010 基礎魔術編 ~躍動~
昼少し前にシゲはいつもの通り起床する。
無精ひげを気にしなくて良いのは仮想世界の良い所である。
簡単に身支度を整えると部屋を後にする。
一階の食堂で遅めの朝飯を簡単に流し込むと、ようやく一日が始まる。
シゲはまず鉱山へと向かう。
本来であれば適正レベルを満たしていない状態で、鉱山のような狭いフィールドに足を踏み入れることは自殺行為であるが
シゲはそれをいとも簡単に駆け抜ける。
縮地。
シゲの肝いりのMODに実装されているスキルである。
一歩進むところを一歩半進める。それだけのスキル。
それだけのスキルなのであるが、その半歩がすべてを分ける。
LAOの世界はfps(フレームレート)で言えば360という驚異的な数字をたたき出している。
1秒間に360枚の映像処理が行われる驚異的な処理能力と処理速度である。
その中で「半歩」というのは大きな差になる。
半歩違えば攻撃は当たらないし、半歩で即死級のダメージを逸らすこともできる。
鉱山の奥地まで赴くと今度は一心不乱につるはしを振り下ろす。
シゲが欲している金属は鋼。目的は言わずと知れた玉鋼。
シゲほどのSEが仮想世界が実装されたときに、自分自身でMODを作らない筈もない。
大剣だ、弓だ、魔法だ、刀だとMODが乱立する中、なぜこれがないのだろう? と疑問に思った。
座頭市。
仕込み杖で敵を切り裂く。それも自らが先に動くのではなく最小限の動きでカウンターを食らわせる。
魔術師を目指すシゲには仕込み杖というのも大変に都合がよかった。
魔術師はその特性から杖を持つことが普通である。
実際問題として、杖だろうと剣だろうと盾であろうとINTさえ上がれば問題ないのだが
武器にはそれぞれ適正というものがある。
剣でINTがあがってしまっては話が逸れるというものである。機能美であり様式美。
杖だからよいのである。
つまりシゲは世の中に全く出回っていない『仕込み杖』の開発にいそしんでいるのである。
開発者(開発企業)にはMODの売り上げが手数料を引かれて指定口座へと振り込まれる。
後にも先にも、売り上げは1件。シゲ自身が購入したものだけである。
そして仕込み杖を作るためには鍛冶スキルが必要となる。
昼間は鉱山で採掘をし、夕方から鍛刀場にて鋼を打ちスキルレベルを上げる。
そして夜は……
『月夜のハニー』クエストを受注しては失敗を繰り返している。
ムーンビーのクエストはなんとも勘違いされやすい場所にある。
娼館の立ち並ぶ一角、その裏路地の個人で客を取っているワケアリの娼婦たち
その中の一人がこのクエストを発注してくれる。息子の喘息に効くというムーンビーのはちみつが欲しいのだそうだ。
従ってこのクエストは、何とも人気がない。
クエストの達成に対して、報酬が微々たるものなのである。
アダルトMODを入れることで娼婦と親密な関係になることもできるが、その時点でこのクエストは受注できなくなる。
色々と縛りの多い誤解されがちなクエストなのだ。
更にクエストを受注すると、自動的に森の中へと転送される。
その空間は同一のパーティーメンバーしか入場することができない閉鎖空間となっている。
個人娼婦と折り合いがついた場合は、転送を使って皆すぐに自分の宿へと移動するのが通常。
つまり傍から見ていると、個人娼婦と金額の折り合いがついたので移動したとしか見えない。
何とも意地の悪い、風評被害を受けそうなクエストである。
しかし、これ以上基礎魔術師に向いているクエストも存在しない。
ファイアアロー、アイスアロー、ウィンドアロー、ストーンアロー
ご丁寧にそれぞれのスキルが独立しており、スキル経験値はそれぞれ個別の魔法にしか入らない。
並列化して多種の魔法を使うことも考えたが、まずはクワを信じてファイアアロー一本に絞る。まずはこのスキルレベルを2にあげることが目標である。
スキルレベル0から2へあげるために必要な経験値は3000万。ムーンビー換算で300万匹。
常に順番に倒し続ければ囲まれることはない。ただし、時間制限があり日の出とともにこのクエストは強制終了とされ街へと戻される。
常に最大効率で倒し続けねばならない。
そして狙いも正確に行わねばならないため、集中力は切らせない。
左右の人差し指で常にムーンビーを指し続け、ファイアアローを打ち続ける。
幸いなことにムーンビーのHPは5であるため確実に倒すことができる。
あとは当て続けることと、MPを絶やさない事。
既にシゲはムーンビーに囲まれている。左右に手を広げて片っ端からファイアアローでムーンビーを打ち落とす。
咥えタバコで時折紫煙を吐き出しながら休まず打ち続ける。
(そういえば、ツインバスターライフルでぐるぐる回るのもこんな感じだったな……。)
そんなことを考えながら、絶え間なく襲い来るムーンビーを打ち落とす。
しかし、攻略情報通り多勢に無勢。ムーンビーの尻から出ている針で腕や足を突かれ始める。
必死に抵抗を試みるも、じわじわとHPが削られてゆく。
痛覚を有効にしている為、それなりの痛みはあるが耐えられぬほどではない。
本来であれば体力など減っていくと、動きも鈍くなるものだがそこはゲームで仮想世界。
HPが1でも残っていれば十二分に動ける。
ーー縮地。
完全に囲まれる前に縮地を用いて距離を取る。
縮地は魔法ではないのでMPではなくSP(スタミナポイント)を消費する。
キャラレベルが1しかないのでSPは最大が10。
縮地の消費SPは3と設定しているので3回までは抜け出せる。
狂ったように銃を乱射するがごとく、ファイアアローをとめどなく打ち続ける。
酸素を取り込むよりも、魔法草タバコの煙を取り込む方が多い。
タバコはいつまでも燃えていてはくれない。どこかで新しいタバコに火をつける必要がある。
しかしムーンビーはそんな隙さえ与えてはくれない。
徐々にシゲはムーンビーに追い立てられる。
後方に下がりながら、時折縮地を挟みつつムーンビーを攻撃し続ける。
足りない。全部が足りない。甘く見過ぎていた。
HP管理も、MP管理も、SP管理もすべてが足りない。
キャラレベル1の難しさを痛感する。
そしてついにシゲの打つ手は全てがなくなり、ムーンビーに囲まれるとあっさりと死んだ。
シゲの目の前には『クエスト失敗』の文字が表示され、意識を失い倒れ込む。
次に目覚めたのはホーム設定してある宿屋の簡素なベッドの上だった。
本日のスキル経験値獲得は1530。
ムーンビーを153匹までは倒せたのだ。スキルレベル1までの進捗率は1%にも満たない。
普通のスキルなら余裕でスキルレベルが上がっていてもおかしくない。
「クワ……これは厳しいよ。」
そうシゲは呟くと、宿を出てまた娼館地区へと向かう。
夜の時間しか受けられないクエストで、キャラレベルが1のままなのでデスペナルティも存在しない。
キャラレベルが10になるまではデスペナルティが存在しないのは運営による新規ユーザへの少しばかりの親切心。
じゃあキャラレベルを限界の9まであげて挑戦すればよいのではないかとも思うが、基礎魔法のみで且つソロでキャラレベルを9まであげるのも時間がもったいない。
せめて仕込み杖が完成すれば……。
嘆いていても仕方がない。
今できることを、出来うる限り全力で、絶え間なく続けるほかないのだ。
そしてシゲはまた、娼館地区の闇へと消えていくのだった。
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