第2話

「キャーーーーーーーーッ!!!」

「悲鳴! ――向こうからか!?」


 見回りの最中、何処からか甲高い悲鳴が聞こえてきた。

 即座に俺は悲鳴が聞こえてきた方へと駆け出す。


 幸い悲鳴の発生源からそう距離は離れていなかった。


 全力で走ればすぐに現場へ辿り着く事が出来た。


「この僕の妻にしてやると言っているんだ、大人しく従え!」

「いやっ、やめてください! 離してぇっ!?」


 騒ぎの原因となっているのは二人の男女。


 一方は俺も見覚えのある女。クォドネリアの住民だ。

 もう一方は見覚えがない男。格好からして恐らく貴族。


 貴族の男が女を無理矢理に連れて行こうとしているようだった。

 女は必死に男の手を振り解こうと抵抗しているが、男女の体格差からその試みは上手くいっているとは言い難かった。

 少しずつではあるが、男の望む方へと引っ張られて行っている。


 その光景を見た途端、カッ! と思考が赤く染まった。


「なにしてんだてめぇえええええええっ!!!」

「は? ――ぐぶぇえええっ!?!?!?」


 一瞬で男との距離を詰める。


 そしてボグゥ、と音を立てて。

 俺の拳が男の顎を打ち砕いた。


 豪快に吹き飛び地面を転がる男。


「――バルド様!」

「下がってろ。危ないからな」


 女を下がらせ、吹き飛ばした男に目を向ける。

 起き上がった男が顎を抑え、こちらを睨み付けていた。


「お、おみゃえ! このびょくをだれだとおみょってる!?」

「お前が誰か、なんて俺の知った事かよ」


 ペッ、と唾を吐き捨てる。


「うちの民に手出したんだ。覚悟はできてるんだろうな?」

「こ、こうかいしゅるぞ! このびょくにてをだしたんだからな!」

「そうか。じゃあ後悔する前に始末した方がいいか?」


 少し強く地面を蹴れば、大きな亀裂が入る。

 それを見て男はひっ、と小さく悲鳴を上げた。


「く、くしょっ、おびょえてろやびゃんじんめっ!」


 捨て台詞を吐いて男が逃げ去っていく。

 遠ざかる後ろ姿に、俺は溜息を吐いた。


 やれやれ。まさかうちの領民に手を出そうとする奴がいるとはな。

 街の巡回中にかち合う事が出来てよかった。もし他のタイミングで手を出されていたら、助けられない可能性もあった。不幸中の幸い、と言っていいだろうな。


「あの……」と後ろから声を掛けられる。


 見れば、女――領民の女性が俺に頭を下げていた。


「あ、あの。助けてくれてありがとうございます!」

「おう。助けられてよかった。怪我はないか?」

「はい! バルド様のおかげでなんともありません!」


 怪我の有無を確認すると、女性はハッキリと頷いた。


 見たところぎこちなさはないし、本当に怪我はなさそうだ。

 よかった。俺は無事に彼女を助ける事が出来たようだな。


「流石バルド様! クソ野郎を追い払ったな!」

「やっぱりバルド様は私たちのヒーローよ!」

「バルド様素敵ー! わたしと結婚してー!?」


 いつの間にか周囲には街の連中が集まっていた。

 苦笑いしつつ声援に応えて手を振れば、大きな歓声が上がる。


 相変わらずミーハーな連中め。

 こんな男の姿を見て何が楽しいんだか。


 しかし、と。俺はさっきの男について考える。


 思わず手を出したが、ありゃ何処の貴族だ。


 ここは仮にも英雄である親父の魔界。

 騒ぎを起こすリスクは貴族なら知ってるはず。


 どうにでもできる算段でもあったのか。

 それとも何も考えていないバカなのか。


 考えて考えて……段々と面倒臭くなった。


 ――どうでもいいか。親父がなんとかするだろ。


 俺は投げやりにそう結論付け、考えるのをやめた。


 それがマズかったのだろうか。


「――バルドよ。貴様、下手を打ったな?」

「……はぁ? いきなりなんだよ、親父?」


 数日後。俺は親父にそんな事を言われた。

 突然呼び出された場での事だ。


「ある貴族から連絡があった。息子が貴様に殴られた、とな」

「チッ。あいつ、親に泣きついたのかよ」


 貴族の子息と聞いて思い当たる節は一件だけ。

 数日前女性に手を出そうとしていたあいつだ。


 やっぱりあいつは貴族の息子だったか。そうだと思っていた。

 他人の領地で偉そうにする奴なんて貴族かその子息くらいだが、あいつに貴族になれるほどの力は微塵も感じられなかった。俺でも余裕で勝てるくらいだからな。


 しかし……まさか自分で報復する訳でもなく、親の力に頼るとは。

 とても魔族とは思えない腰抜け野郎だ。本当に魔族なのか?


「その様子では真実らしい。では――貴様を我が魔界から追放する」

「はぁ!? いきなり何言いだしてんだよクソ親父!?」


 信じられない言葉を聞き、思わず俺は声を荒げた。


「ヒアブル3級侯爵殿は大層お怒りになっている。

 平民に手を出した程度で息子に危害を加えるとは、と」

「じゃあ何か!? 領民を助けなけりゃよかったってか!?」

「そうだ。領民など見捨ててしまえばよかったのだ」


「――――――――――ッ!?」


 襲われている領民など見捨ててしまえばよかった。

 親父がそう口にした事に、俺は強く衝撃を受けた。


「あちらは差し出された貴様を処刑したがっている。

 差し出さず追放処分を言い渡すのは、父としてせめてもの慈悲だ」

「……ああ、そうかよ」


 ――あんたも、俺の事なんてどうでもいいんだな。


 心の中でぽつり、と。

 そう呟いた。


 上位の貴族に逆らわず俺を追放しようとするのがその証左。

 英雄の親父であればそのくらいどうにでも出来るだろうに。


 この魔界に味方は一人もいない。

 それを理解して、俺は……。


「――だったらこんな場所、自分から出て行ってやるよ」


 親父に背を向け、俺は執務室を後にする。

 最後に親父と目を合わせる事すらしなかった。

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