020 サイド:忍者アオ(4)

ボクは地下室で膝を抱えて座っていた。微かに聞こえるゴブリンの悲鳴や叫び声は途切れることなく続いた。いったい、どれだけの時間が過ぎたのだろうか……。


急に地面が揺れ、爆発音や炸裂音が聞こえてきた。いったい、上で何が起きているのだろう……。確かめに行きたいが、サイガとの約束がある。また、ボクが暴走してサイガに迷惑をかけるかもしれない。ボクは膝を抱えた腕に力を込めて顔を埋めた。


爆発音や炸裂音、悲鳴と叫声……全ての音が聞こえなくなった。ボクは戦いが終わったのだと思った。


ボクは恐る恐る暖炉から出ると、強烈な血の臭いが鼻を刺激する。死屍累々……何十匹ものゴブリンの死体が積み重ねられていた。広くない部屋は足の踏みどころはなく、壁一面は血でべったりと塗りつぶされていた。


凄惨な景色が広がる部屋を見渡すが、サイガの姿がない……扉を開けると廊下もゴブリンたちの死体で埋め尽くされていた。いったい何十匹のゴブリンを倒したのだろうか。ふと、外を見ると黒焦げた物体が無数に転がっていた。


ボクは窓から外に出ると周りを見渡した。もうゴブリンの姿はない。死体と思われる黒焦げの物体があちこちにあるだけだ……こちらも凄惨な光景が広がっていた。


遠くを見ると仲間たちがいた。足元には横たわるサイガ……お姉ちゃんが抱きついて泣いている……。


頭が真っ白になり、夢中で走り出した。黒焦げの死体に躓きそうになりながら必死に走る。ようやくたどり着くと、息を切らしてサイガの前に立つ。


みんながボクに気づいて振り向く。お姉ちゃんだけはサイガに抱きつき泣いたままだ。


「うそだよね、サイガ。『絶対、生きて』って言ったじゃないか! そして、ボクのことを守ってくれるって約束したじゃないか!」


ボクは横たわるサイガの頭を抱きかかえて泣き崩れる。ボクたちの傍でアルスが声をかけづらそうにしているが、そんなことは、どうでもよかった。


「…………。アオ、落ち着いてほしい。とても言いにくいんだけど……。その、なんというか、サイガは生きているよ。大きな怪我もしていない。ただ、疲れて寝ているだけなんだ」

「…………………………えっ?」


なら、なんで、お姉ちゃん、そんなに号泣しているの? ボク、今、凄く恥ずかしいのですけど……。


耳まで真っ赤になって顔を伏せる。すやすやと寝息を立てるサイガの顔がある。そういえば、ボク、サイガの頭を抱きかかえたままだった。


……そっと、サイガの頭を元に戻して立ち上がる。


「いやー、みんな、ごめんね。心配かけたよね? 別世界では『スマソ』っていうんだっけ? 『スマソ、スマソ』」

「………………まぁ、無事そうでなによりだよ。正直、サイガの部下から2人がいなくなったと聞いた時は、かなり焦ったけど」

「そうだぜ、マヤなんて明らかに動揺してたぞ。1人で追いかけようとして止めるのが大変だったんだぜ」

「フォルもごめんね。迷惑かけちゃって。お姉ちゃんを止めてくれてありがとう」


アルス、フォルにも心配かけてしまった。みんなの為にと思って偵察に出たのに、結局は迷惑をかけただけだった。本当に反省しないといけないな。


「アオ、本当にみんな大変だったのよ。マヤなんて血まみれのサイガを見て、カッとなって………。いいえ、何でもないわ」

「ティア、ごめんなさい………。さっき何か言いかけなかった?」


ティアの方を向くと、さっと視線を逸らされた。


なんで、みんな、お姉ちゃんのことばかり言うのかな? お姉ちゃんを見ると、まだ、サイガに抱きつき泣いている。……もう、いい加減に離れては?


しばらくすると、サイガも目を覚ました。


「うーん、よく寝た。あれ、アオもいるのか? 起きたら迎えに行こうと思ってたんだが……。結構、寝てたか?」

「いや、全然だよ、サイガ。マヤがゴブリン達を殲滅してから、大して経ってないよ」


サイガは、腰に抱きつき泣いているお姉ちゃんを気遣いながら上体を起こした。周りを見渡し頭を下げた。


「本当にすまなかった。俺の判断が良くなかった、1人で行くべきではなかった」

「だな、サイガ。お前らしくもない。一言声をかけるべきだったな」

「そうだな、フォル。ティアも治癒魔法、助かった。痛みがかなり引いた」


サイガがティアの方を向いて頭を下げるけど、ティアは少し不機嫌そうに否定する。


「……違うわよ、アルスが加護を使って治したのよ、私じゃないわ」

「……アルス、助かった、ありがとう。指揮や戦闘で疲れてるのにすまん」

「気にしなくていいよ。今回はほとんど戦ってないからね」


みんながサイガと言葉を交わしていく。サイガは腰に抱きつき泣き止まないお姉ちゃんに視線を落とし、頭の上に手を置き優しく撫でる。ボクの胸が少し苦しくなる。


「マヤも、ありがとう。あのまま戦っていたら、正直、辛かった。マヤの魔法のおかげで生き残れた」

「………………」


お姉ちゃんは、抱きつきうつむいたまま頷いた。サイガは苦笑いしている。


「けど、本当にすごいな、マヤの占星魔法は。『火暴炎風』だったか、あんな魔法は初めて見た」

「………………」


えっ! お姉ちゃん、占星魔法使ったの? 「火暴炎風」って、確か巨大な炎の竜巻を発生させるヤツだよね。しかも熱風による途轍もない上昇気流からできた巨大な雲が最後に超強力な雷を落とすヤツ……めちゃめちゃ疲れるから使いたくないって言ってなかったっけ?


いまだにサイガに抱きつき泣いているお姉ちゃんを、サイガ以外は、みんな引いた目で見ていた。


――――――――――


稽古に向かうサイガの後をついて、そんな昔のことを思い出していた。けど、本当に大きな背中だな、どんな修行をしたら、そんな立派な身体になるのかな?


「アオ、着いたぞ。さっそく始めるか?」

「うん、いいよ。手加減はダメだよ」

「了解! じゃあ、始めるか」


軽く構えを取るサイガに向かって、ボクは全速力で駆け出した。


――――――――――


「やっぱり、サイガは強いね。魔法を使わなかったら、全然、敵わないや」

「そうか、アオも強いと思うぞ、スピードは俺よりも上だ。何度も背後を取られそうになった」

「ほんと! じゃあ、最近覚えた技を披露しようかな、『暗駆(あんく)』!」


大きく後ろに跳び、サイガと距離を取った。十分な距離を確認して今度はサイガに向かって走り出す。強引に歩幅や姿勢を変えることで遅速をつけ、上半身は上下左右にぶれる。サイガにはボクがぼやけて見えているだろう。


サイガは目を見開き驚いている。目前に迫ると狙いが定まらず、突き出す拳には迷いを感じる。ボクは上体を下げ、拳を避けながら背後に回った。がら空きの背中に短刀を突きつけようとした瞬間、目の前にサイガの左肘があった。


右の正拳突きが躱されたと思った瞬間、引手の左腕を更に引き腰を回転させて、背後にいるボクに左肘打ちを打ち込んできた。


「わっ! あたたたた」


油断した瞬間の攻撃……ボクは思いっきり倒れて、お尻を地面に打った。絶対に取ったと思ったのに、やっぱりサイガには敵わない。


「大丈夫か、アオ? 凄い技だな! 焦って力加減を間違えた、すまん。歩けるか?」


差し伸べた手を掴み立ち上がる。『暗駆』で足腰を酷使して足元がおぼつかない。思わずサイガに寄りかかってしまった。


「やっぱりどこか痛めたか? すまん。俺も修行不足だ。テントまで背負って行こう」


そう言ってサイガは後ろを向いてしゃがみ込む。どうしようか迷っていると、サイガは親指を立て笑顔でボクを見た。


「やっぱりサイガには敵わないなぁ」


ボクは呟き、大きな背中に身を預けた。

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