第2話・名の世界

「よし、この辺までくればいいでしょう」


 裏路地を進んだ先、視界が開けていない場所、つまり狙撃の心配がない場所、ということだが。

 さっきのマフィアもどきには首にナイフを入れた。すぐに死なないが数分で死ぬ、そんな切創を与えておいた。


「なぁあんた。助けてくれた、んだろうけど。もう一歩信じさせてくれないか?」

「んあ? 自己紹介的なやつ? 私は――」


 不自然に止まる。目線はあさっての方を見ながら瞬きをしている。なにかについて考えているようだが……、ちょっと間抜け面だな。


「ちょっと待って。あんたから名乗るのが普通じゃない?」


 むっと眉を寄せながらこちらの顔を覗き込んでくる。この際の普通がどちらかは分からないが、まあいい。


「俺は……と答えたい所だが、記憶が無くってな。自分が何者なのか、とか。先ほど襲撃あった所からしか記憶がない」

「ほ~ん……。原典を喪失状態って感じ、なるほどね」

「なあその、原典を、もそうだし。さっきの敵が言っていたスキル? がどうとか、俺にはすっぱり分からないんだが、教えてもらうことは可能か?」


 彼女はこちらをじっと見る。こちらの内面まで見透かすように。


「……まぁ、これも縁ってことで、教えられる事は教えたげる。あんたから害意がないのはなんとなく分かったから」


 さっとポニーテールを払ってこちらに向き直る。


「まず最初に、あんたは一度死んでるわ」

「ああ、道理で……」


 なんとなく夢を見ているようなフワフワとした感じ。なによりも先ほど拳銃を向けられているにも関わらず、恐怖よりもどう対応するかに頭が切り替わった事。

 到底普通ではない。ここが死者の見る夢だというなら――


「待って。別にここは天国だとか夢だとか言うつもりはないわ」

「不思議な事を言う。死んでいるのだろう?」

「う~ん、そうかぁ。死んだ記憶すらないのか~」


 頭のてっぺんらへんを掻く彼女。死んだ記憶? そうか、ここが死後の世界なら死因もあるわけか。少し気にはなるが、今は気にしなくてもいいのではないだろうか。


「じゃあアレについてなにか思う所は?」


 一見何もない空間を指さす。何のことか分からなかったが目を凝らせば、ソレは見えた。

 ソレは明らかに遠く、しかしはっきりと目に見え、なのに掴みどころがない。そんな印象を受ける世界観に似つかぬモノ。


「……塔、か?」

「そう。塔。どう思う?」

「あれだけ目立つんだ。目指すべきだろう」

「そこは疑問を持てよ」


 何の、と一瞬思ったが理解した。別にそんなもの無視すればいい。第二の生だというならそれを謳歌するのが普通というものだろう。なのに――。


「一度目にすると気になって仕方ないな」

「やっぱり、あんたも『ネームド』の資格はあるってわけね」

「ネームド?」

「特別な名を持っている人の事。この世界に存在する人は二種類。名前も中身もない『NPC』という形、ガワだけの存在。そして私達、『ネームド』」


 なるほど道理で。さきほどの狙撃の一件があった際に動きを変えなかったやつら、そいつらのことをNPCと呼ぶのだろう。

 そして名前の有無で扱いそのものが決まる世界。そんな世界が、今の此処、なのか。


「あんなものが……」


 気に食わない話だ。どうしてもあの塔への関心を拭えない。欲しいものは欲しいという単純な思考回路が脳から分離できない。本能レベルの命令系統が「塔に向かえ」と言っている。


「ああ、アンタの気持ちが手に取るようだ。気味悪くて仕方ないよな。なんで自分の事なのに、勝手に世界の思う様になってんだってね」

「どいつも俺の心を読みたがる……」


 さっきのマフィアとのやり取りを思い出していた。

 まさにその通りだった。自分の生き様を勝手に決められる。不愉快だ。


「だからあたしはね、あの塔にたどり着いてみせるよ。辿り着いて、自分でケジメをつけてやるんだ」

「……いい目標だな。俺も、あんたのように生きてみたい」

「なら一緒に目指そうよ。気に食わない塔を目指してさ」


 しばらく考えた。だが答えは決まっていた。整理のための時間だった。


「俺も行く。なんか、文句の一つは吐いてからじゃないと、死にきれなさそうだ」

「決まり。わたしは……、そうねぇ、リンって呼んで」

「リン……。この名前にも意味が?」

「まだ分かんないけど、多分ね。それよりあんたよ。なんて呼ぼうかしら」


 彼女がかわいらしく首を傾げる。ポニーテールに鈴でついていればリンとなるような。

 名は体を表すこの世界。仮の名前でも意味のあるものがいい気がする。


「——ジャック。それが俺の名だ」

「思い出した? それとも引用?」

「ゴミ箱にあったトランプが目についてな。クラブの十一からだな」

「へぇ……、ジャックは仮の名。真名はランスロット? かっこいい設定盛ってくるねぇ」


 ニマニマ顔で肘でつんつんされる。そこまでは考えてなかった。そうか、そういう話になってくるのか。


「さっきの戦闘、盗み見てたけどセンスあるねぇ。ランスロットの技術かな?」

「さぁ……。さっきのは無我夢中だったというか」

「でも、とりあえず戦闘系のスキルは持っていると思っていいかも」

「スキル? 技術という話か?」

「いや~もっとこう、ゲーム的な感じだと思えばいいよ」


 そうは言われたがピンとはきていない。戦闘スキル、ね。俺の本来の名前は分からない。だがもし、このジャック=ランスロットに引っ張られているのなら、それなりのスキルは備わっているのかもしれない。


「それじゃあ改めて、ジャック。これからどうする?」

「やはり俺を狙って狙撃してきたヤツを排除したい。いつまでも安心できないからな」

「だね。でもどう戦う? 狙撃ってことは遠距離でしょ。私達二人とも近接型だし」

「いつまでも遠距離とはいかないはずだ。さっきチンピラをけしかけてきたみたいに。向こうにもタイムリミットがあるんだろう」


 そのように推測するが確実なものではない。半ば賭けに近い戦いだが……。


「接近戦をせざるを得ない場所に誘導する。場所は……あの廃教会とかどうだ」


 裏路地から覗き見る。少し離れた所にツタの這う壁をもつ教会があった。使われていないかは分からないが、手入れされていないという事は分かる。


「ふーん。どうなんだろうね。でも私は案がないし、とりあえずそれで」

「よし。いこう」


*     *      *


「ターゲットは逃走中。追って処理します。……っ」

「急げよ。今回分の透析、間に合わなくなるかもな」

「大丈夫よ。仕留めるから……報酬だけ用意していなさい」

「ふん。ガキが。精々がんばることだな」


 それで通信は終わった。

 ……確かに、私の体はそろそろ限界が近い。報酬でもある血液透析を受けなければ明日もこの身は持たないかもしれない。


「……急ごう」


 支度をして動き出す。ターゲットは廃教会に逃げ込んだ。正直、中、近距離のほうが私にとっても都合がいい。

 いったん大通りへ出る。制服姿で活動する私を疑ってみる目はない。そんな中――。


「ディンゴ!」


 私の弟の姿を見かける。つい、呼びかけてしまった。


「お姉ちゃん? なにしてるの?」

「こっちのセリフよ。学校は? もう終わったの?」

「そうだけど、お姉ちゃんは?」

「今は休憩時間なの。帰ったらご飯作ってあるから、あっためて食べなさい」

「お姉ちゃんは一緒じゃないの?」

「バイトが長引きそうなの。先に食べて、お風呂も済ませちゃいなさい」


 いうだけ言って見送った。私の弟。唯一の肉親。


「……健気だな。弟の為に文字通り命を張って……、クク」

「黙れ」


 まだ通信機が切れていなかったか。怒りの言葉で返す。私には守らねばならない存在がいる。そのために戦う。それだけだ。


「報酬は用意しておけよ」

「もちろん。……仕事を果たせば、な」


 今度こそ通信を切る。向かうは廃教会、ターゲットを仕留める。


*      *      *


「来るかなぁ」


 廃教会の中。案の定誰もおらず、中も手入れされていない。半ばジャングルの様になっていた。ツタの絡まる崩れかけの柱、どうしてなかなか崩れないものか。

 リンは腕を組んで天を仰いでいる。どうやら彼女的には自分から仕掛けたい様だ。


「多分来る。だが俺たちに出来るのは迎撃ではなく――」


 一帯を見渡す。廃教会。壊れた長椅子。崩れた壁面。そしてなにより、高い天井。


「俺が襲う側なら、高所を取って狙撃からだな。高低差を生かして戦う」

「え、なら私らも登った方がいいんじゃないの?」

「すると今度は足場を崩される可能性がある。その方が対応しにくい」

「むぅ。めんどくさいなぁ」


 不貞腐れてしまった。しかし、何が正しいのか分からない状況。戦闘は後の先で戦うのがセオリーだろう。

 ……とはいえだいぶ待った。もうそろそろ動きがある頃だろうが――


 ――カコーン。


「! 十時!」


 事前に仕掛けたブービートラップ音を頼りに各々が動く。俺は隠れながら距離を詰める。彼女はターゲットを取る。


「やっほ! 私とは初めてかな! 一本お手合わせ願おうか!」

「――――」


 教会内に響く声は一つ。だが存在感は二つある。その一つをたどり討ち取ってみせる。

 上階へ向かう梯子を急いで登る。背後から発砲音と金属の弾ける音がする。リンは抵抗出来るだけの力を持っているのは本当だったようだ。


 登った先で存在を確認する。走り彼我の距離を詰める。


(女の子……? 学生……? これが殺し屋、なのか?)


このまま不意打ちまで決まれば良かったが、流石に脇の甘い相手ではない。ターゲットを切り替えこちらに銃口を向ける。

 見たことのない大型のハンドガンだ。使用されているのはマグナム弾かもしれない。だが。


 数刻前。


「あんたがランスロットの名を持って、近接スキルを持ってるなら弾丸くらい弾けるんじゃない?」


 そう言ったのはリンだ。確かに、名を得る前でもベルトで弾丸を打ち落とす事には成功している。今度はナイフでやってみろ、という話だ。出来るわけがない。……そう言いたかったが。


 弾丸が放たれた軌道が見える。ナイフを射線を逸らす角度で構えそれを受ける。


(くっ!)


 腕に伝わる衝撃は凄まじいものだったが、弾く事には成功した。これで彼我の距離は0に――。


「なっ!」


 彼女は迷いなく飛び降りた。それなりの高さを持つこの場所から、不利を悟って降りる選択をした。

 それ自体はすごい判断だ。だが下にはリンがいる。彼女がそれを見逃さない。刀を持つ彼女との近接戦はかなり難しいものだと思うが。


「っ!」


 一瞬の剣戟。そこに隙は無かった。故にこの結果は、彼女が実力で上回ったという事になる。近接戦、CQB。長物である刀をいなして体術に持ち込み、その長至近距離で二発の発砲。リンの大腿部を捉え、行動を阻害した。


 昇降用の梯子を滑るように降りていく。少し遅れて俺もその場に着く。だが敵である彼女は去っており追撃には至らなかった。


「っ、追って! 私は無理だ!」


 膝を折る彼女と出血を見て、すぐに判断した。リンはここに置いて俺が追撃に向かう。

 向かった方向は分かっている。走ってその後を追った。



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