断章4

 病院の駐車場で、御舟傑は十五分だけ自分に睡眠を許した。神経が高ぶっているが、肉体はよほど疲労していたのか、あっという間に深い眠りに入った。しかし、所詮は十五分。スマホのアラームによって、なんとか目を開けはするものの、身体は金縛りにあったように動かない。

 それでも、意志の力で御舟は起き上がり、車から出た。まだ午前中ということもあり、空気が澄んでいる。病院のトイレで顔を洗い、どうやっても目の充血が取れないことを確認してから、御舟楓の病室に入った。

 いつもと同じように、愛する妻はベッドに横たわっている。腹がかすかに上下に動いていることが、生きている証だった。御舟は彼女のそばの椅子に腰かけた。

「楓、今日は君に悲しい話をしなければいけないんだ」

 自分で口にして、内容の重さに眉間のしわが深まる。一方の彼女は、穏やかな顔で眠っている。御舟はそれがありがたかった。真実を告げても、彼女の心はいたまないだろう。

「君の実家が燃えた。紘一君は亡くなったよ」

 誤解されてしまいそうな表現だが、詳しく話す意味もない、と御舟は判断した。それで問題はなかった。彼の妻は、家族の訃報を耳にしても、穏やかに笑みをたたえている。

 ドアがノックされ、看護師の泉屋若葉が入ってきた。

 五十前後の年齢であろうが、普段はそう見せない肌艶をしているのに、今日はどことなく疲れが滲んでいた。動きにも精彩がない。まるで、事件が立て続いている刑事のように。

「昨夜は大変でしたね、浮田さんのお家。でも、亡くなった方はいないんでしょ?」

 彼女は御舟にそう呼びかけた。まだ浮田家を襲った悲劇について、警察は公式には何も発表していない。正確な情報ではないにしても、御舟はぎょっとし、本能的に警戒する。泉屋はそれを察したらしく、少し強引に笑ってみせた。

「近所の人たちが、やけどをしたり、煙を吸ってしまったりで、搬送されてきたんですよ。そのときに、事情を聞いてしまいまして」

「ああ、それは失礼しました」

 御舟は自分の早とちりに恥ずかしさを覚えた。しかし、長年の修練のおかげで、表には出ていないはずだった。ただ、あまり喋るとぼろが出そうなので自重しておく。搬送者の情報は、他の警官が把握しているはずだから問題ないだろう。

「でも――」と、泉屋が心配そうにつぶやく。「利恵さんは病院に来ていないんです。亡くなった方はいらっしゃらないとはいえ、まだここにもいらしていないようですし……」

 確かに、泉屋は必要以上の情報は持っていないようだ。

「大丈夫です」

 そう言ってから、御舟は言葉につまった。八年にわたって楓の面倒を見てくれているこの女性に、もはや家族の一員とも言っていい女性に、隠し事をしていることが突然耐えきれなくなったのだ。御舟に自らの感情を分析する余裕はない。

「これはまだ内密にしてほしいのですが、お義母さんは他のところにいて難を逃れました。しかし、楓の弟、紘一君は……亡くなりました」

 目を見開いた泉屋は、口を何度か開きかけるも、適切でないと思ったのか、なかなか声にはならない。しばしの逡巡の結果、「残念です」とだけ言った。

 御舟は彼女にうなずいた。

「私もです」

 本心だが、紘一本人が聞いたら、顔を真っ赤にして怒り出しそうだ。御舟に罵詈雑言をぶつけていたにちがいない。実際にそうしてくれるのなら、どんなによかっただろうか。

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