イカロスの翼

茄子屋のトモカ

イカロスの翼

「合計で三百二十八円となります。」


接客の合間で商品の入荷確認と返品書類の作成。

今となっては当たり前にできるこの仕事も少し前までは何度も失敗しては怒られていた。

僕は今深夜のコンビニでバイトをしている。夜に起きてコンビニで午前0時から4時まで働いて、帰ったら朝日の前に寝る。

この生活をもう何度繰り返したことだろう。僕は太陽がどんなものだったのかさえうろ覚えになるほど陽の光を浴びていない。

そういえば…。僕はおもむろに梱包する手を止める。もうすぐ君の誕生日だったね。5月21日だったか26日だったかあやふやになっていて、君の声を思い出すことは出来なくなってきてるけど、その優しい微笑みを忘れることはない。

僕は落ちこぼれのくせに太陽のような君に恋をしたあの日々を頭に紡ぎ始めた。



君と僕は同じ小学校だった。お互いに学校で一番を争う頭脳を持っていたからか、気があって仲が良かった。

クラスのことを完全には覚えていないけど、確か二、三年間君と同じクラスだった気がする。僕達はそのまま同じ中学校に進学した。

その学校は、君にとっては女子最高峰で、僕にとっては第一志望に落ちた者の受け皿で、持っている価値は天と地ほどに違っていた。

それでも僕は君と仲が良かったから、この先の学校生活に思いを馳せることが出来ていた。

実際、入学式でも互いに挨拶したし、次の日も一緒に登校したのを覚えている。そういえば、その日の登校、つまり唯一君と一緒に登校した日に話したことは今でも鮮明に覚えているよ。


「和子ちゃん、君のこと好きだったんだよ。」


当時幼かった僕はそれに何と言えば良いのか分からなかった。いや、かつてより多少大人になった今でもその全てを理解できるわけではない。とにかく、その意図するところを汲み取れなかった僕は曖昧に返事をするとそのまま一緒に歩いた。

もしかすると、あのときに未だにわからない模範解答を言えばそれからも一緒に登校をしていたのかもしれない。

可視化するとしょうもないことに映るかもしれないこのことを、僕は今も人生の一大事だったと思っている。

それから、君と話すことはなくなった。当初は、クラスが違うから当たり前と処理して、大事にしなかった。

僕達はそれぞれ、おしゃれなお嬢様グループと、クラスの陰気な窓際グループに属すようになった。

そんな僕に転機が訪れたのはあのときだろう。


「お前って好きな人いるの?」


中学生男子のしょうもない会話の中で、僕はこれをチャンスに感じていた。ここで上手く答えれば、クラスで浮かなくて済む。中心とは言わなくても、窓際にされることはない。

そう思って僕はとっさに君の名前を出していた。それに加えて君と小学校が同じだったことも、君と仲が良かったことも。

当時から人気があった君のおかげで僕はクラスで一定の地位を獲得した。だけど、今思えばそんなしょうもないことで本当に大切なものを失ったと思う。

僕がクラスに馴染めば馴染むほど、君との距離は大きくなる。そんなことがわかっていたなら、僕は誰とも仲良くならずに、君だけしかいない未来に喜んで飛び込んでいただろう。

クラス外での交流が活発になってくると、自ずと君の噂が沢山の人の口から交わされた。その中には、僕と君の仲を疑うものも混じっていた。


「お前ってあいつと付き合ってるの?」


「うらやまし〜!」


「あいつと同じ小学校って最高かよっ!」


沢山の羨望の眼差しに僕は自惚れていた。だけど今ならわかる。みんなが見ていたのは僕ではなくて、その後ろにいる君の存在だったんだ。

そんな簡単なことにも気付けなかった僕は段々と態度を大きくしていた。それに比例するように加速する噂。

僕は流石に怖くなってきて何とか噂を止めようとした。


「好きっていうのは…。」


その後に続く言葉が見つからない。何も考えていないのに言い訳なんて出てくるわけ無い。

ついに君の耳にみんなが君を噂していることが入ってしまった。


「ねぇ、さっきどうして私の名前出してたの?」


僕は虚を突かれたように棒立ちになる。

全部僕のせいだ。僕はなにかに襲われたかのように半分狂った状態で言った。


「君には関係のないことです。あと、彼らとはもう連絡を絶対に取らないでください。」


当時の僕からしたら何気ない一言だったのかもしれない。だけど、曲がりなりにも小学生時代から仲が良かった友人に敬語を使われること、それがどんなに君を傷つけたことかは想像にかたくない。

いや、それも僕の言い訳なのかもしれない。ただ君のことを独占しようとする醜さの塊、惨めさの権化のような自分を少しでも美化しようとしているだけだ。

何を真実として君が捉えたのか知る由もないけど、君とはそれ以来話さなくなった。

僕はクラスのみんなにすべてを告白した。僕と君との間に何もなかったこと、君と僕は中学校に入ってからほとんど他人同然だったということも。

しんとした教室の中、誰かが言った言葉が響いた。

嘘つき。

それ以来、僕はクラスに馴染めず、窓際にも席はなく、完全に異物として認識されるようになった。

惨めな上に欲深い僕は、あろうことか君に救いを求めた。それも下品極まりないやり方で。

僕は君に会うと、今までの態度を悔い改めることもせずに、あたかもいつも会っていたかのような軽さで君に手を振った。

だけど君は、気まずそうに見なかったことにしていた。僕はまるで地獄の入口に立っていたところを君に突かれたような、荒波の中紐で縛られて君に落とされたような気分で、かえって心地よさまで感じていた。

もう何も無いんだ。

ただそのことだけがわかる。

もともと学校内の成績が良いわけではなかった僕はさらに輪をかけて勉強をしなくなると、あっけなく成績不良で高校への進級条件を満たさなくなってしまった。

親が言葉も出ないほどに絶望している中、僕はどこかホッとしていた。

もう、あの学校にいかなくて良いんだ。息苦しくなることも疎外感を味わうこともなくなる。

みんなが高校に入る時期に僕は今のバイトを始めた。

深夜にしたのには二つの意味がある。一つは単純に君を含めた学友たちに会うことがないようにするため。もう一つは、夜の闇に隠れてしまえば、どんな悪者でも受け入れられている気がしたからだ。

もう、誰も僕を咎めることはない。僕は犯罪を犯したりする気は全く無いけど、誰かに見られることにうんざりするようになっていた。



腐敗した中学生活を思い出して笑みがこぼれてしまう。

こんな思い出でも、思い出となってしまえば他人の出来事のようで笑い話にできる。

梱包に時間がかかって、久しぶりに残業となってしまった。

外に出ると、太陽の眩しさに思わず目が眩む。

一体どれくらい太陽を見ていなかっただろう。

そうか、僕はやっと自分がしたかったことを理解する。

僕はクラスの中心になりたかったわけでも、君を何とかしようと思っていたかったわけでもない。

君に誰よりも近づきたかったんだ。たとえ、そうすることで命が尽きるかもしれないとわかっていても、何度も夢に見た太陽に誰よりも近付こうとしたイカロスのように。



僕は目を細めながら朝日を睨んだ。その輝きは僕を拒絶するかのように強さを増す。

負けるもんか。

僕はどこを目指すかもわからないままに走り出した。(完)

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イカロスの翼 茄子屋のトモカ @hina1217

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