第5話 いざなわれてお茶会


 何もない高架はしで青い花びらが舞ったかと思えば、奇妙な少女に追いかけられた挙句、自分の居場所が変わる――夢。


 自分の置かれている状況を夢だと結論づけてしまうのは楽だった。


 つい数分前までは住宅地にいたこう


 しかし住宅地の景色はどういうわけか一掃され、代わりに分厚い書の山が、幸を高所から見おろしている。


 天井は果てを感じないほど高い。


 だが幸は不思議だとは思わなかった。


 矛盾であってこその夢なのだから。


「ごめんなさいね。残念ながら、夢ではないのよ。ようこそ『傍屋そばや』へ」


 幸の考えを見透かした言葉とともに現れたのは、上品な老齢の女性だった。


 中世貴族のような装い。老婦人かのじょは書物の間を縫い、杖をついてゆっくりと幸の元へやってくる。


火薬かや、ありがとう。もう眠っていいのよ」


 老人が杖で床を叩けば、あざとい着物の少女は、高く積まれた書物のそばで膝を抱えて座り込む。


 目を閉じ音もなく眠る姿は、やけに静かだった。


「良かったら、そこにお座りなさい、『戸沼幸とぬま こう』君」


「座る?」


「そう。あなたのすぐ目の前に椅子があるでしょう?」


 老人が指摘すると同時に、アンティーク風のテーブルと椅子が現れる。


 椅子は座れと言わんばかりに、自分から幸に背中を押しつけた。


「ここは……不思議の国なのか?」


「なら、あなたはアリスかしら? ふふ、可愛らしい発想ね」


 幸が座ると、老人も向かいに腰をおろす。


 老人がテーブルを杖で三度叩くと、紅茶のセットが浮かび上がった。


明里いもうとが喜びそうだ」


「あなたは楽しくないの?」


「……わからない」


「あなたは『楽しむこと』を知らないのね。さあ、お茶をどうぞ」


 幸はティーカップをのぞきこむ。


 カップは見たこともない、赤黒い液体で満たされている。


 ――――まるで血のような。


「本当にお茶なのか?」


「それは飲むあなたが決めることよ」


「あんたは誰だ? 俺にはあんたみたいな知り合いはいない」


「だから夢には出てこない? 夢って、記憶が反映されたりするものね。でも私は、あなたの知り合いでも、あなたが見た映画の登場人物でもないのよ。だって、これは夢ではないんだもの」


「夢の住人が自分を夢だとは言わない」


「あなたがそう思いたいなら、そう思っても構わないわ。だけど早めに現実を受け入れておかないと、あとが辛いわよ。これからもっと大変なことが起きるから」


「大変なこと?」


「少し長い話になるけれど、聞いてくれるかしら?」


「夢である以上、いつ目が覚めるかはわからないが……あんたの話は聞きたい」


「こんなに素直なあなたと話ができるなんて。本当に火薬かやのおかげね」


「そこで眠ってるやつのことか?」


「そうよ。あなたの心と体の繋がりがあまりにも悪いから、この子に繋げてもらったのよ。すっかりこの子のペースに乗せられてしまったでしょう? この子は他人の本心を引き出すようプログラムされたお人形さんよ」


「本心を引き出す……人形……」


「ああ、私ばかりがあなたのことを知っているなんて、フェアじゃないわね。改めて――私はベルディ。歯車の監視者であり、調整人よ」


「歯車?」


「そう。世界にはたくさんの歯車が存在していて、あなたもそのひとつ。歯車には世界を安定させるために色んなカタチで働いてもらっているんだけど……二つに分かれた歯車を見つけてしまったものだから、ここに呼んだのよ」


「それはどういう意味だ?」


「あなたが『世界に合わない歯車』だってことよ」


「……俺が歯車、ね。世界に合うも合わないもあるのか? 世界に合わない人間がいるのだとしたら、重罪者やサイコパスをどうにかしろよ」


「あなたの言う『世界に合わない存在』は、あなた自身が考える存在のことでしょう? 私が管理するものとは違うのよ」


「管理する存在とは?」


「歯車には役割があるの。活かす存在も、壊す存在も、その存在感をまっとうしている。だけどあなたは、心と体が離れすぎて……本来そこにいるべき『戸沼幸』ではなくなっているのよ」


 話がのみこめない幸のかたわら、老人はさらに続けた。


「つまりあなたの場合、心と体が完全なる別個の存在になりつつあるの。自動で動く飛行機が、パイロットを拒絶していると言えばいいかしら」


「だったら、俺が死ねばいいんじゃないのか?」


 幸は平気で不穏な言葉を吐き出すが、老人は静かにかぶりを振った。


「いいえ。むしろ大変なことになるかもしれないわ。言ったでしょう? 歯車は二つに分かれ始めている、と。あなたの魂がいなくなっても、体は活動をやめないの。あなたが作り出した『戸沼幸』の形を保ったまま、動き続けるでしょうね。――だけど、それでは世界の均衡が崩れてしまう」


「……じゃあ、一体俺はどうすればいい?」


「だからあなたの心と体をひとつにしなければならないの。今は火薬かやによって一時的に繋いではいるけれど、きっとまた離れてしまう。だから、あなたをあるべき姿に戻すことができる世界に、送りたいと思うんだけど…………でも、一方的にあなたを異世界に送るのはフェアじゃないから、選ばせてあげるわ――」


 老人は杖で三回テーブルを叩く。


 すると今度は、細い木の棒がテーブル上に現れる。


 重力を無視して浮く棒には、無数の糸が結ばれていた。色とりどりの糸だ。


「この中にある世界をひとつだけ、あなたにあげるわ。あなたのほどく糸があなたを必要とする場所。こことは違う、新しいあなたの世界。だけど、新しい糸を選べば、あなたが今持つ糸は――――消える」


 老人は口元に優しい笑みをたたえているもの、その目は狂気に近い色をしている。


 妙な緊張感に、幸は固唾を飲みこむ。


 少し気後れする幸を見て、老人は加えて言った。


「でも……どうしてもというなら……少し困るけど、あなたを今のままにしても構わないわ。だから、全てあなたが決めなさい」


「……俺を、必要とする世界……」


 本心による選択。それは、遠い昔に置いてきた心と体の直結。


 だが、考える間もなく。


「ちょっと、待っ――――」


 幸の意志とは裏腹に、手が勝手ひとりでに糸のひとつを取っていた。

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