第一部 浮田紘一 3-1
成神と私が、彼のホテルで里見茂の資料を机に広げたとき、部屋のドアがノックされた。成神は私にうなずくと、ドアの方へ行く。そして、チェーンをつけたまま、ドアを開けた。不用心ではなかろうか。
「どなたでしょうか?」
だが、成神の声に警戒はない。かろやかだった。
「町長の清水と申します。このたびは、名探偵と噂の高い成神尊先生にお願いしたいことがあり、連絡もせずに恐縮ですが、こうしてまいった次第です」
成神の背中によって、私からは顔は見えないが、相応の年齢のようだが、低音がよく通る声だった。成神はドアを一度閉めた後、チェーンを外して再び開けた。
「どうぞ、中にお入りください」
失礼します、と入ってきたのは、二人の男だった。
「お忙しい中、ありがとうございます」
先に入ってきた――汗を拭ってもなお、顔の脂のぎらつきが取れないマッチョで若作りな初老の男性が言う。声からすると、彼が清水だ。清水が町長になったのは、私が町を出てからなので、顔を見るのは初めてだった。さほど大きくはないこの町の町長にしては、欲望が顔に出すぎているような気がする。そして、黒い。
あとから入ってきたもう一人は、逆に白くて小さくて影が薄い老人だった。
「副町長の弓削です」
部屋に入るなり、彼は頭を深々と下げた。副町長のことは、私にはなんの知識もない。成神とともに名前を名乗るくらいしか、反応のしようがなかった。
「お話は、ここで? それとも、別の場所で?」
成神が問いかけると、二人とも決して広いとは言えないビジネスホテルの一室をぐるりと見まわした。
「手間でなければ、町役場の私の部屋まで」
答えたのは、黒い町長だった。成神も私も、断る理由はない。
里見茂の資料は二人に見えないようにしまうと、私たち四人は、固まって町役場に向かう。さすがに、町役場の場所は私も覚えている。駅のそばの古びた建物だ。
移動中、町長や副町長は何かと話しかけきたが、時節の挨拶以上のものはなく、探偵という外枠を剥ぎ取った若者二人には何の興味もないことが伝わってきた。それが悪いわけではないが、これが社会における私たちの位置なのだと改めて思い知らされて、微妙な居心地の悪さを感じる。
町役場の自動ドアが開くと同時に、クーラーの心地よい空気が私たちを包んでくれた。
「いいね」と小声でつぶやいた成神に、私はサムズアップで応える。先を歩く二人には見えていないはずだ。
私たちは二階にある会議室に通された。もちろん、来るのは初めてだ。
異様にだだっぴろい部屋だった。隅っこに二つの長椅子が向かい合うように置かれ、それぞれに二脚ずつパイプ椅子があった。そばにはホワイトボードもあるが、什器がそうやって一角に固まっているせいで、余計に部屋が寒々しく感じられるのだ。
ただ、音がうるさいほどエアコンが動いているので、その寒々しさの原因は室温にもあるのだが。これは、夏場に客を呼んだときの、彼らなりのもてなしなのだろうか。
成神と私は、清水と弓削と向かい合うようにパイプ椅子に腰かけた。
「で、お話とは?」
待っていたらお茶でも出てこないかな、今日は暑かったし、喉が渇いた……なんて思っているうちに、成神が早速切り出してしまった。センシティブな話になったら、誰もお茶を持ってきてくれないのは明白なのに、この男はそれをやったのだ。
町長の清水と副町長の弓削は互いに顔を見合わせてうなずく。口を開いたのは、清水だった。
「事件の捜査をお願いしたい」
私はとっさに言葉が出てこなかった。相澤一郎、曾根葉月、里見茂、さらに八年前の一連の殺人、もしくはまったく別のもの。事件がどれを指すのか、わからなかった。同時に、曖昧な切り出し方をした清水に、軽い警戒心を抱く。
「どういった事件でしょうか?」
しかし、成神が軽やかに聞いた。私は内心でほっとする。考えすぎていた。それでよかったのだ。清水と弓削の顔つきがやや強張ったように見える。
「副署長の福島さんから、『泣いた顔』事件の犯人が戻ってきたと聞きました。その事件を調べていただきたい」
父の友人でもあったという、福島のあの柔和な顔を思い浮かべた。彼がこの二人に情報を流した。早すぎる気がするのだが、そういうものなのだろうか。
成神を見ると、にこやかにうなずいている。ただ、これが本心とは限らない。
「ああ、そちらでしたらご心配ありません。すでに警察から協力を要請されております」
個人的には、できれば引き受けたい。
事件の調査は、警察の要請だけでなく、私の頼みでもあった。それはすなわち、報酬が出ないということでもある。ただ、私から言うのも違うと思うこともあり、これについては成神に判断を委ねたい。だから、彼がノーマネーで調査を続けるというのなら、私も文句はない。だが、二人は顔を見合わせ、小さく顔を振った。
「もちろん、そのまま警察に協力はしていただきたい。ですがそれとは別に、町としても成神さんたちに仕事として依頼したいのです」
「依頼料を支払ってまで、ですか?」
私たちに都合がよすぎる展開に、成神がほんの少しだけだが怪訝そうな顔をする。
「そのとおりです」と、清水が力強く言い切った。
「理由を聞かせてください」
私も同意見だ。福島とつながっている以上は、警察を信頼していないわけではないだろうし、警察にまったく口を出せないわけでもあるまい。余計な費用を使う理由が見えてこない。
「現在この町に、大型商業施設を誘致する計画があります。八年前の事件の影響がようやく弱まってきたところに、この事件です。しかも同じ犯人である、と。そんな町で買い物したいですか? 殺人事件をすみやかに解決してもらい、悪評を最低限にしたいのです」
「それだけではありません」と弓削も口を開いた。小柄で貧相な老人のわりに、なめらかな口調だった。
「率直に申し上げて、あなたの探偵としての名声も利用させてもらいたいのです。警察へのささやかな協力者ではなく、町が雇った名探偵のほうが、世間も安心するでしょう」
「逐一マスコミ対応をするつもりはありませんよ」
「当然です。それは、我々と警察の仕事です。お二人は、ただいつもどおり、真実を追及してくださればいいのです」
ありがたい話だ。ありがたい話ではあるのだが――
「しかし……税金で探偵を雇っていいものでしょうか? それはそれで反対意見が出そうな気もしますが」
思っていることが、つい口から出てしまった。不興を買うかもと心配したが、清水はにこやかに笑う。
「私のポケットマネー……ということにしておいてください」
清水と弓削が顔を見合わせて苦笑する。
正直なところ、物言いも反応も気に食わない。私たち、特に成神は、彼らのくだらない冗談に乗せられるべきではない。成神を横目で見ると、彼は小さくうなずいた。彼も同じ意見のようだ。だから、私は言った。
「わかりました。お引き受けしましょう」
成神の肩から力が抜けるのが見えた。そうだろうね。
清水と弓削は嬉しそうに礼を言い、握手を求めてきた。私が笑顔で応じると、成神も少し遅れて二人と握手をする。
気に食わないし、冗談に乗るべきではない。とはいえ、乗ったのは私の抱える罪悪感からではない――こちらは、私がずっと背負っていくものだ。もっと切実で当たり前の理由だった。
名探偵・成神尊も、生きるには金がいる。食事もするのにも、この町に滞在するのにも、無料とはいかない。悔しいが、探偵家業は実入りがよくない。成神を必要とする事件は少ないし、困っている人に法外な値段をふっかけるわけにもいかない。相手の言い値で動くことがほとんどだった。
私が彼の活躍を本にすることで、いくらか金が入ってくるものの、こちらは私の文才に欠けるためか、成神の知名度ほどの売り上げはない。確かに、興味深い事件は大抵テレビや雑誌、ネットで取り上げられて、ある程度まで事実がはっきりしてしまっている。それ以上のことを知りたい者がそこまで多くないのも、書き手としては悲しいが理解はできる。
成神も浮世離れしたところはあるが、金がなければこの世界ではどうにもならないことを知っている。だから、戸惑いはしても、文句は言わない。
報酬についてやり取りをしたあと、成神と私の連絡先を清水と弓削に教える。
すると、二人は満足したらしく、
「では、あとは警察と連携を取って進めてください」
と、私たちにそれぞれの携帯番号が記された名刺を残して、どこかへ行ってしまった。
私と成神は町役場の一室に取り残される形になった。
「定期報告はいらないのかな?」
唐突な終わりに、私はあっけにとられた。すべてが向こうのペースだった。
「きっと、彼らの気が向いたときに、いきなり連絡が来るんだと思うよ」
成神は苦笑しているが、内心は私と同じ思いなのだろう。
「人を使い慣れているね、彼らは」
「依頼を引き受けたら、もう接待する必要はないってわけだね」
私の言葉に、成神は肩をすくめる。
「町長と副町長は忙しいんだよ、きっと。それに、いいじゃないか、金だけ出して口を出さないのは、いいお客さんの条件だ。いつ報告が来るかわからないだけで、そこまで怖がる必要はないさ」
私のほうも、ようやく緩んできた。
「たしかに、君の言うとおりだね」
私たちは誰もいない会議室を出て、御舟から託された事件の現場に向かうことにした。清水にも弓削にも会うことなく、しんと静まり返った町役場を出る。すると、成神が立ち止まった。
「浮田くん、場所はわかるかい?」
覚えてはいたが、勘違いがあってはいけないと、私はジャケットに入れている手帳を取り出し、記しておいた住所を確認する。この手帳には、事件で知ったこと、気づいたこと、推測やちょっとした出来事を記載している。メモでもあり、備忘録でもある。事件解決後、これをもとに小説を描いてもいる。
「赤江台四丁目。うん、大丈夫だ」
ぱたん、とわざとらしく音を立てて手帳を閉じ、ジャケットに戻す。
「歩くと一時間、バスだと二十分ってところかな。どうする?」
「歩こう。僕はこの町をきちんとこの目で見ておきたい」
「だと思った。さあ、行こう」
半歩だけ私が前に出て、歩きはじめる。歩きながら顔を見合わせる必要はないが、まったく見えない位置も寂しい。半歩がちょうどよかった。
青雲町も赤江台も、五十年ほど前に区画整備された新興住宅地だ。きちんと整備され、ほどほどに広いまっすぐ道。それが等距離で別の道と直角に交わっている。ただ、山や川が周囲にあるため、平安京のように碁盤の目と表現できるような美しさはない。地形が人間の文明を規定するように、ところどころで道は細くなり、また曲がっている。
その道の両脇に、今となっては古臭いデザインの戸建て住宅が並んでいる。屋根の色だけは赤や青や茶色など、比較的多様であったが、長い年月を経てきたためにいずれもくすんで、そんな差は些末なものでしかなかった。
青雲町が売り出されてから三年ほどして、赤江台が造られた。
五十年後の今となっては、かつての三年にさしたる違いはない。
似たような家ばかりで、電柱にある住所を見なければ、いつ青雲町から赤江台に入ったのか、私でも気づかなかっただろう。
警察の所轄も同じであり、同じ町の扱いをしてまったく問題ないように思える。
ただし、成神の推理どおり里見茂の殺害が模倣犯のものだとしたら、『泣いた顔』事件の犯人にとって、この二つの町は大きく違うところがあるのだろう。
青雲町では人を殺し、赤江台では殺していない。逆に、里見茂の件が模倣犯でなかったとしたら、また事件の別の側面が見えてくるにちがいない。
赤江台は一丁目から八丁目まであり、里見茂の死体が発見された四丁目だった。
といっても、やはり景観にさしたる差はないのだが。たまに見かけるコンビニが、かろうじて完全な単調さを避ける形になっている。
四丁目に入ったところで、スマホの地図アプリを起動させ、それを頼りに歩いていく。
「ここだな」
私は単なる道の途中で立ち止まった。両側に住宅があるものの、人の気配はなく、周囲は静まり返っている。警官はもちろん、野次馬もおらず、すでに非常線は外されており、わずかに残った血の跡だけが、ここで人の死があったことを示していた。
成神が、御舟からもらった資料を取り出す。
「一から確認しよう。被害者の里見茂さんは、隣のS県の不動産会社勤務。現住所もS県。ここにいたのは、なぜだろう?」
「彼が担当している物件でもあったんじゃないか?」
「死体発見時刻は午前三時四十分。推定死亡時刻は、午前一時半頃。そんな時間に物件を見に行く必要はないだろうね」
「職場がものすごくブラックだったとか」
成神がほほ笑んだ。くだらないことを言いやがって、と考えているときの顔だ。ない話ではないと思うが、あったとしても警察がつかんでいるにちがいない。
「時間帯からすると、ここに来るには車を使う必要があっただろう。でも、周辺に里見さんが乗っていたらしき自動車は見当たらなかったそうだよ」
「犯人が乗っていったんだ。自動車が誰の者かはわからないけれど」
成神はうなずく。
「おそらくそうだろう。そして――この資料をまとめた人は優秀だ、里見さんのことをもう調べ終えている――彼の勤める不動産会社によると、営業時間外に社用車が使われた形跡はないそうだ。つまり、里見さんと犯人がこの町に来た目的が仕事でないのは確かだね」
「例えば、友人のところへ遊びに来ていたとか」
成神は首を振る。
「資料によれば、里見茂さんに友人と呼べるような相手はいなかったらしい」
「それ、悲しいな……。死後に私たちに知られるところが特に」
私は里見茂の魂の安息を心で祈った。
だが、成神はそこまで彼に同情をしていない様子だった。
「どうかな。ある意味、自業自得ではあるんだ。彼は五年前まで刑務所に入っていた。罪状は強盗。刃物を持ってコンビニを襲ったらしいよ」
成神が資料の中から里見茂の写真を取り出して、私に見せた。履歴書の写真のようだが、短くした金髪に、ピアスの穴が見える。ついでに眉が薄いし、三白眼だ。これで就職できるものなのだろうか?
「成神、里見さんが強盗をしたのは、S県なのか?」
「いいところに気づいたね」と、成神が人差し指をあげる。「それが、この町のコンビニなんだ。そもそも、里見茂さんは青雲町の出身で、出所後に親戚のつてをたどってS県に行ったらしい」
「えっ、そこまで書いてあるのか?」
私は成神が手にしている資料を借り、ざっと目を通した。本当に、里見茂の情報が事細かに記されている。生年月日や出身校、資格や趣味特技、強盗の詳細まであった。
「今日、死体が見つかって、朝の段階でここまで調べ上げられるものかな?」
成神が頭を振る。
「僕は不可能だと思う。事前に調べていたにちがいない」
私の脳裏に、義兄の姿が浮かんだ。
「御舟の仕業だな」
「おそらくそうだろうね。そして、彼の考えも読めてくる。御舟さんが追っていたのは、『泣いた顔』事件であることは君も同意すると思う。そうなると、ここに里見さんの情報があるのは、その事件に関係しているかどうか調べるためだ。だが、彼が加害者の可能性はゼロ。なにしろ、八年前は強盗の件で服役をしている」
私は頭をかいた。
「なら、八年前の事件と完全に無関係な人間じゃないか」
「そう。それは間違いない」
成神は資料の中から、『泣いた顔』の描かれた紙片を取り出した。それが、この道に落ちていた。八年前の事件との関係をにおわせる物証である。
「僕は『泣いた顔』事件のことをネットで調べてみたたんだけど、被害者十人は性別も年齢も職業も、みんなバラバラだった。ただ、一つだけ共通点があるよね。青雲町の住人で殺害されたのも青雲町だ。当然ながら、これはネットでの浅い情報から見たものだから、裏に別の共通点があった可能性があることは留保しなければならない。しかし、里見さんが殺されたのは、隣町であるここ赤江台だ」
成神の導きで、私もピンときた。
「御舟がこの事件を模倣犯だと考える根拠は、そこか?」
「そうだろうね。少なくとも、出発点になったのは間違いない。だがそうすると、二つの疑問が浮かぶ。ひとつは、里見茂さんを殺害した犯人は、『泣いた顔』事件を模倣しながら、なぜ明確な相違点を作ったのか」
「自分が模倣犯だとわかってほしかったから?」
成神が微笑む。あたりのようだ。けれど、それはそれで新たな疑問が生じる。
誰に模倣犯とわかってほしかったのか、それと、どうやって『泣いた顔』事件の犯人が活動を再開させたことを知ったのか。特に後者については、模倣犯の動きが早すぎる。本物が犯行を再開させたその日のうちに実行しているのだ。
私は新たな疑問を成神に言ってみる。
「誰に向けてかは、わかる。『泣いた顔』事件の犯人だよ。模倣犯は、おそらく独自に『泣いた顔』事件の犯人を追っている」
「なに! なら、模倣犯は警察官なのか?」
「いや、さすがにそれはまだ断定できない。町長の清水さんや副町長の弓削さんも知っていた。ああ、もちろんそれに相澤家の人々もそうだね。マスコミ報道はまだなされていないが、青雲町の中には知っている人間が他にいてもおかしくはない。
「それも、そうか」
私はため息をつく。手が届いたように感じた真相は、まだまだ遠いところにあるらしい。
「ん? まてよ。成神、真犯人に向けて自分が模倣犯だとアピールする理由はなんだ? 犯人を追う人間が、模倣犯になる理由なんてないだろう」
成神は里見茂が横たわっていたらしき場所に一瞬目をやった。
「来る途中に公園があったよね。そこに行かないか」
住宅街の中にある犯罪現場で話をしているのは、確かにあまりよろしくないだろう。変なことを勘繰られても困る。
成神と私は来た道を引き返し、五分も歩かないところにある公園に行った。雨風によって錆びついたブランコとすべり台しかない、砂場もトイレもない小さな公園だった。だがおかげで他人のことをそれほど気にしないで済む。私たちはブランコに座った。
そこから見えるのも、無個性でくすんだ家家家家、たまに個人経営の店。特に好きではない景色だ。山くらい見えればいいのに。
「それで、模倣犯が犯人にしたいことって、何なんだ?」
「挑発だよ」
成神も私と同じように遠くを見ている。理由はわからないが、同じ気持ちのようだ。
「挑発して、いったいどうなるというんだ?」
「自分が追っていることをもっとも過激な方法で伝えることで、真犯人が激怒し、うまくいけば、向こうからやってきてくれるのを期待している。そんなところかな。あと、模倣犯罪というイレギュラーな動きによって、犯人がどう行動するのか見たいんだろう。それで推理の選択肢が狭まる可能性があるからね」
「だが、それだけなら青雲町で殺せばよかったんじゃないか? 真犯人は自分じゃないのだから、模倣犯のものとすぐにわかるし、警察に追われるリスクも減る」
「おそらく……下手にまぜてしまうことで捜査をかく乱させたくなかった。つまり、警察が真相にたどりついてもいいと考えていた。なぜなら、自分に官憲の手が届く前に、目的を達する自信があるから。もしくは、真犯人が捕まるのであれば、なんでもよかったのか」
「ひどい話だ」
「まったくだよ。模倣犯は倫理観に問題を抱えているのは間違いない。こちらも早く捕まえないと、挑発目的で犠牲者が出かねない」
成神が私に里見茂の資料を渡すと、ブランコをこぎはじめた。それも、割と激しく。
私は彼に聞こえるよう、大きな声を出す。
「それで、模倣犯のことで浮かんだ疑問のもうひとつはなんだ?」
二回ほど往復してから、成神の返事があった。
「模倣犯が里見茂さんを選んだ理由だよ。なぜ彼なのか、どうやって彼を知ったのか。まず、里見茂さんは、八年前は服役していたから、どのような形であれ『泣いた顔』事件に関わっていた可能性は低い」
「どのような形ってのは、被害者の可能性もってことだな?」
成神のうなずきが、半円を描くように流れていく。
「里見茂さんは、八年前は服役していたから、『泣いた顔』事件にはまったく関係ない。ただ、模倣犯は彼のことをよく調べている。それこそ、警察と同じくらい調べているんじゃなかろうか」
「警察の調査も異常だな。S県に行ってからのことも事細かく書いてある。恋人なし、友人なし……って大きなお世話だよ、この資料」
「異常なほどの執念で、青雲町の関係者を調べているんだと思う。共犯者や思想的な影響も含めて、調べていると思うね。アリバイがある里見茂さんですら、この執拗さだ。どれだけの労力をかけているんだろう」
成神が厳しい顔をする。きっと御舟傑のことを思い浮かべているにちがいない。
この異常さが犯人逮捕につながらないところに、私の苛立ちがある。どれほど何をしようと、それこそこうして秘密警察のように人権侵害レベルで個人情報を調べても、彼は真実にたどり着けていないのだ。なんと愚かなんだろう。
「ただ、彼は現在S県に住んでいた。彼を殺すだけなら、S県でやったほうが簡単だろうに。別に青雲町でなくても、赤江台でなくても、『泣いた顔』のマークを遺体の横に置いておけば、御舟は八年前の事件とつなげたはずじゃないか」
戻ってきた成神が私の目を見て、そして後ろへ行く。
「でも、そうしなかった。そこには、重要な何かがあると思う」
私は前に向かう成神の後頭部を見送る。
「とはいえ、まだそこはわからない。僕たちの宿題としておこう。けれど、僕たちはここで足踏みをする必要もない」
そう言うと、成神は最高到達点でブランコから飛んだ。
そしてきれいに着地を決め、私に振り返って笑う。
「次に行くべきところは、君の持つその資料の中にあった」
「これが?」
私もブランコを止め、里見茂の資料を掲げた。
「被害者の里見茂さんは、ここ青雲町にある小木総合病院で生まれた」
町で一番大きな病院であり、私の姉が八年前から世話になっているところだ。
「両親はすでに亡くなり、親戚もみな県外で、コンビニ強盗をしたせいか、友人知人らしき人物も青雲町にはいない。彼は青雲町出身であるが、もう地縁はほとんどない」
「ほとんど?」
成神が余白を残した物言いをするときは、大抵そこに何かがある。彼の口の端がわずかに上がる。当たった。
「そうだ。ひとつだけある。彼は強盗事件の弁護を、この町の弁護士に頼んだ」
このもって回った言い回しには意図がある。成神に気持ちよく情報を吐き出させるため、こちらもそれに乗らなければ。
「私たちの知る人だね」
「ああ」と、成神が満面の笑みになる。「鳥飼勲。僕たちに相澤一郎氏殺人事件の解明を依頼した男だ。次に行くべきところは、彼の事務所しかないよ」
「本当か! それはすごい!」
実際に驚いているのだが、驚かなければと身構えていたせいで、自分でも嘘くさい反応になった気がする。心配して成神を見るのだが、気づかなかったらしく、にこにこ楽しそうに歩き出した。鳥飼の事務所は、もちろん青雲町にある。
私たちはやはり徒歩で戻ることにした。里見茂の資料は私が持ったままだ。
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