第33話 とくべつな人間
どうして先生がシオリを連れてきたのかといえば、取材したときに知己となったからだ。
先生が書いている作品はフィクションで、完璧なリアリティが要求されるわけではないけれど、それでも関係者の話を聞いておくのにこしたことはないからね。
「それで、先日お会いしたときに、子猫を保護したという話を伺ったのよ。その経緯もね」
そのときは、なるほどと思っただけ。
そりゃそうよね。
先生とシオリの関係って、作家と取材対象者ってだけだからね。話が膨らんでいくはずもない。
流れが変わったのは、シオリがこの話をバンにしてからだ。
「ああ、それはぴろしきの姐御だよ。あのお人はドライなことを言ってるけど、絶対に人を見捨てないから」
などと、あきらかに過大評価なことを語っちゃったのである。
あの馬鹿シカは。
がぜん興味が湧いたシオリは、バンからいろいろなことを聞き出した。
もちろんダンガーの一件についてもね。
「めちゃくちゃ驚いたよ。山の動物たちがぴろちゃんに知恵を借りるためにきていたなんて」
「偶然の結果なのだけれどね」
私はシオリの膝の上で、ふにゃっと笑って見せる。
すかさず先生が携帯端末を構えるけど、さすがにシオリがフレームに入ってしまうので断念した。
許可なく女性を撮るわけにはいかないものね。
「どうぞ。かまいませんよ」
すると、シオリの方から鷹揚に許可を出してくれた。
テレビに雑誌に新聞にネット、もう取材慣れしているからいまさらなんだってさ。
シオリに撫でられる私を幸せそうに撮影する先生。
まあ、人の膝に乗っている写真は存在しないものね。
ともあれ、私が知恵を出したのは偶然の結果だ。
本当は、山で一番の知恵者だったキタキツネのバロンが、凶悪ヒグマのダンガーをやっつける作戦を練っていたのである。
結局それは失敗に終わり、彼は山に逃げ帰った。
私が追い払ったとバンは思ったみたいだけど、そういうことじゃない。遅かれ早かれバロンは逃げるしかなかったのである。
人間はキタキツネが出たくらいでは山狩りをおこなわない。
バロンは、ただ追われ、狩られ、殺されるか逃げるしかなくなるのだ。
戦略的には何の意味もないのである。
「むしろ、そういう読みができちゃうって、もう一回訊くけど、本当にぴろちゃんって猫なの? 頭なめらかすぎない?」
「たまに自分でも判らなくなるわ。じつは私、ニャルラトテップとかなのかもしれない」
「なんでクトゥルフ神話よ。せめてバステトとかにすればいいのに」
「ベタすぎるかなー、と」
エジプト神話の猫の女神である。
でもほら、あれって短毛種っぽいし。
バンが語ったのは盛りすぎだと思うんだけど、シオリにとって私は命の恩人といっても過言ではないんだそうだ。
私が策を立てなければ、バンが山に入ってきた人間をマークすることもなく、ダンガーの上前をはねるなんて離れ業もできなかった。
という理屈である。
「結果論も良いところよね」
「結果論でもなんでも、それでわたしが助かったのは事実だから」
「まあ、そういうことにしておくけど。それでシオリは私の顔をみに、わざわざここまできたのね」
「ちょっと違うわ。恩に報いようと思ってきたのよ」
シオリの言い分に首をかしげる。
私自身は充分に報われていると思っているからだ。
大好きな先生と、暖かい家で、食事の心配もなく暮らしている。これ以上なにかを求めたらバチがあたってしまうよ。
「ぴろしきの姐さんが守った赤ちゃん猫、どうかあっしに預からせておくんなさい」
なぜか変な口調でシオリが申し出た。
なにその話し方。バンにでも教わったの?
写真を撮っていた先生がくすくすと笑い出した。
シオリの言葉が聞こえちゃったらしい。あ、小声とはいえ彼女は人間語で喋ってるからね。耳を澄ませて集中すれば、聞き取れちゃうのだ。
さっとシオリの頬に朱がさす。
「たしかに。ぴろしきが守ってたんだよな。あれには驚いた」
述懐するようにつぶやく先生だった。
まあ、先生が現れたとき、私はクズ人間どもをやっつけようとしてたんだけどね。
後ろにのあーると赤ちゃん猫をかばっていたから、守っているように見えなくもなかったかもしれない。
「ていうかぴろちゃんって、人間相手に勝てるつもりだったの?」
「手加減をしなければ、なんとかね」
シオリの言葉に頷く。
目を潰せば、人間は一気に戦闘力を失うから。
視覚情報に索敵の九割までを頼り切ってるって、正直、野生では生き抜けないレベルよね。
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