第29話

 美咲先輩がタクシーに乗り込んで去った夜、僕は深い眠りにつけなかった。


 彼女が倒れた瞬間の光景が何度も頭の中で再生される。あの冷たい体温、かすかな笑み、そして言葉にしなかった感情の断片。


 それらが僕の心を締め付け続けた。


「美咲先輩、本当に大丈夫なのか……?」


 そんな思いが心に根を張り、頭の中から離れない。美咲先輩は強がりで、僕に心配をかけまいとしていた。だけど、それだけでは片付けられない違和感があった。


 どうして猫カフェに来たんだろう? あんなにも体調が悪かったのに、やっぱり僕に会いに来てくれた? そう考えるのが自然だと思う。


 だけど、あんなにも体調が悪いのに心配しないでと言い来ただけ? 何度考えても違和感しかない。


「ハァ〜どうして僕は今まで、人と関わることをやめていたんだろ。もっと人の気持ちがわかれば、美咲先輩が何をしたかったのかわかったのかな?」


 理解できない美咲先輩の行動。それがどうしても僕の中で引っかかって、解決できないでいた。



 翌日、僕は自分の思い込みを払拭するためにも、美咲先輩の体調について調べることを決めた。


 もちろん、彼女本人に尋ねるのが一番早いことはわかっている。けれど、それではまた「大丈夫」と笑顔で切り返されるのが目に見えている。だからこそ、彼女の本当の状況を確かめるために動く必要があった。


 まず最初に、彼女が通院している病院について考える。


 未来さんの話では「検査入院」とのことだったが、どの病院で、どんな検査を受けていたのかは具体的に聞いていない。


 ただ、美咲先輩は帝都大学に近いエリアに住んでいると以前に聞いたことがある。そこから推測するに、大学から通いやすい病院の可能性が高い。


 僕はスマホで周辺の病院を検索して、大学から徒歩や電車で通える範囲の医療機関をリストアップする。その中で「検査入院」が可能で、総合診療科や専門外来がある病院を絞り込んでいった。


「この辺りか……」


 特に目立つのは、大学病院と、少し離れた場所にある中規模の総合病院の二つ。このどちらかの可能性が高いだろう。


「三つだけなら、調べることも難しくない」


 早速目星をつけて、翌日、僕は病院に向かうことにした。


 美咲先輩のことが知りたい。まるで、由香のストーカーに近い行動だっていうのはわかる。だけど、僕は美咲先輩に迷惑をかけたいわけじゃない。


 まず訪れたのは大学病院だった。だが、院内は広大で、患者の出入りも多く、探りを入れるだけでは手がかりを掴むことは難しかった。入院患者リストなど、当然ながら一般人が簡単にアクセスできるわけもない。


 運よく美咲先輩に会えれば、ラッキーぐらいだったけど、姿を見付けることもできなかった。


「ここでは無理か……」


 そう感じて次に向かったのは総合病院だ。


 大学病院ほど大きくはないが、静かで落ち着いた雰囲気のある場所だった。受付に立ち寄り、何気なくフロア案内を見ていると、「検査入院について」という掲示板が目に留まる。


「……ここかもしれない」


 その案内板に書かれた内容から、この病院では定期的に精密検査のための短期入院を行っていることがわかった。


 入院期間や検査内容によって異なるものの、特定の疾患に関する専門外来があるようだ。特に目を引いたのは「腫瘍内科」と「循環器内科」の二つの科だった。


「美咲先輩の入院……ここだったのかもしれない」


 しかし、ここで僕はある問題に直面した。


 病院のどこかに美咲先輩がいたとして、彼女の情報を直接得るのは難しい。


 個人情報保護の観点から、病院側が患者の情報を簡単に明かすわけがないのだ。


 僕が受付に行っても、「入院されている方の確認はお答えできません」と断られるのが関の山だろう。


 だが、諦めるわけにはいかない。僕はひとまず院内のカフェに入り、患者の様子や病院スタッフの動きを観察することにした。


 しばらく座っていると、看護師と思しきスタッフが一人、休憩に入ったようで隣の席に座った。何気なく聞こえてきた会話の中に、「定期検査」とか「若い女性」という言葉が混じる。


 彼女たちがどの患者のことを話しているのかはわからないが、どうしても耳を傾けてしまう。


「若い人でもね、最近は検査入院が多いわよね。特に腫瘍系とか……」


 その言葉に胸がざわつく。美咲先輩が「腫瘍内科」に通っているのだろうか? だとしたら、それは……。


「いや、考えすぎだ」


 自分にそう言い聞かせるが、不安が頭を離れない。


 意を決して、僕は病院の外来受付に向かった。ストレートに「友人がここで検査を受けていると聞いたのですが」と尋ねる。だが、案の定、患者に関する情報は一切教えられないという答えが返ってきた。


「それは、そうだよな……」


 無理だとはわかっていたが、やはり徒労感は否めなかった。けれど、こうして動き出したこと自体に、少しだけ満足感もあった。


「美咲先輩……どれだけ無理をしているんだろう」


 彼女の隠された体調のことを思うと、胸が締め付けられる。だけど、僕はもっと彼女を知りたい。だから、直接彼女に向き合う以外に道はないのかもしれない。


 結局その日は、病院から帰路についた。


 空はどんよりとした曇り空で、気分をさらに重くする。


 これ以上一人で調べたところで、これ以上の情報を得るのは難しいだろう。未来さんや由香に頼ればいいのかもしれない。だけど、それは美咲先輩の意思を無視しているようで、どうしても踏み切れなかった。


「美咲先輩……どうして全部隠してしまうんですか?」


 呟きながら歩く道はどこまでも続くように感じた。


 でも、ここで止まるわけにはいかない。美咲先輩が背負っているものを少しでも知りたい。いや、知って彼女を支えたい。その思いだけが僕を突き動かしていた。


 だから、僕は一通のメッセージを送信した。


「会いたいです」


 短い文だった。だけど、僕の想いが全て詰まっていた。

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