第4話 いわば、あざとい


「ねぇキミ、今からうちの店に来てほしいんだけど――て、ちょっと! 見なかったことにしないでよ!」


 早足に去るこうを、黒い着物の少女が鼻息荒く追いかけてくる。


 幸は周囲を意識し、顔をかばんで覆った。


 青い花びらに包まれた幻は、あやしげな少女の呼び込みで吹き飛んだ。


 艶やかな黒い和装を着崩した少女はきわどく。いかにも大人の店から出張してきた風体だ。


 うかつに談笑などしたら、たとえ無関係でも無傷ではいられない。


 学校から近いその地域は、幸を見知る人間も多く、気を抜くわけにはいかなかった。


「――俺は並みの学生で金なんて持ってませんから、他をあたってください」


 優等生の体面を考えれば、たとえ相手が成年向けの呼び込みでも、暴言を吐くわけにもいかない。


 だが背中を向けたままやんわりと断っても、少女は諦めるどころか図太く並んで歩き始める。


「イイのイイの。あたしが欲しいのは愛であってお金じゃないから」


「もっとないわ!」


 いつもなら軽く流すところを、幸は勢いよく否定してしまう。


 生理的嫌悪に対してアレルギーのように反応していた。


 他人の不利益を考えない相手に対して、さすがの幸も辟易へきえきし――冷たい眼を向けるもの、残念ながら効果はない。


 少女は猫じゃらしを追いかける猫のように飽きずについてくる。

 

「なんで逃げんの! イイトコ連れてってあげるって言ってんのに!」


「頼むから、俺から離れてくれ。それが一番イイコトなんだ」


「なるほど、キミ照れ屋さんなのね。やだ可愛い」


「あんたは気持ち悪い」


「うんうん、わかってるって。キミって、こじらせすぎて本心が言えない子なんでしょ? 全部わかってるんだからね! ――本当はあたしのこと嫌いじゃないくせに」


「これ以上ないくらい本心で言おう。『お願いだから消えてください』」


「じゃあ、好きって言ってくれたら、言う事聞くかもしんない」


「好き――モノ」


「今、スキモノって言ったわよね? このデレツンめ! でもそんなキミも悪くない!」


「……なんでもいいから、早くどっか行ってくれ」


「行かないわよ」


「言うこと聞くんじゃなかったのか?」


「『かもしれない』って言っただけ」


「…………はあぁあ」

 

 すっかり少女のペースに巻き込まれた幸は、大きく息を吐いて立ち止まる。


 運動は決して苦手ではないが、少女の足は羽のように軽かった。


 息を弾ませる幸とは対照的に、少女は余裕の笑みさえこぼしている。


(振りきれない……このままじゃ、家までついてこられそうだ)


 幸は追い払うことを諦めるもの、自宅にまで被害が及ぶことを懸念する。


 妹に知り合いだと思われたら最後、両親に何を言われるのか、わかったものではない。最悪の結果を考えただけで気を失いそうになる。 


 幸は覚悟を決めて少女の細い腕を掴み、路地裏に誘導する。


「やだ、こんな暗がりで……あたし今から何されちゃうの?」


「あんたの目的はなんだ? どうして俺についてくる? 金なんてないって言ってるだろ」


「もちろん、うちの店に来てもらうためよ。キミを連れてこいって店長に頼まれてるの」


「チラシだけ貰う。はい、さようなら」


「だめだめ、それじゃあたしが怒られるの! いますぐ一緒に来てよ」


「断る」


「どうしても、キミじゃないと駄目なのよ。キミのために店開けたんだからね!」


「そうやって他人をたらしこむのが手口なのか――あんた、悪徳キャッチを撃退するにあたって、暴力を加えた場合は正当防衛に入ると思うか?」


「見かけによらず強引なんだから。やっぱり嫌いじゃないわ」


「通報か拡散か……」


 幸は少女からフライヤーをひったくり、店の住所と電話番号を確認する。


 黒い紙に白く書き殴られた文字がやけに不気味だった。


「『そばや』? あんたの店は蕎麦屋なのか?」


「そうよ、愛情たっぷり『そばや』さん」


「なるほど。いかがわしいオプションのついた蕎麦屋があるのか。変なことを考える大人がいるんだな……それより、チラシを配るならもっと裏通りにしろ。さっきの場所は子供もけっこう通るんだ」


「オプションどんとこい! キミのためならなんでも」


「通報にする」


「やだ、通報だけはやめて! ―――――なんつって」


 幸の脅しをものともせず、少女は飄々と笑う。


 幸は本気でスマホの通話機能をオンにする――――が、数字に指をのせた瞬間。


 突然、周囲の景色が、絵の具を洗い流すように溶け始める。


 住宅地はみるみる消しゴムをかけられて白い空間となり――無地の世界が広がってゆく。


 ただ無機質に白い世界に立つ幸。


 だが混乱する暇もなく、幸の足元から新しい線が伸びて、別の景色が描かれた。


 四方八方、点から点へと繋がれる線は下書きが出来あがると、花が開花するように色が足されていった。


 新しく用意された背景は、ありとあらゆる書物に包まれた部屋だった。


 本が山積みされた部屋の中心――すっぽりと物が抜けた空間に幸は居る。

 

「なんだこれ……」


 幸は驚愕が過ぎて震える腕をなだめようと押さえる。


「ようこそ、『傍屋そばや』へ。やっと来てくれたキミ」


 少女は誇らしげに言って――――表情を消した。




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