教師近藤と尊敬する人物
近藤は、他人から「尊敬している人は誰ですか?」と訊かれることがあります。この男にそんな人物はいるのか? いるならば、どんな人なのだ? と興味があってのケースが多いようです。
そうした場合、彼は「中学生時代にお世話になった、三上先生という人です」と答えます。
そして、「その方は、道を踏み外しかねない状態だった私を救ってくれた恩師なのです」と、実にわざとらしく遠くに目をやり、渋い表情になって、当時のことを語るのです。
今、口にしたように、近藤は中学生のとき、おかしくなってしまった時期がありました。現在でも十分変ですけれどもそれとは種類の異なる、やたらと荒々しい、不良じみた態度になったのです。
それを問題視した、彼の担任だった三十代の女性教師の三上春枝が、休み時間に尋ねました。
「近藤くん。最近様子がおかしいけれど、何かあったの?」
「ああ? うるせーんだぜ、先生さんよぉ」
近藤は吐き捨てるように言うと、ポケットに両手を突っ込み、肩で風を切って去っていきました。
暴力や喫煙などまではいかないものの、その、過去の近藤にはなかった口の利き方や振る舞いに、春枝は一層危機感を抱きました。
彼女は近藤が変わった訳を知らないかを周囲の人々に訊いたりしました。すると、ある情報が別の生徒からもたらされました。
「近藤くんがああなったのは、彼の家の近くにホームセンターができた頃からなんですよね」
「ああ、あのホームセンターね」
そのホームセンターはとても大きく、品揃えが「尋常ではない」と表現したくなるほど豊富で、周辺でそんな店は今までなかったこともあって、生徒だけでなく教師の間でも話題になるくらいでした。
「まさか……」
春枝はその後の休み時間に再び近藤に歩み寄り、問いました。
「近藤くん。もしかして、あの大きいホームセンターが自宅近くにできたことで、あなたの気も大きくなってしまったの?」
近藤は相変わらずの生意気な態度で答えました。
「ケッ。よくぞ見抜いたな、名探偵三上先生さんよぉ。そうさ。家のそばにあんな店がありゃ、あとはもう少しして働くようになってカネさえ手に入れれば、もう何でも俺さまのものになるぜ。ガハハハ、ガハハハ、ガハハハハー!」
高らかに笑いあげた近藤に、春枝は元々思っていましたが、改めて「なんてぶっ飛んだコなの!」と心の中で叫びました。
そして、彼の暴走を止めるために、意を決して言いました。
「いい、近藤くん。どんなに巨大なホームセンターでも、買えないものだってあるのよ!」
春枝はしゃべりながら、「なんか私、ドラマの熱血教師みたいで、ちょっとかっこいい台詞を口にしているな」と思いました。
「なにぃ。そんなもん、本当にあんのかよぉ?」
春枝はしかし、続きの言葉を考えていませんでした。
「そりゃあ、あるわよ。……えっと、……うーんと……」
彼女は買えないものを何にしようか迷いました。
「何だい、ええ? やっぱりそんなものねーんじゃねえか!」
春枝のたくましい声かけに対して一瞬ひるんだ邪悪な近藤が、息を吹き返しそうになりました。
「あるわよ、ある! えーと、例えば車とか……」
「くるまぁ?」
ここは愛や夢などと言えば、本当にドラマのようにサマになるところでしたけれども、思いつかずに中途半端な普通のものを挙げたのでした。
しかし、それがよかったのです。もしも愛だの夢だのといった言葉をチョイスしていたら、変わり者の近藤という人間の心には響かなかったでしょう。彼は冷静になってつぶやきました。
「確かに」
そうして、我に返って、元の近藤に戻ったのでした。
「というわけです」
「……はあ」
近藤に尊敬する人物を尋ねた人は、その話に大抵引いて、訊くんじゃなかったと思うのです。
また近藤は、同窓会などで春枝と再会するたびに、「あのときは本当にありがとうございました」と感謝の言葉を口にするのですが、春枝のほうは、「このコ、私がうまいこと言えなかった恥ずかしい出来事を会うたんびに思いださせて、何か根に持ったりしてるのかしら?」と嫌な気分になるのでした。
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