第25話・名前が全てではない

 私が目覚めたのは、間抜けにも地鳴りを感じた時だった。


「んあっ!? な、なに?」


 ベッドには一緒にいたはずのアリスがいない。


「アリス~?」

 

 起き上がり、声を掛けながら家を見て回る。アリスの気配がしない。


「ジャック?」


 寝ているはずのジャックもいない。家から人が消えている。


「……」


 嫌な予感がした。特に、あの二人を出合わせるのはマズイと感じた。


「(ジャック・ザ・リッパー。——女を殺す者……)」


 嫌な考えが頭をよぎる。だが考えるよりも刀を取り、支度をし、外に出る。

 今度は轟音がした。方角は、村の方だ。


「(とんでもないことになってなければいいけど)」


 私は村へ向けて走った。


     *     *     *


 着いた頃には全てが終わっていた。

 荒れた土地、散らかった血。なにか、凄惨な事があったに違いない。

 その中心には、ジャックがいた。


「ジャッ──」


 声をかけようと一歩、前に出た。それだけだったのに──。

 ──ゾッ。と。


「──なんだ、これ・・・・・・ッ」


 臓物に触れられた様な感覚。いつでも潰される。そんな錯覚を、いや錯覚ではないのかもしれない。

 ジャック・ザ・リッパーが女性特攻を持つなら、肉体に留まらず、精神にも影響を与える可能性がある。その影響かもしれない。


「——暴走、してる。制御が出来ないんだ」


 刀の鞘を杖代わりになんとか立っているが、もう少し気合を入れてしっかり立たなければならない。


「聞かなきゃ。何が、あったのか」


 今の彼はどうなるか分からない。最大の警戒を以って相対する必要がある。

 抜刀。左手に鞘を、杖代わりに。右手に刀を構える。


「——説明して、貰わなきゃ」


 彼が振り返る。目が合わない、なのに強い圧力を感じる。

 ……怖い。今の彼は、死ななくても殺して来るだろう。


「リン――。ああ、お前も――」


「”女”だったな――」


 刀を握りこみ、飛び掛かってくる”殺人鬼”を受け止める。


「っ――! 今のあんたは、無茶をしてる。原典を曲解しすぎたんだ。もう少し素直になった方がいい」

「……強くなければ。敵を斃せなければ意味がない」

「そんなことは、ないっ!」


 受けているデバフのせいか、あるいは普通に力で負けているのか。苦しい鍔迫り合いを強いられる。


「なんで力にこだわる!?」

「・・・・・・力が無ければ──」


 競り合う力が強くなる。


「魔女も、より強い「名」達も、倒せない」

「どうしてそんな!」

「俺たちは塔を目指し、向かっている。いずれ、出会う事は避けられない」

「でも今まで戦って来れた!」

「足りない。人間相手では足りない」

「え・・・・・・。ぐっ!」


 蹴りで鍔迫り合いを外される。本来なら有利な間合いだが、今は戦いたいのではなく、話し合いがしたい。


「──聞こえないか。呼ぶ声が」

「え?」

「塔だ。ヤツが読んでいる。俺たち物語を呼んでいる」

「・・・・・・たまに感じる欲求的なやつのこと? 確かにたまに感じるけど、そんなに強くはないけど」

「塔は、全ての者を呼んでいる。集わされる、虫の様に」


 ジャックは銃まで取り出した。撃鉄が最大まで上がっていなければ大した威力は出せない。が、彼はそれほどまでに私と敵対しているということだ。

 銃からは低威力の弾丸が発砲された。私なら叩き落すくらいなんてことはない。しかし……。


「どうしてそんなに怯えているの」

「……」


 一瞬の間があった。なにか、思うことがあったのだろうか。


「俺は、弱い。殺人鬼程度、出来る事などたかが知れている」

「——なら、あんたは一つ。大きな誤解をしている」

「誤解……」

「私たちはね、『そもそもがただの人間なんだよ』。薄っぺらい、過去や記憶を持ち合わせない、作り物の存在」

「……」

「そこに『名前の物語』という背景が、ペタリと張り付けられただけ」


 無言の後、銃口は下げられた。


「まずは、二つ、謝らなきゃね。一つは、今までちゃんと説明してあげられなかったこと。そのせいで漠然とした不安を感じさせたんだろうね」

「……」

「二つ目。これは、私が臆病だったこと。私が、私自身に自信が持てなかったこと。だから先輩らしく、背中を見せてあげられなかったこと」

「リン――」

「だから――今から見せてあげる。私の『本来の原典』を」


 刀を下ろし、非戦闘態勢になる。


「そもそも、私には『名前すらない』。そんなそんな存在でも、『原典』は存在する」

「名が、ない――?」

「よく、見ておきなさい。そんな私の、戦い方」


「『原典詠唱』、マッチ売りの少女」


 ――嗚呼。

 冬の寒さ、雪の影。体温を奪われていく寂しさ。しばらく忘れていた。


「『原典解放』、赤燐」


 冷たい体を温める唯一の方法は、マッチのか細い炎のみ。

 少女は、生き残れるはずのなく――。


「『原典分化』、「もし」少女が生き残れたなら」


 もしも、どんな偶然、どんな奇跡が起こって生き延びれたなら、どのように生きるのだろうか。

 少女は、何者に至るのだろうか。


「『原典別解』、「きっと」普通に生きれるなら」


 ”彼女”は、普通の女性として歩む。たまたまその世界が特殊で、普通じゃない世界だったとしても、その世界で生きていく。


「それが――『私』だ――ッ!」


 刀に炎が宿る。


「私はどこまでいっても作り物で、まともな背景を持っているわけでもない。それでも、私は生きている。——文句あるか、殺戮者!」

「——」

「ここからは解釈の殴り合いだ。いくぞ!」


 炎の、いや陽炎の剣で必死の抵抗をみせてみる。攻撃は続いている、いや正しくは彼が手を抜いているの方が正しいか。


「どうした! 強いんだろ! 何もかもを殺せるようにでもなるんだろ!」

「……っ」

「私を殺してみろ! 殺せるものなら――な!」


 目いっぱい強がっているが、所詮は強がりだ。

 本当に、今の彼の力をぶつけられたら、死ぬだろう。例え蘇生効果を持っていたとしても、それを塗り替えられるだけの概念に殺される。

 彼の技量なら、私を一刺しするくらいなんてことはないはず。そのときは――。


「──っ・・・・・・」


 駄目だ。ガラ空きの胴を見逃す訳がない。

 歯を食いしばれ。たかが激痛だ。耐えろ。耐えて──。

 ・・・・・・いや、その先は考えるな。


「うっ! ・・・・・・ぁぁ、ああああっ!」


 痛いでは済まない。今までに死ぬほどの攻撃を食らったことはあるが、これはそんなものの比ではない。

 腹部だけの痛みではなく、全身が「耐えられない」と悲鳴をあげる。

 それを受けた脳が"発狂"をする。神経細胞の集合体である脳が正しく認識する事を放棄する。


「(ああ……、柄にもない事をしたかな……)」


 かつてない痛みに自然蘇生さえ止まった。こうなった私は恐らく死ぬのだろう。

 ”マッチの残数だけ”蘇生出来るが、それも限界らしい。

 死という水に沈められたようだ。もう発火出来ない。


「(やっぱ、ごめん。なんにも出来なかったな)」


 目を閉じた。せめて終わりは、静かに……。


「——……ぁぁぁああああああ!」


 なんだ? 私じゃない、この声は……。


「嫌だ――、嫌だ、嫌だ! 『俺は』、”そうありたい”訳じゃない! 俺は俺だ! 俺だけの『名』の意味を――!」

「——」

「『原典、解法』、ジャック!」


 彼の叫びと共に、腹に刺さったナイフが抜かれる。


「——。……。あ、あれ……」


 痛みはない。血もない。腹から何かが抜けた違和感が凄かったが、それだけで何も起こらなかった。


「——えーっと?」


 私は、……どうしたらいいのだろう。ジャックは地面に五体投地で倒れ、息を切らしている。何が起こったのか説明してほしいところだが……。


「あの~、今話しかけてもいい感じ……?」


 五体投地のジャックに話しかける。なんだか申し訳なさを感じる。


「……無事か」

「ええ。おかげ様? で」

「……傷は?」

「うわ、しっかり傷跡になってる。でも塞がってる。なんで?」

「……」


 ジャックは息を大きく吸って吐く。説明が大変、とか?


「……ジャック。その”名”に意味を持たせるなら、『支配』。お前の体が元に戻る様に能力を支配しなおした。……多分」

「多分て」

「自分でも分かってない。ただなんとなく、出来るかなって」

「ふ~ん……」


 そうか。原典の開放や解放ではなく、解法をしたわけか。別の解釈を付け加える事に成功した、と、多分そんな感じだろう。


「……それで、俺はどうしたらいい」

「え~、私が聞きたいくらいなのに~」


 ころんと、私も横になる。


「……。ほんとにどうするんだ?」

「さあ。今は、とにかく寝たい」

「……そうだな、同感、だ」


 このあと、多分二人して眠ったのだろう。

 色々あったくせに、何も話さず眠りこけた。

 明日の事は、明日考えよう――。


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