第7話 生きたい

 

 映像は言葉よりも認識が早い。しかし動体視力を超えれば、認識できるはずもない。


 幸が異世界に堕ちてすぐ。筋肉だるまの集まりに斧をちらつかされたその直後――なぜか男達の頭が忽然と消えた。

 

 残像すら見えず、まるで初めから何もなかったかのように。


 夢としか思えない状況を、幸が現実として受け入れ始めた矢先だった。


 男達の残った体は、重たげな音を立てて儚く崩れた。


 幸運だとは思わなかった。


 むしろ、倒れた男達以上の大物が迫っていることを実感せざるをえない。


 小枝が折れる音がした。それに落ち葉がきしむ音。


 幸は現実から顔を背けるように足元を見る。


 落ち葉の色は珍しく、鑑賞するだけの価値はあるだろう。


 最期に見たものが洒落た薄紅さくら色の葉というのも悪くない――そう自分に言い聞かせながらも、体はどうしようもなく震えていた。


 明るい葉に埋没する死体じぶんを想像した。


 死体からだちて木の養分となる。そうして今度は自分が大地に根付く木となり山となり、新しい死体を吸収することだろう。


 だがいくら考えても、自分が消えてなくなることを認められなかった。


 遠い先にあった死という存在が、触れそうなほど近づいたことで、自分の幼さを痛感する。


 死という未知に対して恐れずにいられるはずもなく。


 これまでは、死について考える自分に、酔いしれていたのかもしれない。


 自分の存在全てを放棄する勇気などなかった。


 思えば安全な檻の中で言い訳ばかりしていた。


 優等生ぶっていたわけではなく、優等生に見える自分が嫌いだったのだろう。だから自分のやること全てに理由をつけていた。


 他人に優しくする自分を馬鹿にして、


 自分が優しくしてやったと他人を馬鹿にして、


 狭い世界を操っているような気になって、


 死をも恐れない自分がカッコイイと思っていたのかもしれない。


 幸はようやく自分の本当の姿が見えた気がした。

 

「――――不思議な色の坊やだねえ」


 幸があれこれ考えているうちに、男達を瞬殺した犯人の爪先が目の前にあった。


 幸は悲鳴を噛み殺して、静かに見あげる。


 黄金色きんいろの鎧を纏った女だった。 


 先ほどの男達ほどではないもの、その女もじゅうぶん立派な体格をしていた。


 右手には刃こぼれで大きく欠けた両刃の長剣を携えている。


 女はその獲物でどれだけの人間を斬ったことだろう。


 ただ、露出の高い鎧には、返り血のようなものがついていなかった。


 そしてふと、幸は思う――。


「あ、あんたの言葉……俺にもわかる……」


 男達の言葉は微塵もわからなかったというのに、なぜか女の言葉は流暢りゅうちょうな日本語のように聞こえた。なまりなど全く感じない。


 同じ言語を使うということは、彼女も同じところから来たのか――そんな前向きなことを考える。


 だがそうではなかった。


「ん? そうなのかい? てことは、あんたは術師かい?」


 見た目の物々しさに反して、女は落ち着いた声をしていた。


 幸は震えながらも、なんとか言葉を返そうと口を開く。


 会話が出来るなら、交渉できる可能性がなきにしもあらず。


 それがたとえノミのような希望だったとしても――。


「い、や……俺はこの土地について何も知らないし、『ジュツシ』というのもわからない。ジュツシって……俺と同じ言葉を話すのか?」


「あはは、術師は人種じゃないし、地方の言葉でもない。あたしは言葉に力を与えてもらっているだけだ。がくがないから、他国の言語はよくわからないんだ。たとえ殺し合いでも、言葉が話せるに越したことはない」


「…………今、なん――――こ、殺し合い……?」


「まあ、あんたが田舎出のお坊ちゃんだってことはわかったよ。普通の男にしちゃ、隙がありすぎるね。だからって――」


 突然、女の目が切れ味の良い刃の色に染まる。


「ここに来たからには、あんたの歯車いのちも貰う」


「嘘だろ……」


 女の周囲に冷気がまとわりつく。強い気迫で溢れていた。


 幸を見おろす真っ赤な目の奥に、血の海を見た気がした。


(クラスメイトを肉食動物に喩えたりもしたが、本物は違うな)


 笑い話のようなことを考えても、笑えるはずもなかった。

 

 そして次の瞬間、幸は女に腕を掴まれるが――恐怖の反動、それとも体の暴走なのか。


 幸は咄嗟に自分を掴む女の手甲を握ると、相手の手首をひねりながら押していた。


 女は背中から倒れる。


 よほど油断していたのだろう、彼女は仰向けで目を丸くしている。


 妹から教わった護身術だが、まさか決まるとは思わず、幸は息をのむ。


 女は立ち上がり上唇を舐める。


「あんた、面白い技を使うね。やわそうに見えて何かあるってことかい。こんなえげつない殺し合いに参加するくらいだから、何もないはずがないか――てっきり、迷い人かとも思ったが、すっかり騙されたじゃないか」


「いや、いま、今のは、違う! 事故なんだ! 俺はただの迷子で、本当に何もわからないんだ!」


 女は警戒して間合いを取りながら両刃の大剣を手に構えた。

 

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