第5話 幕間

 せっかくくっついた骨がパキパキと音を立てて砕けるようだった。千ノ音先輩の時間を独り占めにした代償が降りかかったのかもしれない。

 なんて大袈裟に言ってみたけど、今しているのはただのリハビリだった。退院後の残り少ない冬休みはこれに費やさなければならない。千ノ音先輩のお陰で周りに追い付くための勉強が必要無いのがまだマシとはいえ、あたしの唯一の取り柄であった体力がへなちょこになっているのは大問題だった。

 だから行動するしかなかった。2ヶ月に及んだぬくぬく病室生活明けの真冬の極寒の世界があたしの精神力を蝕んでいく。最初は軽いウォーキングから、なんて考えていたのに、骨身に沁み込む寒さは走っていないと全身が凍てついて動かなくなってしまいそうだった。


「ぜぇ、ぜぇ……」

「まさかミーちゃんがこんなによわよわになってしまうとは。計算外だ」


 一人だと心が折れそうだからと呼んだソフトテニス部の相方『加賀美美香かがみみか』が眼鏡をクイッと上げた。

 彼女の方がミーちゃんっぽい名前をしているのに、ミーちゃんと呼ばれるのはあたしの方だ。『ボールがラケットのスイートスポットにジャストミートした時の威力がすごいからミーちゃんね』、と彼女から言われた時は何を言っているのか全然分からなかったけど、もう部活内に浸透してしまっているから今さら訂正も言い出せない。彼女のことはみんなが『ミミ』と呼ぶのでますますややこしい。

 とまあそんなこんながありながらも普通に友達なミミは、寒いのに汗をかいてさらに震えるあたしに温かいコートをかけてくれた。


「ま、まさか公園10周でここまで息が上がるなんて……」

「ふふっ。どうやら、前衛と後衛を入れ替える時が来たようだな」

「あんた前衛しかできないでしょーが」


 こいつは『データ収集だ』とか言ってネットの前から一歩も動かず、ずっとあたしにボールを拾わせ続けるとんでもない奴だ。そして、あと少しで敗北となるタイミングで『データは揃った』とか言い出して、相手の動きを全部読んでボレーを決めまくるとんでもない奴でもある。本人曰く、"類稀なる観察眼"の持ち主らしい。すごいけど結局あたしの体力頼りの戦術なので、地区大会とかで一日に何戦もする場合、普通にあたしがバテて負ける。


「うむ。だから頑張って前の3倍くらい走り回れるようになってほしい」

「病み上がりになんて無茶振りを」

「ウチの観察眼によるとミーちゃんにはそれくらいの潜在能力はあるのだよ」

「だとしたら、ソフテニより陸上やった方が簡単に結果出そうだね」


 おどけたら、「それは許さん」とつむじをグリグリ指で押された。

 ま、ただ走るだけの陸上競技は性に合わないからあたしも端からやるつもりなんてないけど。良くも悪くもこの学校は文化部が強く運動部が弱い。ソフトテニス部もお遊びみたいな感じだし、そこで自由にラケット振り回してる方が楽しい。

 ちなみに、千ノ音先輩の吹奏楽部はかなりガチである。ガチり過ぎたあまり学校の公式サイトの触れ込みに"野球部が弱くて応援曲の練習が必要ない!"と書いてしまって野球部員全員が枕を濡らした伝説もあるとか無かいとか。

 まあそんな話はどうでもよくて。今日ミミを呼んだのは、リハビリを見守って貰う為だけでなく、聞いておきたい事があったからでもあるんだった。


「あのさ。話は変わるんだけど」

「ん、何?」

「あたしずっと学校休んでるから、今の学校はどんな感じかなって」

「別に、そんなに変わってないぜぃ」


 ミミは空を見上げて、腰に手を当てながら白い息を吐く。無駄に意味深なのはいつものことだ。


「恋島症のせいで、みんな恋愛を恐れて、人付き合いが最小限って感じ。まったくもって高校生らしからぬよ」

「そっかあ。そいつはらしからぬね」


 恋島症がもたらした恋愛自粛ムードには溜め息が出そうになる。

 そりゃ、自分も相手も初恋が済んでいるのか分からない状況で本気の恋なんてできないのは理解できるけど。


「あたしも初恋がまだな口だし、ほんと厄介だよ恋島症」

「いやミーちゃんはどう考えても別口だろがい。何当たり前のように大好きな千ノ音先輩と二人きりでイチャイチャしてんの」


 脇腹にチョップが飛んできた。届く前に軽く払い除ける。


「あたしだって、こんなことになるなんて思ってなかったし。でも、先輩の厚意は無下にできないし」

「ウチが呆れてるのはそれでも先輩を忘れてないミーちゃんの特異さだけど」

「特異さって、ただの気合いだけどね」


 恋にならない程度に先輩を大好きでいると最初ミミに話したときは、綱渡り過ぎるとツッコまれたものだ。でも、それで今のところ先輩を忘れずに済んでるわけだし、そういうものだと返すしかない。

 昔から気合いだけには自信があった。これからもそれで上手くいく保証はないけど、あたしは先輩への想いを諦めない。


「気合いで恋島症なんてねじ伏せてやるから!」

「おー、その気合いで後20周くらい行っとこーぜ」

「それは無理、と言いたいけど、次に先輩に会うときまでに体力取り戻しときたいし、やってやる!」


 休憩は終わり、体が冷えきる前に再び走り始める。

 あたしの唯一の取り柄であった体力が取り戻せなければ、あまりの魅力の無さに先輩があたしを好きになるのを諦めてしまうかもしれない。

 そうならないために持てる力を全て費やすのは、全く苦にならなかった。

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