第9話 いくら罠でも引き下がれない
「聞こえたよね? 君も参加者かい?」
町で最初に声をかけてきたのは、戦場がどうにも合わない男だった。
ホテルのコンシェルジュのように上品な佇まい。髪は後ろにまとめられ、鎧は新品の色をしていた。
声は強すぎず、しかし潔い口調で――警戒する子供を丸め込もうとでもするような物腰だ。
殺意は見えなかった。
正確には、男の本心をはかりかねていた。
男は迷いの色が濃く、他の感情が隠れてしまっている。
何を迷っているのかはわからないが、今すぐ幸に危害を加える様子はない。
だからといって、『殺し合い』の場にいる男に気を許せるほど幸の頭は平和でもない。
相手は何かを企んでいるに違いないが、おそらくは気が弱いのだろう。異世界で会った人間の中で、一番幸に近い人種のような気がした。
幸が探りを入れる中、男は返事を待たずに喋り始める。
「こんなところに隠れていても、仕事は終わらないよ――かくいう僕も、君と同じなんだけどね」
男は肩を竦めて自嘲する。
安心とまではいかなくとも、幸は肩から少しだけ力を抜いた。
幸に特殊なセンサーが備わっているとはいえ、
だが逃げ回るだけで事態が好転するとも思えず。
(情報収集をしたい……こいつを……利用、できないか……?)
何を食べて良いのかもわからない世界で、何も知らないわけにもいかない。
必要な情報を手に入れるなら今だと、幸は腹をくくる。
「……すみません、俺は『参加者』じゃないです」
初めて発した幸の声に、男は不思議な顔をしていた。
「どうして謝るんだい?」
「今、あなたの期待を裏切ってしまったようなので……」
「僕の期待を裏切ると謝るのかい? よくわからないな」
「……俺がいた場所の……習慣、です」
「まるで貴人を前にした奴隷だね。他人の感情に振り回されるのは面倒そうだ」
「俺がいた場所では、大人になるほど他人との摩擦を減らすために相手を尊重する……ので」
幸は慎重に言葉を選ぶ。
文化が違えば、会話さえも微妙に違ってくるのだろう。怪しまれないよう必死だった。
男の顔に色濃く出ていた迷いが消えた。
幸の言い分に興味を持ったらしく、男は
「なるほど、他人に嫌われるのが怖いんだね。僕からすれば、臆病な民族だと思うが……国によって風習はさまざまだと聞く。君の国ではそれが大切なことなんだね。ひとつ勉強になった。まあ、君が低い身分の者だとは
幸が返す言葉を見つけられないでいると、男は自ら結論を出す。
「ならば、君は僕と同じ聖職者なのかい?」
「……聖職者」
男の身分を聞き、幸は得心が行く。
他人を傷つけそうにもない顔をしているのは、仕事柄だろう。
異世界での聖職者が、幸の国と同じように生を尊ぶかどうかは未知だが、少なくとも血の臭いはしていない。ただし、女が言った『殺し合い』というものにどう関わっているかは見極める必要があった。
上手くいけば、生きる手立ても見つかるだろう。幸の前には、確かに好機の糸がぶらさがっていた。
男は緊張しているらしく、一人でよく喋った。
言葉が理解できるのは、何よりも有難い。剣士の女が言っていた、『誰とでも会話ができる何か』がこの男にも施されているに違いない。その辺も詳しく知りたかった。
「どこかの国では、聖職者は黒を纏うと聞いた。君も僕と同じく、国益のために連れて来られたんじゃないかい? 本当に困ったものだね、この国の王様は。血を見ることしか考えていない……」
「国のため……」
幸は否定も肯定もしない。
仮にこの場で『異世界から来た』と言っても、おそらくは理解してもらえないだろう。相手が勘違いしているというのなら、このまま話に乗ったほうが話もスムーズに運べる――幸はそう考える。
頭のおかしい奴だと思われでもしたら、会話を強制終了される可能性がある。
だが、ただの他所者であれば、何を知らなくてもおかしくはない。
幸は耳にした言葉の断片を拾い集めて整理する。
『殺し合い』『国の為』『連れて来られた』『聖職者』
いっそ全部繋げてしまえば良い。
「……俺は見習いの牧師ですが、偉い人に呼び出されて、そのままここに連れて来られました。でも、今だによくわからないんです」
幸は途方にくれたように、嘆きのため息を吐く。
とりあえず、わかったことだけを並べた。余計なことを言って、何が地雷になるかもわからないのだ。
幸が飛び出しそうな心臓を抑えていると、男はすんなりと納得した。
「やはりそうかい。今回は急を要したことでもあるし、きっと君みたいな人がいると思っていたんだよ。そして探していた」
「あなたも、同じなんですか?」
「僕の場合は、柄にもなく立候補したんだけどね。事情もあったから……でも君、災難だったね。よければ向こうで話さないか? そろそろ日も暮れるし、絶好の隠れ場所があるんだよ」
幸は迷う。
出来れば、この場である程度のことを聞き出してしまいたかった。
下手をすれば、男に案内された先で殺される可能性も考えられる。
不安を隠しきれない幸が押し黙れば――男はがらんどうの町を見渡しながら言った。
「怖いなら、ついて来なくても構わない。明日の早朝にまた、この場所で会うっていうのはどうかな? そのほうが君も逃げ道があって安心だろう? 君が安心できる条件があるのなら、合わせるよ。君のようにまともに相手をしてくれる人が、この先いるとも思えないしね……」
「……いえ。俺、行きます」
幸は逡巡の末、男の誠実さを信用した。
夜に一人でいるほうがよほど恐ろしいことに思えて、臆病な自分を素直に受け入れた。不穏な気配がすれば、その時点で逃げれば良いのだ。
もしも幸に危害を加えるつもりであれば、敵の隠れ家に着く前に殺意が漏れるはずである。そのサインだけは見逃さないようにしなければならない。
「だったら、暗くなる前に行こう。足音もなるべく立てないようについてきてくれ」
「――わかった。でも、俺なんかに秘密の場所を教えて、いいんですか?」
「いいんだよ。そもそも僕は、誰かと手を組むつもりでいたから」
「そうですか」
幸は納得したふりをしながらも、先を歩く男の背中を冷めた目で見据える。
嘘の下手さが自分とは似ていない――などと、内心では思いながら。
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