第10話 なんとかしないと
仕事をしている先生に駆け寄り、にゃあにゃあ鳴きながら身体を伸ばして太腿のあたりを前肢で引っ掻く。
「いていていていて。どうしたんだ? ぴろ」
遊んで欲しがっていると誤解したのか、先生は私の背中を撫でた。
もどかしいわね。なんでこの人は猫語が判らないのかしら。
私は一度先生から離れ、階段の方へと少し走った。
そしてまたにゃあにゃあと警告する。
「んん? もういいのか?」
ちっがーう!
鈍感! ばか! おたんこなす!
私はまた先生に駆け寄って爪を立てる。
「いててて」
このやりとりを三回ほど繰り返して、ようやく先生は緊急事態だと気づいてくれた。
遅いよ。これがもし火事とか報せてるんだったら、ふたりとも逃げ遅れちゃうよ。
ちゃんと猫語を勉強して。
ふたりして一階へと降り、私の先導で網戸が破れた窓に辿り着いた先生の顔色が変わった。
「まさか! さくらが外に出たのか!?」
そう。そのまさかよ。
先生は窓から顔を出して、さくらの名前を呼ぶ。
おやめなさいな。
いま呼びかけても怖がってますます遠くへ逃げてしまうだけ。
にゃあと鳴き、私は先生の注意を喚起する
「ぴろ……そうだったな。一日目は焦っちゃいけない」
ふうと息を吐き、先生はしゃがみ込んで私を抱き上げた。
少しは冷静さを取り戻したようね。
先代、先々代の猫から数えたら、先生は二十年以上も猫と暮らしているのだ。脱走してしまったときの対処法だって熟知している。
「脱走一日目に無理追いは禁物。急な環境変化にパニックを起こしているから、得られる情報を少しでも減らす、だったな」
私の目を見つめたまま呟く。
「OK。良い顔になったじゃない。それじゃあ善後策を講じましょ」
ぺろりと鼻の頭を舐めてあげる。
くすぐったそうに、先生が目を細めた。
迷子猫のポスターを作り、印刷しておく。
近所に配ったり、スーパーやコンビニに掲示してもらえるように頼みに行くのは明日以降だが、いまは少しでも何かしていた方が気が紛れるのだ。
「三十枚でいいかな。ぴろしき」
「半分で良いわ。どんだけ広範囲にばらまくつもりなの? 先生」
うにゅうと否定した。
オス猫とメス猫では行動半径がまったく異なるため、必要になるポスターの枚数や、どの範囲に捜索協力を呼びかけるかなど、けっこう違うのだ。
さくらの場合はメスで、しかもまだ子猫。
普通に考えて半径百メートル。パニックを起こしているから少し広めに考えて二百メートルといったところだろう。
その範囲に入る家など数えるほどしかないが、あちこちにポスターを貼るのは、先生が探しているのだということをアピールするためだ。
SNSなんかで助けを求めるのも有効だろう。
ただし、すべては明日以降の話ね。
いま大騒ぎしたら、さくらのパニックはますますひどくなってしまうから。
「あとは捕獲器だな」
呟いた先生が、納戸から段ボールに包まれた檻を出してくる。
「んっと組み立て方、どうだったかな」
「忘れたんかい」
私は、にゃにゃうと胡乱げな声で鳴いてやった。
とはいえ、数年ぶりの稼働だものね。きちんと憶えていたらすごいわ。
悪戦苦闘しながら、なんとか形にしていく。
構造としてはそう難しくない。檻の中に踏み板があって、それを踏むと出入口がぱたんと閉まる、というシロモノだ。
こんな単純な罠に引っかかるわけないだろって普通なら思うんだけど、野生動物はわりと簡単に捕獲できる。
なにしろ野生には罠なんてものが存在していないから、構造を理解することができないんだよね。
それにまあ、野良猫にしても野良キツネにしても飢えてるからね。
おなかがすいて目が回っていれば、警戒心より食欲が優先されちゃうのは人間だって動物だって同じなのよ。
「玄関ポーチに仕掛けるかな。それとも物置?」
「前者でしょうね。物置の扉を開けっぱなしにしておくのは、さすがに防犯上の問題があるわよ」
尻尾を振って、私は提案してみせた。
「物置か……」
「ほんっとに猫語を勉強してよ。先生。なんで逆の意に取るのよ」
うにゅうと否定すれば、先生は私の背を撫でた。
「ぴろが逃げたときのやり方をトレースしよう」
ぐ。
思い出させるんじゃないわよ。
あれは若気の至りってやつで、いまはそんなばかなことはしないって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます