第8話 なじんできたね

 どこにいくにもさくらがついてくる。

 おまえは金魚のうんちさんかってレベルで。たぶん、母猫から充分な愛情をもらえなかったんだろうね。

 どういう経緯で保護されたのかは知らないけれど、人間に対するあの警戒心だもの。かなりつらい体験をしてきたんじゃないかしら。


 私は生後一ヶ月で先生の家族になり、そこからずっと愛情たっぷりに育てられてきた。

 さくらと比較したら、天国のような環境だろう。


 だからというわけではないが、けっこう私はさくらのわがままを許している。

 もちろん、笑って済ませられる範囲内において、という前提だけどね。


 先生に怪我を負わせたり、私の大事な首輪を壊したりしたら、さすがに怒っちゃう。大激怒だ。


「さくら。今日は戦闘訓練よ」

「さー。いえっさー」


 互いに爪を出さず、パンチとキックで戦う。

 先生は喜んで写真を撮ってるけど、遊んでるわけじゃないのよ?


 私もさくらも、このおうちを守る戦士だからね。

 万が一、害獣とかが入ってきたときには、先生を守って戦わないといけないのだ。


 昔から、犬は人につくけど猫は家につく、なんていわれてるけど、あれじつは間違い。

 猫的解釈でいわせてもらえば、猫ってのはその家にいる人についてるの。

 だから、家を守るのと住人を守るのは同義なのよね。


「にゃにゃっ! 負けたぁ!」


 幾度目かの攻防の後、さくらが根を上げて逃げていく。

 ふうううう。さすがに若い子の相手は疲れるわ。私ももう四歳だから。いつまで勝てるかしらね。


「ぴろ。さくらをいじめちゃダメだぞ」


 先生が私の背中を撫でながら言った。


 理不尽なり。

 鍛えてるだけなのに。

 私は先生の膝に身体を擦り付け、ごろごろと喉を鳴らして抗議した。


「ぴろしきはこんなに懐いてくれるのに、さくらはあんまり懐かないよな」


 それは仕方がない。さくらは野良出身だもの。

 私たちみたいにブリーダーのところで生まれた猫にとって人間というのは敵ではない。主人って発想は猫にはないけれど、ともに生きる仲間という認識だ。


 ところが野良猫にとって人間というのは本質的に恐怖の対象なのである。

 まず身体が大きいからね。

 猫に優しい人もいるけれど、追いかけ回したり虐待したりする人間だっている。

 警戒して当たり前なのだ。


 無条件に心を許せる人間なんて、写真家の岩合いわごう光昭みつあきさんくらいのものだろう。


「さくらもぴろしきみたいに、自分から膝に乗ったりしてくるようになるのかな」


 私の背中を撫でながら先生が呟く。


 なるわよ。

 いまはまだ警戒の方が勝っているけれど、先生が優しい人間だってのはいずれ判るもの。そしたら私以上に甘えるようになるわ。

 愛情に飢えてるからね。さくらは。


 膝に乗るどころか、先生の布団に潜り込むくらいのことはするわよ。きっと。

 だから心配しなさんな、という思いを込めて、私はにゃあと鳴いた。

 あと、浮気はほどほどにねって意味も込めておいたわ。






 ある日のこと、さくらがじっと窓の外を見ていた。


「なにしているの? さくら」

「猫がいる」


 そう言った視線の先には、やや長めの被毛がぼさぼさの黒猫が、のんきに座っている。


「のあーるね。けっこううちの庭に遊びにきてるわよ」


 このあたりのボス猫のひとりだ。


 傍若無人っぷりは人間たちの間でも有名で、彼が道路を渡っているときには自動車の方が待たなくてはいけないとか、彼が遊びにきたら人間はおやつを差し出さなくてはいけないとか、謎のローカルルールがあるらしい。

 車道の真ん中で寝ていた、車の方が申し訳ありません通してくださいって感じで通っていたと、先生が言っていたこともあった。


「なんかすごくくつろいでる。野良なのに」

「まあ、この庭は安全だからね」


 先生は野良猫を追い払うように人じゃないし、広い庭には身を隠す場所がいくらでもあから、カラスの攻撃に怯える必要もない。

 それで、けっこう頻繁に野良たちが庭で休憩していくのである。


「休んでるだけ? ずっといないの?」

「食べ物がないもの。雑草しか生えてないし、実のなる木なんてオンコくらいしかないし」


 私はかるく首を振ってみせた。

 せめて池でもあれば水分補給はできるだろうけど、うちの庭にはそんなものもない。先生は野良猫に餌をあげたりしない。

 だからちょっと休んでまたどこかへ行く、というのが野良たちの行動だ。


「先生ってのは冷たい人間なんだね」


 ぽつりと呟くさくら。


 うーむ。

 子供の彼女には、まだ判らないんだろうな。

 気まぐれに餌付けをしてしまうことの罪深さが。


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