第7話

 専攻している経済学部の講義室は、男女半々といった感じでまばらに席についている。


 朝早い講義のためか、それほど人がいない中で、俺と田中拓也タナカタクヤは、いつも決まって後方の席に座る。


 理由は簡単、少しでも退屈な講義から逃げやすいからだ。


 隣に座っている拓也は、俺の高校からの友人であり、同じ大学に進んだ数少ない顔見知りだ。そして、幼馴染の由香の元彼氏でもある。


 二人が別れたことをつい先日知ったばかりなので、態度を変えるのもおかしいと思って知らないふりをすることにした。


 拓也は、高校時代から話しやすい奴で、特に深く考えることなく物事を語る癖がある。


 見た目はチャラい系のイケメンで。俺にとって、気軽に接することができる友人の一人だ。地元に帰れば、小学校からの親友がいる。


 拓也とは、丁度いい距離感で付き合えるので、楽でいい。何より友人としては、底抜けに優しくて、良い奴だと知っている。


 ただ、大学に入ってからはどこか自由に振る舞い出し、ギャンブルに手を出し始めたり、YouTubeで自分の日常をアップするようになったりと、周りから見れば「大学生らしい」生活を楽しんでいる様子が俺とは違う。


「おい、智。聞いたか?」


 つまらない講義から逃れるように、拓也が小声で俺に話しかけてきた。


「なにが?」

「後輩にさ、すごいおっぱいの大きい子がいるらしいんだよ! それもめっちゃ可愛いって有名なんだよ」


 拓也はいつもの軽い調子で、話題を投げかけてくる。さすがは拓也らしい話題だなと思いながら、俺はあまり乗り気ではなく返事をした。


「また女子かよ……そんなのどこにでもいるんじゃないの?」

「いやいや、今回はマジなんだって。俺も最初は冗談だと思ってたんだけどさ。しかも、メガネに三つ編みで、結構清楚系らしいぞ。今時! ってツッコミたくなるじゃん」

「清楚系ねぇ〜、その特徴って……どうなんだ?」


 俺は講義の内容をルーズリーフでまとめる。


 最近はノートパソコンの持ち込みも認められている。チラホラとノートパソコンに打ち込んでいる奴も見るが、俺はルーズリーフの方が記憶に残りやすい。


「だから、そそるんじゃねえかって話! 俺たちってまだ若いじゃん。可愛くて胸の大きい子ってだけで好きだろ?」


 拓也はまるで自分が見てきたかのように熱弁する。そんな拓也の様子を見ていると、俺は軽く苦笑を浮かべた。


 噂に過ぎないのに、宝物を発見したような顔をしている。拓也のこういうところが、由香は許せなかったのかな?

 拓也は女の子に対して口にはするが、口説いても彼女になることはあまりない。由香以外と付き合ったとは聞いたことがない。


 ぼんやり拓也のことを考えながらルーズリーフを埋めていく。


 経済学部の講義内容は、株式や経済政策についての基本的な理論が多く、俺にはなじみのあるテーマだ。


 拓也はノートパソコンに記入して保存していた。

 

 どう見ても集中している風には見えない。むしろ、授業内容よりも、さっき話していた噂の後輩のことで頭がいっぱいに見える。


 その手はニギニギと胸を空想で揉むような仕草までする始末だ。


「ほんと、あの噂の後輩、いつか見てみたいよな……」


 拓也は半ば妄想するように呟いていたが、俺はそれを適当に聞き流していた。


 講義が終わり、教室を出て次の講義に向かうために廊下を歩いていると、ふいに目の前でドサッという音がした。


 視線を向けると、そこには拓也が言っていた噂の「メガネに三つ編み」の女の子がいて、どうやら荷物を落としてしまったようだ。


 慌てて拾おうとしていたが、少しドンくさい動きをする女の子は、周囲の人はどうするべきか迷っているようだ。仕方ない。俺は誰も声をかけようとしないので手伝うことにした。


「あ……」


 彼女は小さな声で独りごちながら、落ちたノートや教科書を一生懸命拾い集めていた。俺は自然と足を止めて彼女のそばに近づき、しゃがんで荷物を拾い始める。


「これ、どうぞ」


 俺が拾ったノートを差し出すと、彼女は一瞬驚いた表情を浮かべて、少し顔を赤くして頭を下げた。


「ふぇえ、あ、ありがとうございます……!」


 その声には緊張と感謝が混じっていて、なんだか清楚な雰囲気が漂っていた。


 拓也が可愛いというのもうなづける。髪は三つ編みに整えられていて、メガネの奥には、少し驚きが残る大きな瞳が覗いている。


 噂通り、彼女は確かに清楚な感じで、拓也が言っていた通り「ちょっと大きめ」だった。


「あ、いいよ。気をつけて」


 照れ臭くて、軽くそう返して立ち去ろうとしたが、彼女は俺に向かってまた「ありがとうございます」と小声で呟いた。


 女性の胸部をガン見するわけにはいかないので、後手に手を振って立ち去ることにした。


 彼女の純粋な様子に、俺は少しばかり胸の奥が温かくなるのを感じた。


 廊下を歩き出したところで、すかさず拓也がニヤニヤとしながら肩を叩いてきた。


「なぁ、見た? 見たよな?! お前、まさかあの噂の後輩とこんな形で遭遇するなんて、持ってるな!」


 何度も振り返りながら、彼女に視線を向ける拓也。ここまで欲望に忠実な拓也が羨ましくなる。


「いや、そんなつもりで拾ったわけじゃないし」

「わかってるよ。だけど、せっかくのチャンスじゃん! 俺の方が早かったら、お近づきになってLINE交換ぐらいしたぜ」

「はいはい」


 そう言って、拓也は俺をからかうように笑い、またすぐに別の話題に移っていった。拓也らしい調子のまま、俺と彼の雑談は次の講義まで続いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る