第3話
今でも、気を抜くと先輩とのやりとりを思い出して、自分で自分を殴ってやりたい気持ちになる。
「ハア〜暑い」
夏のキャンパスは、なんというか、俺にとってやけに眩しい。
蝉の声が鳴り響き、教室の窓から見える青い空と白い雲。それは確かに美しい光景だが、自分の性格とはどこか不釣り合いな気がしている。
青春を楽しむ運動サークルの声が聞こえてくるが、文系の俺には関係ない話だ。
クーラーの涼しい部屋の中に入りたい。皆が楽しい夏休みを目前に浮かれている中で、俺はいつもと同じ平凡な日常を歩いている。
完。
なんて言いたいが。結局は、ごく普通の大学二年生という肩書きが一番しっくりくる。
周囲の学生たちにとって、人畜無害で、面倒の少ない存在でありたい。
いつでも誰とでも軽く会話を交わし、深く関わらない。いわゆる「空気を読んで」付き合っているだけだ。
実際、その方が楽だし、無理して自分を変えたいとは思わない。
ただ、少し前から俺の中で何かが動き始めたような気がしている。
その「何か」を変えたきっかけは、美咲先輩の存在だ。
サークルで、落ち込んでいる先輩の顔を見た時に、あんな冗談を言ってしまった。
自分でもバカなことをしたと思ってる。本当に冗談のつもりで、軽い気持ちで口にしたものだった。
夏の暑さで頭がぼんやりしていたのかもしれないし、美咲先輩がどこか病んでいるように見えたからかもしれない。
ただ、俺の一言が予想外の展開を生み、美咲先輩の本気の顔を見てしまった。
あれが本気なのか? うーん、わからないけど、ドキドキして彼女いない歴年齢な俺には刺激が強かった。
それに、美咲先輩から向けられた冷たい眼差し。
あんな風に見られたことが今までなかったからか、正直、冗談のつもりだった言葉が後悔に変わっていく気持ちは強い。
傍目には、人付き合いが良い方だと言われるが、内心では人付き合いが苦手だ。
外見上は取り繕うことができるし、適当に合わせて笑顔を見せることも得意な方だ。だけど、内心では誰かと深く関わることを避けている。
人の気持ちに共感するのが難しいし、つい余計なことを口にしてしまう。
そうやって過ごしてきたせいで、他人の痛みや感情がどれだけ本気かなんて、正直未だにわからないことが多い。
家族は母と姉がいるが、そこまで親密な関係でもない。
家に男一人なので、正直に言えば彼女たちはおそらく俺を心配してくれているのかもしれないが、それもよく分からない。
家族たちがどう思おうと、俺は自分の道を歩くだけだ。
将来の夢? 平和な老後が送れればそれでいい。のんびりと働かずに暮らせる生活が手に入れば、俺にとってそれが最高の成功だと思う。
だから、俺が株式や金融関係に興味を持ち始めたのも、早い段階からだった。
高校の頃から少しずつ運用を始め、大学に入ってからもそれなりに成果を上げている。人との関わりに時間を費やすより、目に見える利益を得られる方が、よほど建設的だと感じる。
周りがバイトに励む中、今はそれなりに生活に余裕がある。見栄や浪費に興味があるわけじゃないが、資金の管理は堅実だと思っている。だから、週二でバイトにも行っている。
そんな俺が、美咲先輩に関心を抱くようになったのは、たぶん彼女の強さが見え隠れしていたからだ。やる気がなさそうに見えるのに、実は芯がしっかりしている。
自分に好きなタイプがいるのかわからないが、美咲先輩は気になるタイプだった。
美咲先輩は噂や他人の言葉に流されることなく、自分を持っている。
その美咲先輩の「芯の強さ」さえも、あの日の教室での出来事で見誤っていたのかもしれない。
彼女に軽々しく「おっぱい見せてください」なんて言った。
それはどこかで美咲先輩なら、軽くあしらってくれると思っていた。
だけど、向けられたのは冷たくも軽蔑の眼差しだった。本当に失礼で無神経だったんだと思う。
彼女が見せたあの冷たい表情と、淡々とした反応は、俺の何かを揺さぶった。
普段は何を言われても気にしないのに、胸にずしりと重くのしかかってくる。それは、初めて自分が他人から本気で怒りを向けらたように感じた。
母や姉、幼馴染の
「マジでやっちまったな。あれは本当に最悪だ」
幼馴染の由香はよく。
「智君、もっと他人に気を使いなさいよ! 無関心すぎ」
なんて言っていた。俺はそれを真に受けていない。適当な距離感で、親しみやすい奴でいればいい。実際のところ、俺は中学生の頃から由香と友人ではあるけど、由香に彼氏ができても、彼女の気持ちなんてわからない。
どうでもいいとは言わないが、わからないものは考えても仕方ない。と思っている。
けれど、美咲先輩は違った。彼女には、俺が自分の中に隠してきた何かを揺さぶられているような気がした。
美咲先輩に本気で向き合うべきなのか、それとも、普段通り適当に流すべきなのか……俺はまだ決めかねている。
だからこそ、美咲先輩と関わるたびに、「もっと知りたい」と思ってしまう。
俺の持つ探究心や好奇心が、美咲先輩という未知の存在に引き寄せられているのかもしれない。
俺は人の心がわからない。そう自覚しているし、そのことにコンプレックスも感じている。
恋人がいたことは一度もないし、他人と深く関わることを避け続けてきた。だけど、美咲先輩と関わってみたい。
もっと、美咲先輩のことを知りたい。彼女はきっと俺なんかに興味はない。
誰かに助けを求めるような人じゃない。普段はダウナー系のやる気ない様子なのに、自分のことは自分で解決する、強くてクールな内面を持っている。
それでも、あの時の冷たい瞳が頭から離れないのはなぜなんだろう。
俺はこのまま、適当に生きていくだけでいいはずだった。何も考えず、適当に人付き合いをして、誰の心も気にせず。けれど、美咲先輩と出会ってから、俺は少しずつ変わり始めている。
周囲には知られたくないが、そう思うと、胸の奥で何かがうずく。
美咲先輩との関係がどうなるかはわからない。
だけど、美咲先輩が俺に「あなた、優しいんだね」と言ってくれた瞬間。
俺の中の何かが確かに動き出している。
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