第36話

《side佐藤智》


 美咲先輩のことが頭から離れない。なのに、どこを探しても美咲先輩に会えない。


 病院を訪ねてみたものの、どの施設でも「個人情報のため答えられません」と門前払いされた。未来さんから「検査入院」と聞いていたが、具体的な病院や状況は何もわからない。


 だからこそ、どうにかして先輩の足取りを追わなければならないと思った。


(僕は、美咲先輩の何を知っているんだろう?)


 振り返ってみても、美咲先輩の笑顔しか思い浮かばない。


 サークルではいつも周りを盛り上げ、軽口を叩いて俺をからかう。あの気楽そうな先輩の裏側に、こんな大きな秘密があったなんて……。


 そして、自分が甘かったことを痛感する。もっと気づけたはずだ。もっと向き合うべきだった。


 そんな思いが胸を締め付ける中、僕は真っ先に白井未来さんに連絡を取ることにした。彼女なら何か知っているかもしれないと思ったからだ。


 大学のカフェで未来さんと向かい合う。


「未来さん、頼む。美咲先輩のこと、何でもいいから教えてくれ」

「……智先輩は本気なんですね?」

「ああ! 僕は美咲先輩が好きだ。彼女に振られても、どうしても理由が知りたいんだ。彼女は僕に言った。未来から来た、と。そして、未来で大切な人を失ったと。その意味をちゃんと知りたいんだ」


 僕がそう言うと、未来さんは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに視線を伏せ、静かに口を開いた。


「……智先輩、美咲先輩のことを知りたいんですね。本当に全部」

「もちろんだ」

「そうですか……わかりました」


 未来さんはしばらく沈黙した後、小さく息をついた。


「思い出したくないと思っていましたが、私は智先輩に助けられましたよね。教授の件で?」


 教授の件。


 それは確かに、僕にとっても忘れられない事件だった。原田教授が未来さんに目をつけ、彼女を利用しようとしていたこと。


 僕は美咲先輩に噂があって調査をしていた。闇サイトで証拠を押さえて、盗撮と盗聴をして、美咲先輩を守ろうとして、未来さんを守った。


「だけど、決着をつけたのは美咲先輩なんです」

「……え?」


 美咲先輩が決着をつけた? 意味がわからない。僕は教授に証拠を突きつけて、今後は何もするなと言い放った。


 それで終わりじゃないのか?


「智先輩が教授を追い詰めた後、証拠を揃えてくれて安心していたんですけど……美咲先輩は、人はそんなことでは止まれないって言ってました」

「止まれない?」

「はい。『あの人を放っておいたら、また別の子が被害に遭う』って」


 未来さんは言葉を選ぶようにゆっくり話し始めた。


「だから、美咲先輩は一人で教授のもとに行ったんです」

「一人で……?」

「はい。私にも詳しくは教えてくれなかったんです。それにそのことを聞いたのも、教授が大学を辞めた後でした」

「えっ? 教授が大学を辞めた?」


 僕はそんなことを知らなかった。元々、教授の授業は受けていなかったから、関わる機会がなくて、自分にも自分の周りにももう関係ないと思っていた。


「美咲先輩は、徹底的に追い詰めたみたいです。全部、美咲先輩が動いて決着をつけました」


 僕は言葉を失った。


 教授の件は終わったと思っていた。僕が闇サイトに手を染めて、未来さんを守ったつもりだった。でも、その裏では美咲先輩がもっと深く罪を被ってくれていた? 教授を辞めさせるように? 


 僕はスマホを調べて、ニュースで原田教授の名前を入力した。そこには、辞めたのではなく、度重なる猥褻によって大学から解雇され、警察に捕まっている原田教授のニュースが載っていた。


(僕は……何もわかっていなかった)


 未来さんは続ける。


「美咲先輩は言っていました。『智君には手を汚してほしくない』って。自分で全部片付けるって……」


 俺の胸が締め付けられる。


 美咲先輩は、いつも僕のことを見ていてくれた。でも、僕は美咲先輩の苦しみや決意に気づけなかった。


 中途半端なことをして、良い気になっていただけだ。


「……他には? 他にもあるのか?」


 僕は震える声で未来に尋ねた。


「他には……ですか。智先輩と由香先輩がストーカーを帯び寄せるためにデートをした日。覚えていますか?」

「由香のストーカー?」


 未来さんは少し口元を引き締めて話を続けた。


「はい。由香先輩を狙ったストーカーは、結局あれ一人ではなかったんです」

「えっ?」


 僕はミスコンで由香を追いかけ回していた男を追い返した。あれからも監視はしているが、僕が睨むと逃げていく。


「智先輩の友達の拓也さんだったんですよ。ずっと由香先輩に嫌なことをしていた人は。でも、美咲先輩、気づいてたみたいです……」

「えっ?」

「美咲先輩、拓也さんと直接話してたんです。『金輪際、由香さんや智君に近づかないで』って。しかも、ストーカーの証拠を抑えてたらしくて、それを拓也さんに見せて……」


 一度、飲み会の夜に、拓也は僕の友人だから大丈夫だと美咲先輩には話した。


 その時から、美咲先輩は拓也を疑っていた?


「……」


 言葉が出てこなかった。


 教授の件も、由香のストーカーの件も、僕が解決したと思っていた。それを美咲先輩は裏で全て引き受けて、僕たちを守ってくれていた。


「美咲先輩、智先輩のこと、すごく大切にしてると思います。だから、今も……何か理由があって……」


 未来さんの言葉が胸に響く。


 美咲先輩が何を抱えているのか、まだ全部はわからない。でも、僕がバカであることは十分に理解できた。


 何もわかっていなかった。甘かった。僕は、美咲先輩のことを何も知らなかったんだ。


 この半年、美咲先輩が何をして、何を抱えてきたのか。僕は、もっと知ろうとすればよかった。いや、知るべきだった。


 何度も彼女を守ろうとした。病んでいて、どこか遠くを見るあの人を追いかけていた。


 だけど、僕は美咲先輩の本質を見ていなかった。


「未来さん、ありがとう」


 そう言って、僕は席を立った。


 これ以上、美咲先輩を放っておくわけにはいかない。


 俺の中で決意が固まった。


「未来さん。たった一通だけ、美咲先輩に伝言を頼まれてくれないか? もちろん、美咲先輩に僕からも同じ内容で送るし、届かないかもしれない。だけど、一通だけ頼む」

「わかりました」


 次で最後になるかもしれない。


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