第6話 イキナリむごい



 ジェットコースターが好きかと言えば、こうは嫌いだった。


 安全に対して、完璧な保障を求められないこと。


 管理をおこたらなければ事故はおおよそ防げるにしても、嫌な可能性が僅かでもあれば恐怖した。ついでにそんなことを考える臆病な自分も嫌いだった。


 だが今は当たり前にあった保障もない。


 幸は最も無防備な姿で、右も左もない闇を落下していた。


 命綱なんて有難いものはない。


 たとえ夢だとしても、激流にさらわれるような感覚に背筋がこごえた。


 人は人が支え合っていると書く――小さい頃にそう教わった。


 まさにその通りだ。


 人を物理的に支える物も、人が作っていることがわかる。


 安寧は、大勢の人間が作り上げているものだと、幸は実感していた。

 

 ――――つい今しがたの話だった。


 歯車の監視者と名乗る老女ベルディとの、謎のお茶会。


 彼女はこの世のことわりに反して、幸がふたつに分かれていると説明した。


 そして幸がひとつになるためには、別世界へ引っ越す必要があると。


 無理強いはされなかった。


 最後の選択権は幸にゆだねられた――はずだった。 


 だが右手がひとりでに糸を取った時、幸の視界は吹き飛んで、限りない闇と化した。


 数々かずかず非日常ゆめを目の当たりにして、これ以上驚くこともないと思っていた幸だが、どうやら甘かったらしい。

 

 高所から落下したことのない幸が、身ひとつで落ちるのは初めてだが――物理の法則で地上に引き寄せられているとも思えず。


 これほど長い重力加速に、普通なら生身が耐えられるはずもなく。


 ならば何に引き寄せられているのか。


 それは正直、幸にはわからないが、シアワセな結末を頭で描くことだけはできなかった。


 現状を打破するとすれば、幸が終わりを迎えた時に違いない。

 

 幸は加速の息苦しさに耐えることで精いっぱいだった。


 右手は何かにすがるように黒い空を掴んでいる。


 落ちる場所がどこであれ――恐怖を味わい続けるくらいなら、ひと思いに粉砕されたい。


(もしかしたら、落下の最後に夢の終わりが待っているのかもしれない)


 恐怖を抑制するノルアドレナリンが出たのか、幸の現実逃避が濃くなったところで――視界が柔らかい光に包まれる。



***



「…………う……」


 幸は微睡まどろみながら重い体に力をいれ、ひきつったまぶたを薄く開く。


 容赦ない太陽の眩しさに、再び目を閉じるが――自宅のベッドではないことに気づいて、一気に目が覚めた。


「……なんだ、ここ」


 鬱蒼とした森の中――その土の上に幸は座り込む。


 初夏ほどの心地良い気候だが、湿り気を帯びた雑草と土は、服の上でも冷たい。


 その見知らぬ土地に辿りついた経緯を、幸はあらためて反芻はんすうした。


 学校帰り、黒い着物の少女と出会った後、おかしな老女にとんでもない選択を迫られ――闇に堕ちた。


 全てが夢ではないことに、本当は幸も気づいていた。


 頬をつねるまでもない。


 これほど甘い空気も、刺すような光も、強い――恐怖も、幸は夢で感じたことはないのだから。


 ただ、夢であれば良いと願っていた。


「制服のままかよ」


 酸素を吸収し、二酸化炭素を排出しているのだろうか。深く息を吸えば清々しさで胸が満たされる。


 空は青く、草木があり、川の流れる音がする。


 それだけ見れば、自分のいた場所に似ているが、怖いのはどういう生物が存在するのか。


 言葉を話すことができるのか、そもそもの会話は成立するのか、文明はあるのか。


 同じようで、きっと同じではない。


 老女の言った別世界というものが何か、幸にはわからない。


 しかし幸は自分の知る世界とは違う匂いを、その場所から感じ取っていた。


 なぜなら幸を囲む木々は、全て見たことのない桜色の葉をつけているのだから――。


 そう考えながら、一歩も動けない。


 そんな中、いつまでも行動できない幸の頭上を――突然、細い槍が通り過ぎる。


(いきなり武器かよ)


 槍が向かってきた元を視線で辿れば、鈍色にびいろの鎧で武装した男達が、三人ほど。幸を指さして、会話している。日本語でも英語でもない言葉は、いっさい聞き取れない。


 幸は立ち上がり、低い姿勢で身構える。


 男達は人間とは思えない体格だった。


 小麦肌は、一様に岩のような筋肉の塊だった。バランスが悪いほどに盛られた筋肉は、武器よりも凶器に思える。背もそれぞれ二メートルはあるだろう。


 そんな獰猛な生物達から、幸は一身に視線を集めている。


 人肉を喰らう世界であるというなら、きっと幸は良い餌だろう。


 自分の立つ場所について無知なだけに、嫌な予感ばかりがちらついた。


(……あ、足が動かない)


 視線を縫いとめられたまま、大人しくする幸を前に、男達は輪になって相談を始めた。


 話している内容まではわからないが、良い相談ではないことを肌で感じ取る。


 他人の空気が読めるのは、幸の特技だが、今は何も知らずにいたほうがかえって幸せだっただろう。


 男達が隙だらけの今なら、あるいは逃げられるかもしれない――そうは思っても、足が指令を聞かず、幸の意志を拒絶した。


(糸を勝手に取ったのはお前だろ!)


 恨めしげに見た右手は、小刻みに震えいている。


 自分に怒りをぶつけるしかない自分が情けなかった。


 男達はさんざん話しあった挙句、納得したようにうなずきあう。


 かと思えば、男の一人が巨大な斧を手にし、幸にゆっくりと詰め寄った。


 いくつもの汗が、幸の頬を滑り落ちる。


 すくみあがった心臓を押さえると、自分の動機が耳元で聞こえた。吐きそうだった。


「……いっそ殺すなら、痛いと思う間もなく殺してくれよ」


 なんて弱気を、声にならない声で吐いた――その時。


 幸の眼前から、男達の首から上が消えた。





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