教師近藤が留学生

 近藤は、普通に鉄道で通勤しています。さすがの彼も毎日の混雑した電車にはうんざりしていました。

 そんなある日、ふと思いつきました。近藤は公立中学の教師なので、生徒は皆学校の近くに自宅があり、歩いて登校しています。ならば、そのなかの誰かの家に住まわせてもらえれば、自分も徒歩で通えて、満員電車に乗らずに済むではないか、と。

「そういうわけで、私を同居人にしてもいいよという人は手を挙げてくれるかな」

 彼は担任をしているクラスのコたちに言いました。

 しかし当然ながら、誰も名乗りをあげません。

「私を独占できるなんてみんなに悪いと、遠慮することはないんだぞ」

 もちろん遠慮などしていません。

 そうしてこの件は終わったかのように思われました。

 ところが、近藤の学級の女子の一人である鶴本ゆかりが、晩ご飯のときに両親にその話をしたのです。

「近藤先生って、本当に愉快な人ねえ」

 母の葉奈子が笑って言うと、父の繁晴が続けて口を開きました。

「面白いから、うちに泊めてあげようか? 私は昔アメリカでホームステイをして、その家の人たちにすごくよくしてもらって、いずれは受け入れる側になりたいと思っていたんだ。息子もできたら欲しかったしさ」

 鶴本家は、繁晴と葉奈子の夫婦に、一人娘のゆかりの、三人家族です。

「えー、でもパパ、近藤先生ってたしか四十代だから、息子じゃなくて弟、もしかしたらお兄ちゃんだよ」

 繁晴の年齢は四十七でした。

「フフフ。歳だとかそんな細かいことは、気にしない、気にしない。どうだい? 二人は嫌かな?」

「私はいいわよ」

 葉奈子が即答し、ゆかりを見ました。

「えー、だったら私もいいよ。じゃあ、明日学校で先生に話すね」

 この一家は、皆性格がおおらかですし、ゆかりが小学生のときに数年間海外で生活をして、さまざまな人種や文化に触れたのも影響しているでしょうが、悪く言うなら、近藤ほどではないものの、ちょっと変わっているのでした。

 翌日、ゆかりが近藤に前の晩のことを伝えました。

「本当かい?」

 近藤は目を輝かせ、異様にさわやかに喜びました。

「はい……」

 その姿に、ゆかりは少し引いたのでした。


「お父さん、お母さん、どうもありがとうございます」

 さっそく訪れて足を踏み入れた鶴本家で、ゆかりの両親を前に、近藤は正座をして非常に礼儀正しく頭を下げました。

 そして顔を上げると、申し訳なさそうに尋ねました。

「しかし、本当によろしいのでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ。私は若い頃にアメリカでホームステイをしまして、今度は受け入れる立場になりたいとずっと思っていたんです。ですから、留学生にでもなった気持ちで、私たちを親と同じようなものと思って、気楽に過ごしてください」

 繁晴が笑顔で述べ、葉奈子も一緒の考えだという表情でうなずきました。

 そんなことをこの近藤に言うのは大変危険です。決してやってはいけません。

 案の定、彼は思いきりその厚意に甘えました。

「あら、先生。カジュアルな服装のところを初めて見ましたよ。素敵ですねえ」

 晩ご飯の時間で、呼ばれてダイニングテーブルにやってきた近藤は、いつものスーツからポロシャツとジーンズのこざっぱりとした服に着替えていて、葉奈子がそう声をかけました。

「先生なんて言わないでくだサイ。今日から私はこの家の中では、留学生のコンドーデス。なので皆さんのことも、パパ、ママ、ユカリ、と呼ばせていただきマス」

 鶴本家の三人はちょっぴり唖然としながらも、すぐに笑みを浮かべました。

「ハッハッハ、面白い。いいでしょう。ではこちらも遠慮なく、コンドー、よろしく」

 繁晴の言葉に、近藤は親指を立てた外国人気取りのリアクションで応えたのでした。

「はい、パパ!」

 それからというもの、外では今まで通りの教師の近藤、そして鶴本家では留学生のコンドーとして、生活していき、初めのうちはうまくいって、トラブルが発生することはありませんでした。

 しかし、徐々に問題が起きるようになってきました。ただ、それは二重生活による無理がたたったという類のものではなく、コンドーが調子に乗ったのです。

「ヒャー、ハッハッハッハッハー!」

 コンドーがリビングのテレビで落語を観て、バンバンとクッションを叩きながら、座っているソファーから落っこちんばかりに身をよじらせて大笑いしました。

「ねえ、コンドー。私もテレビを観たいんだけど」

 ゆかりが近づいてきて、そう声をかけました。

「ハア? ダメ、ダメ。この後も、地元テキサスで作られたホームドラマを鑑賞するんだから」

 ふてぶてしく答えたコンドーは、半ズボンにサスペンダーをして白のハイソックスという格好で、ドでかいカップに入ったポップコーンをつまんでおり、留学生というよりも欧米の子どものようになっています。

「あなた、出身はテキサスじゃなくて日本でしょ。それよりも、ずるいよ、テレビを独り占めして」

「あのサ、ボクはゲストなんだヨ、わかってる? だいたい、今の若者はテレビなんか観ないっていうじゃないか。ネット動画だろ、好きなのは。自分の部屋で人気チューバ―のおもしろ動画でも眺めてろよ。ほら、ゲラウェイ!」

 コンドーは犬を追い払うように手を動かしました。

「ひどーい」

 ゆかりは渋々立ち去りました。

 また、こんなこともありました。

「あれ?」

 ゆかりが冷蔵庫を覗いてつぶやきました。

「あ、ママ。私のプリン、知らない?」

 通りかかった葉奈子に訊きました。

「え? それかはわからないけど、プリンならコンドーがさっき食べてたわよ」

「えー! それだよ、絶対。宿題が終わったら食べるつもりだったのに。まさか、だからコンドー、今日たくさん宿題を出したのかな? もー」

 そういったことが続いて、耐えきれなくなったゆかりは、また晩ご飯のときに、両親にコンドーの悪行を報告しました。

「だから私、もう我慢できない。コンドーをどうにかして」

「ヘイ、ユカリ! 告げ口とはみっともないゼ!」

 コンドーが口を挟みました。

「言ったはずダ。ボクはゲストなんだゾ。だからボクのほうが優遇されても当然なんだヨ。ねえ? パパ、ママ」

「いいや」

 繁晴が首を横に振りました。

「ホームステイ先で、そんなわがまま王子様のように振る舞っていいわけはない」

「そんな! パパ、ボクとユカリ、どっちを取るのサ?」

「そんなの、ゆかりに決まってるだろう」

「ええ! ママは?」

「もちろん私も、ゆかりよ」

 コンドーは、当たり前の返答のはずなのに、いつのまにかうぬぼれが生じていたために、多大なショックを受けました。

「オーマイガッ!」


 そしてコンドーは地元(本人が勝手に言ってるだけですが)テキサスに帰っていき、元の教師の近藤だけになりました。

 けれども、鶴本家での日々は想像していた以上に楽しかったので、彼はこうつぶやきました。

「他のクラス、いや、他の学年の生徒でもいいから、また家に住まわせてくれる人を探そうっと」

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