第26話

 主人公は美咲先輩に曖昧な形で断られたことで、モヤモヤした気持ちを抱えていた。


 先輩の「私はダメ」という言葉が何を意味しているのか、その理由もわからないまま、どこか自分自身が否定されたような気分になり、日々気が滅入っていた。


 そして、告白をした日から、美咲先輩の姿を大学で見なくなった。


 もしかして、俺を避けているのかもしれないと思って。LINEも送ってみたけど、既読がつかない。


「なんだよ」


 美咲先輩の家に行ってやろうかと思ったけど、それも知らない。


「どうしようもできないじゃないか」


 僕は美咲先輩のことを本当に何も知らないんだ。


 途方もない絶望が、僕の胸を締め付けていた。


 そんなある日、大学の帰り道でふと肩を叩かれた。振り返ると、そこには心配そうな顔をした由香が立っていた。


「智君、元気ないね? 何かあったの?」


 由香の声には、こちらを心配するような柔らかな優しさがあふれていた。


 ストーカー騒ぎから、前よりも仲良くなったように思える。幼馴染と言っても、ラノベや物語のように恋人になったり、親密になることはないと思っていた。


 だけど、僕のことを気にかけてくれて、気持ちが沈んでいることにもすぐ気づいてくれた。


 だから、一瞬だけ、美咲先輩に告白したことを告げようかと思ってしまう。


「……別に、なんでもないよ」


 本当のことを言おうとしたが、彼女から、どこか真剣なまなざしを感じて、結局、言葉を濁すことしかできなかった。


「そう? でも、元気がないのは確かだよね。今日はさ、久しぶりに二人でカラオケに行こうよ! ね?」


 彼女の提案に少し戸惑ったが、断る気力もなかった。


 それになんだか、美咲先輩に連絡が取れない現状にもむしゃくしゃしていた。


 頷くと、由香は嬉しそうに微笑み、すぐにカラオケの予約を入れてくれた。


 カラオケの個室に入り、由香は張り切って一曲目を選んだ。


 明るく元気なポップソングが流れ始め、彼女は笑顔でリズムに乗りながら歌い出す。その姿は本当に楽しそうで、少しでも僕の気分を盛り上げようとしているのが伝わってきた。


「どう? 楽しいでしょ?」

「ああ、由香と二人でカラオケって初めてだな」

「そうだっけ?」


 一曲歌い終わった後、由香が楽しそうに尋ねてきた。


「智君、次は何か歌ってよ!」


 由香にマイクを手渡されるが、僕はどうしても歌うほどの気分にはなれなかった。


「ごめん、ちょっと今日は……」


 由香は少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直して、また元気な歌を入れてくれた。しかし、由香がどれだけ盛り上げようとしても、僕の心はどこか上の空で、頭の片隅には美咲先輩の言葉が何度もよみがえっていた。


 次の曲が終わると、由香はふと僕の方を見つめていた。


「うわっ?!」


 由香の顔が目の前にドアップで映し出される。


 なんだか、めっちゃくちゃ良い匂いがした。


「ねえ、智君。やっぱり、何か悩んでることがあるんじゃない?」

「えっ?! あっ、うん」


 咄嗟に、綺麗な由香の瞳に頷いてしまう。


「あっいや!」

「もう遅いよ。うーん、美咲先輩のこと?」

「どうして?!」

「それはね。見てればわかるよ」

「見てれば?」

「うん。見てれば」

「そっか……実はさ、ちょっと先輩に振られたっぽいんだ」


 由香にはきっと僕が美咲先輩に好意を持っていたのがバレていたんだろうな。だから、素直に言葉を口にすることができた。


 由香に正直に話すと、少しだけ胸の重みが軽くなったように感じた。由香は一瞬だけ驚いた表情を見せた。だけど、すぐに頷いて、同じ目線から立ち上がり、僕の膝の上に腰を下ろした。


「おい! 何してるんだよ!」

「そっか、振られちゃったんだね。うーん、可哀想な智君を幼馴染として慰めてあげよう」


 そう言って、由香の大きな胸で頭をギュッと抱きしめられる。そして、優しい手つきで頭を撫でられた。


「私ね。ストーカー事件の時、凄く怖かったんだ。ううん。本当は、まだ解決したのか半信半疑で、怖いって気持ちがある。だけど、智君は困ったら頼ってこいって言ってくれたよね」

「ああ、由香のためならな」

「うん。それが凄く心強かった。美咲先輩も、未来ちゃんも凄く良い人たちで。だけど、智君が私を守ってくれる。そう思うとね」


 由香の柔らかな胸の感触から、ドキドキとした鼓動が聞こえてくる。彼女の鼓動は強く弾んでいた。こうやって僕を抱きしめているのも恥ずかしいのかもしれない。


「そうか、だけど、由香には僕がいる」

「うん……ありがとう(そんなこと言うから勘違いしちゃうんだよ)」

「えっ?」

「ううん」


 しばらく沈黙して、由香がそっと離れて僕の首に腕を回して、瞳を見つめた。


「ねぇ、智君はなんて振られたの?」

「うっ、ダメって。私はダメだから、ごめんなさいって」


 僕は思い出して、胸がズキっと痛くなる。


「そっか、でもね。それって、智君のことを本気で考えてくれてるかも」

「本気で考えてる……?」

「うん。もしかしたら、美咲先輩も何か抱えているものがあって、智君を巻き込みたくなかったのかもよ? ちゃんと気持ちを伝えられないってことは、何かが引っかかっているのかもしれないね」


 由香は、そう言って僕の膝から降りて、立ち上がる。


「でもさ、智君は自分の気持ちをちゃんと伝えられたんだよね?」

「うん……ちゃんと好きだって言った」

「それなら、それだけで十分じゃないかな。だって、智君の思いは伝わったんだし、それで先輩がどう思ったかは、美咲先輩自身の問題だから」


 由香の言葉はまっすぐで、心に響くものがあった。彼女の優しさと、僕を理解しようとしてくれる気持ちが、少しずつ心を温めてくれた。


「ありがとう、由香。なんか……少し楽になった気がする」

「うん! それに、智君は私の幼馴染だからね。悩んでる姿を見ると、私も助けたくなっちゃうんだ。智君は良い男だって、私が保証してあげる!」


 由香は明るく笑ってくれて、その笑顔が僕の気持ちをさらに軽くしてくれた。

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