で締め上げた。危機感が足りないのなら、本気で殺しにかかるしかない。
アリシドの首を押さえつけた時、幸の胸がひどく痛んだ。
他人から危害を加えられる以上に、危害を加えることは恐ろしく――迷うアリシドの気持ちもわからなくもない。
だが、幸は泣きたい気持ちに蓋をして、アリシドの首を絞め続けた。
長引くほどに幸の死に対する恐怖は増してゆく。
気が狂いそうになる中――――ようやく動き出したアリシドが、幸の腹を蹴り飛ばした。
今度こそアリシドは、確固たる意志をもって、地面に転がった幸にレイピアを向ける。
「……これで終わりだね」
アリシドの淀みのない眼差しを見た瞬間、幸は自分の役目が終わったことを悟る。
幸の全身から力が抜けて、泣きそうながらも自然と笑みを浮かべていた。
「あーあ、残念だ。お前みたいな奴だったら、どうにかなると思ったけど、人を陥れるのは、案外難しいな」
幸が悪態をつくと、アリシドは暗い顔で口角をあげた。
「リビンレストの教えでは、誰かの死を背負う時、その者の願いをひとつだけ叶えなければならないんだ。最後に何か言ってくれると有難いが」
「願い……ね。だったら、なるべく苦しまないように殺してくれ」
幸が目を瞑ると、小声の肯定が聞こえた。
幸は全てを投げ出すように仰向けに寝そべる。
これで全てが終わるのかと思うと、急に
世界ががらりと変わって、誰かがそばにいる有難さを嫌というほど思い知り、初めて家族に対して感傷が持てた。
――――すべてはアリシドのおかげだ。
風に身を委ねて幕が降りるのを待つ幸。
頭上で、アリシドが動く気配を感じた。
いよいよかと思うと、幸の肩が強張る――。
想像を絶するような痛みが来る前に、耳元で石を弾くような音がした。
幸は物音など無視するもの――どんなに待っても何も起こらないことを不審に思い、片目をわずかに開く。
――――が、視界にアリシドはいなかった。
「アリシド?」
幸は慌てて起きあがる。
すぐかたわらには、背中を丸めて嗚咽する男の姿があった。
何がどうなっているのかもわからず、幸が動揺していると、アリシドは心の内を漏らすように呟く。
「ああ……神よ……あなたは……このために僕を選んでくださったのですね……」
「アリシド……?」
幸が必死になって引き出したアリシドの殺意が完全に失われていた。
焦点の合わないアリシドに対し、どう声をかけるべきか悩んでいると――アリシドはかつてないほど意志の強い眼差しで幸を見返した。
「アリシド?」
幸が声をかけると、アリシドは右手を持ち上げる。
そこに握られていたのはレイピアではなく、深い空のように青い葉だった。
「ああ、殺せるわけがない。……こんな奇跡を前に……僕が君を殺すわけがない」
「アリシド、何を――」
女神よりも、傷の男よりもずっと、強烈な意志を宿す眼――これほど迷いのないアリシドを見るのは初めてだった。
気でも触れたのか、アリシドは大声で笑う。
幸の頭から血の気が引いてゆくのを感じた。
せっかく大変な思いをしてお膳立てをしたというのに、土壇場になって覆すつもりなのか――アリシドはレイピアを自分の喉に当てた。
「落ち着け、アリシド! 殺すなら――俺を殺れよ! 俺には何もないが――あんたにはやらなきゃいけないことがあるんだろ?」
「いや……君が死ねば……きっとこれから先多くの命が失われることになるんだ」
「何を言ってるんだ、目を覚ませアリシド――」
幸が一歩近づけば、アリシドは剣先を喉に沈ませた。
細い首から血の糸が滴る。
本気だと悟った幸は、それ以上近づくことを止めた。
幸が唇を噛む姿を見て、アリシドは優しげに笑いながら、涙を落とした。
「教えただろう。王樹は王の色に染まる――これは、君の可能性なんだ。僕が――いや、皆が待ち望んでいた奇跡の色だ」
アリシドは青い葉を落とした。
風に乗った青い葉は弧を描きながら舞って、桜色の落ち葉に重なる。
そこでようやく幸は思い出す。
自分に襲いかかった女神が大事そうに抱えていた青い葉のことを。
アリシドの言う意味は理解しかねたが、葉の色が違うことは、この世界では衝撃的なことらしい。
幸は口を開くもの、混乱した頭でいくら考えても、かける言葉が見つからない。
幸が絶句する中、アリシドは泣きながらも、なぜか幸せそうな顔をする。
「どうか……これから君に罪を背負わせてしまうことを、許してほしい。そして君がもし僕の願いを叶えてくれると言うのなら――――僕の代わりに、子供たちを助けてくれ」
最後に悲痛の声を放ったアリシド。
その直後、幸の視界が血の色に染まった。
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