第一章 前代未聞、開校以来初の落第生⑤

    ***


『これくらいの毒、何でもありません』って、れいに解毒して見せたかったのに……。

 コレットが深いため息をつきながら辺りを見回すと、くろかみの青年が魔法でこおらされたようにじんも動かずコレットを見つめていた。アルベール王子は、いつの間にか足元にころがっている。その顔も軍服も血まみれだ。

 ひえぇぇぇぇ! おそれ多くも王子様に、血をぶっかけちゃったよ!

 これはマズい。非常にマズい。面接がどうこう以前に、不敬罪でたい。下手をしたらざんしゆもありうる。

 ここはもう……げるしかない!?

 コレットはすくっと立ち上がると、ドアに向かって駆け出した。

 先ほどまで固まっていた黒髪の青年が、ばやく追いかけて来る。そのままい締めにされて、頭一つ分小さいコレットは、軽々と宙に持ち上げられていた。

「いやあぁぁぁ! 放してぇぇぇ!」

「逃げないでください!」

「あ、あたしには父がいないので、母と四人の弟妹を養わなくちゃいけないんです! お願いですから、逮捕はごかんべんを!」

 コレットがバタバタ暴れても、青年の手はびくともしない。

「落ち着いてください! だれも逮捕などしませんよ!」

「でも、でも、殿でんが血だらけに! これって、不敬罪ですよね!?」

「そんなことくらいで逮捕したりしません!」

 コレットはしばらくもがいていたが、何度もり返し同じ言葉を聞いて、ようやく気持ちが落ち着いてきた。

「……ほんとですか?」

「本当です」

 暴れるのをやめると、コレットの身体はようやく解放された。

 り返ると、黒髪の青年がほっとしたように額にかんだ汗を袖でぬぐっている。

 落ち着いて考えてみれば、身分を明かしている以上、逃げたところでつかまるのも時間の問題だった。

 ムダにさわいじゃったわ……。

「……あのう、ところで、あなたは?」

「おっと、申しおくれました。私はジル・ヴァランタンと申します。アルベール王子の側近で、軍では副官を務めております。あなたと同じ平民なので、『ジル』と気軽にお呼びください」

 そう言って彼は、れいただしく胸に片手を当てて、親しみやすいがおを見せた。

「ジル副大隊長? ジル様? ジルさん?」

「女性なら呼び捨てでも構いませんが?」

「さすがにそれはどうかと思いますので、せめて『ジルさん』で」

「ベッドの中ではそんなかたくるしい呼び方はやめてくださいね」

「……うん?」

 どういうことか聞こうとしたところ、ジルが突然「アイタッ」とさけんで頭を押さえた。

「ジル、いい度胸だな。俺のしつ室で女を口説いているのか? このド変態が! 血まみれの女でもいいのか!?」

 ドスのいた声が鳴りひびいて、コレットはビクッとすくみ上がった。

 おそる恐るジルの背後をのぞき見ると、倒れていたはずのアルベール王子が立ち上がって、ふんの形相をジルに向けていた。

 こ、この人、本当に王子様?

 出会ってこの方、せいせいばかり聞いているような気がする。『変態』などという言葉が、その美しいくちびるからき出されるのが信じられない。

「いきなりなぐるとはひどいですよー。それまでの騒ぎを聞いていなかったのですか?」

「目を覚ましたら、お前がおかしな自己しようかいをしているのが聞こえた」

「あのですねぇ。私がほうっておいたら、彼女、逃げてしまうところだったのですよ。死体が歩いていると、おおさわぎになるところでした」

 死体が歩いてる?

 コレットが首をかしげると、王子の視線が向けられた。

「死体……。お前、一回死んで生き返ったのか?」

 王子に真顔で問われて、コレットは相手が王族であることも忘れて、「はあ?」とあきれた声を出していた。

「死んだ人は生き返りません。回復属性ほうの限界って言われています。ご存じありませんか?」

「もちろん知っているが、自分の姿を見ても同じことが言えるのか?」

 コレットは自分を見下ろして、「ぎゃあぁぁぁ!」と悲鳴を上げた。

 この日のために買った新しいワンピースに、べったりのりがついているのだ。

「あ、あたしのいつちようがぁぁぁ!」

「問題はそっちか!?」と王子にられて、そくに「問題ですよ!」と返していた。

「血って、シミきが大変なんですから! しかも、こんなに大量の血を付けちゃって。大問題に決まっています!」

 コレットがキッと顔を上げると、王子はなんだかだつりよくしたようなため息をついた。

「その服はべんしようする。そもそもこっちの試し方が悪かったせいだからな」

 王子はじろりとジルをにらんだが、彼はとぼけたようにヘラヘラ笑っているだけだった。

「あ、いえ、そこまでしていただかなくても……洗えば落ちますし、安物ですから。それより面接の方は……?」

 コレットが気になるのは、それ以外にない。これで試験をクリアしたことになるのか、それとも血をき出してしまったことで、不採用になったのか。

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