第3話 野良だったから
それから何日かの時が流れ、さくらが隙間から出てきた。
とくになにか心を開くようなイベントがあったわけではなく、普通に、とととと、と。
うん。そんなもんだよね。
この家には敵がいないんだって、やっと皮膚感覚として理解できたんだろう。
「やっと出てきたわね」
「ふ、ふん! おなかがすいたんだい!」
ぴんと尻尾を立てて応える。
あ、この子ってカギ尻尾だ。幸運の印っていわれてるのよね。洋の東西を問わず。
まあ、実際に幸運だろう。
先生にもらわれることができたんだから。
「はいはい。ツンデレ乙。こっちがさくらのごはん置き場よ」
先導してあげる。
これは私の得意技で、先生からも先導にゃんこって呼ばれてるの。
お風呂上がりに、眼鏡を外していてあんまり見えない先生を、私が鈴の音で先導してあげるのが恒例行事ね。
「ツンデレってなに?」
「さあ? 先生がよく使ってる言葉ね。猫はみんなツンデレなんだって」
「ふーん?」
「はい。こっちがごはんでこっちがおやつ。で、それが水。ここはさくら専用ね」
ちょいちょいと右手で教えてやる。
まあ、見ればわかるんだけど、おやつばっかり食べちゃったらごはんが食べられなくなるから注意だ。
「ボク……専用?」
「そう。私はここのは食べないわ。だからさくらも、私のごはんを食べちゃダメよ」
さくらが面食らっている。
無理もない。野良の世界では奪い合いだものね。
でもここは違うの。ちゃんと二人分の食器が用意されてるし、清潔な水も飲める。
「ごはんは朝と夜の二回よ。あんまり食べ残すと先生が心配するからきをつけてね」
「二回も……ここは天国……?」
目をキラキラ輝かせるさくらだった。
ていうか隙間に隠れていたときだって、先生はごはんと水を用意してくれてたんだぞ。気づいてないだろうけどね。
「おおお! さくらが出てきたのか!」
先生が喜んでる。
それを見たさくらがびくっとなって逃げようとしたけど、私は大丈夫だと言ってあげた。
先生は、私たちの嫌がるようなことを絶対にしないから。
外にいる意地悪人間とは違うのだ。
目線を下げ、上からではなく横から手を伸ばしてさくらを撫でてあげようとする。
このへんもすごく優しい。上からくるのは本能的に攻撃だと思っちゃうからね。私たちは。
あとは身を委ねれば、優しく優しく撫でてくれるよ。
と、思っていたのだが。
「触らないで!」
シャー! と、威嚇してさくらは爪を出し、先生の手を引っ掻いちゃった。
「バカ! なんてことするの!」
私はさくらを突き飛ばして先生に駆け寄る。
ひどい。
血が出てるじゃない。
ぺろぺろと舐めてあげる。
「いてて。ぴろしき。大丈夫だ」
大丈夫じゃないでしょ。先生のその手は商売道具なんだから。
すぐに病院に行って。
猫の爪はナイフみたいに鋭いし、野良だったさくらの爪はばい菌だらけだと思うし。
私はにゃあと鳴いて、注意を喚起した。
先生は左手で右手を押さえ。傷口を洗うために台所へと去って行った。
ぽたりぽたりと血が垂れる。
見送った後、私は部屋の隅で毛を逆立てているさくらを睨み付けた。
「……あんた。自分が何をしたか判ってるんでしょうね……」
背を丸め、両手の爪を出し。
返答次第では絶対に許さない。子猫だからって容赦しないんだから。
先生を傷つけるなんて。
「うう……叩かれる……蹴られる……人間怖い……」
「先生が叩くわけないでしょ。あんたは絶対に爪を立てちゃいけない相手に爪を立てたのよ」
そろりそろりと近づいていく。
悪いけど本気モードだ。殺してしまうかもしれないけれど、それも仕方がない。こいつはそれだけのことをしたんだから。
怯えた目のさくら。
いまさらすぎる。
「さあ、覚悟はいいわね」
フーと威嚇し、私が飛びかかろうとしたそのとき、後ろからひょういと抱きかかえられた。
「ぴろしき。そんなに怒ったら可哀想だ」
先生だ。
右手にはキッチンペーパーがぐるぐる巻きされている。
にゃあと鳴いて私は先生の身を案じた。
「大丈夫だ。心配してくれてありがとう。でも喧嘩はダメだぞ」
私を抱きかかえたまま、先生がリビングへと移動する。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
その背に、さくらがにゃあにゃあと謝り続けていた。
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