004 ハナ編 ~願い~

「さて……と。まずは魔法屋かな。お使いクエストとかがあってそれなりに準備金が用意できるとよいのだけれども。」

 

 街の雰囲気を楽しみながらふらふらと歩く。このゲーム、ご親切なことにチュートリアルが存在しない。

 いきなり街中に放り出されて、さあ好きにしろと。何を選んでも、何をしてもよいぞという懐の深さなのか、ゲームとしての出来を確信しているかのような、開発者の自身が見え隠れする。

 

 そんな中、シゲにメッセージが飛んでくる。ゲーム開始に伴った、なんらかのシステム側からの連絡かと思ったが差出人はハナだった。

 

『ごめんなさい。最初の場所で待ってます。助けてほしいです。』

 

 メッセージにはそれだけが記載されていた。

 シゲは踵を返して、最初の場所へと戻る。ほんの5分も歩いた程度だ。すぐに戻れる。

 助けてほしいとはただ事ではない。メンバーの中でもハナの繊細さは随一だ。脳をオンラインにつないだ時に脳が環境に適応できずに嘔吐し続けるなどの場合もあると聞いている。

 

 現場に到着したシゲは、花壇に寂しそうに一人腰掛けるハナを見つける。

 ハナと目線を合わせるため、シゲはしゃがみこんでハナに問いかける。

 

「どうした?大丈夫か?」

 

 ハナはシゲに声をかけられるとうつむいて下を向いていた顔を上げ、少し困ったような顔で謝った。

 

「シゲ……ごめんね……」

 

「聞かれたくない話ならメッセージを使おう。隣、座っていいか?」

 

 シゲがそう問いかけると、ハナはこくりと頷いた。

 シゲはハナの隣に腰掛ける。

 目の前ではひっきりなしに新人が現れては、自分の体をまじまじとみつめ、手のひらを閉じたり開いたりして感覚を確かめる。

 そんな風に次々と現れては、意気揚々と街の中へと溶け込んでいく人々を何人か見送ったのち、ハナからメッセージが届く。

 

『ごめんね。私、ダメかもしれない』

 

『期間の話か?ソロでプレイやスキルを磨くのが厳しいのか?リアルの小説の仕事持ち込んでいるから時間が取れないとか?』

 

『ううん。そうじゃないの。仕事は……こっちでも続けるって出版社や編集さんとも約束しているから。それは大丈夫なんだけど。』

 

『何か問題があったのか?』

 

『ほら……私ってリアルでは足が不自由だったじゃない?』

 

『詳しくは聞いてないけど、車いすだったな。』

 

『すごく小さいころに交通事故にあったの。あの頃は車の自動運転なんてなくて、自動ブレーキなんてのもなかったから……』

 

『そのあたりの仕組みができたのはずいぶんと後だもんな。』

 

『相手の信号無視が原因だったのだけど……。脊髄をやってしまってね。下半身の感覚が一切ない生活を何十年も過ごしてきたの。』

 

『なるほどな。こっちに来て浮かない顔だったのはそういうことか。』

 

『自分が立っているのが信じられない。歩き方がわからない。気持ちはあるけど、前に行けない。』

 

『それは戸惑っただろうな……。」

 

『酷い話をするとね。トイレの仕方もわからないの。』

 

『こっちの世界ではトイレないぜ?』

 

『本当?』

 

『性欲、食欲、睡眠欲は実装されているけど、排せつ欲求は実装してなかったはずだぜ。一部の性癖要望があるからMODがあるのかな……』

 

『そう……なんだ……。ちょっと安心。』

 

『しゃごんで出せばおしまいだけどな。ってこんなこと言うとセクシャル通報案件か。』

 

『そう、それ。しゃがむじゃないの?しゃごむって何?』

 

『ただの北海道弁だよ。方言は抜けないもんだよ。』

 

『私は書くのは平気だけど、会話だと、沖縄イントネーションでちゃう。』

 

 そして二人は顔を見合わせて、にやりと笑う。

 ようやくハナが笑った。

 

『さて、俺はどのようにエスコートしたらよいですかね?お嬢様。』

 

 するとメッセージではなく、ハナは声に出してシゲに頼んだ。

 

「まずは……まずは、立ちたい。ちゃんと立ちたい。」

 

「ではお手をどうぞ、お嬢様。」

 

 そういってシゲは立ち上がりハナに向かって手を差し伸べる。

 ハナはゆっくりとシゲの手を握り、しっかりと握る。『立つ』それだけのこと。それだけのことなのだが今まで二本の足でバランスをとったことのない者にとっては至難の業である。まず重心をどこにおいてよいのかわからないのだ。

 

「まずは、浅く腰掛けよう。ちょっと身体触ってずらすぞ。」

 

「うん。大丈夫。」

 

 シゲはハナを抱きかかえるように腕を回すと、腰を支えて花壇に浅く腰掛けさせる。手以外の異性の身体に触れたためなのか、WARNINGの警告が表示される。

 ハナがその警告に対してパネル操作を行うと、シゲの目の前にあった警告表示は解除された。

 同意のない接触はハラスメント行為とみなされて即座に通報される。

 

「足をぎりぎりまで花壇に近づけて……そう。そして肩幅ぐらいに足幅を開いてしっかりと足裏に床の感触がある状態に。」

 

 ハナはシゲに言われたとおりにゆっくりと足を動かす。

 

「そのまま俺の首に腕を回して、そう。そしてゆっくりとかかとからつま先に向けて力を入れていくんだ。そして同時に、ひざを伸ばす感覚を……前に倒れこむようにでいいんだ。そう。ゆっくり。いいね。」

 

「ふふふっ、なんかアダルトビデオの男優さんみたいな話し方。」

 

 シゲの耳元でハナは囁くように、少し笑いながら答える。

 

「茶化すなよ。こっちは至極まじめにやってるんだぞ。」

 

 そういってシゲは苦笑いをしながら、ハナの腰を支えて上半身を持ち上げる。

 ゆっくりと、確実に、ハナは両足に体重を乗せ、ひざを伸ばしながら腰を上げていく。

 ハナは立ち上がりはしたが、自分で自分の体重を両足で支えているのではなく、まだまだシゲに寄りかかってしまっている。

 

「ハナ、俺が思うにポイントは腰と膝だ。膝はまっすぐ伸ばすのではなく、少し曲げたくらいでいい。そして腰は逆にまっすぐに伸ばす。」

 

 ハナは言われたとおりに少し膝を曲げて、腰を徐々に立てていく。

 しっかりと腰が入った状態になると、ようやくシゲに預けていた荷重が自分の両足にしっかりとのる。

 

「これが……立つ……」

 

「そう。小さな子供の場合は、筋肉がまだ未発達だからつかまり立ちとかから始めるのだろうけど、この世界ではもう感覚だけだ。最低限の立つだけの筋肉はあることになってる。だから歩くのも感覚だけつかめればできるはずだよ。」

 

「立つ……。歩く……。」

 

「まずはゆっくりだ。ガンダムも、エヴァもまずは立って歩くことからだった。」

 

 ハナは小さく右足を前に出す。続いて左足をすり足で前に出す。

 

「そう、最初は足上げて前に出なくていい。すり足で十分。」

 

 確実に。一歩を。それが新しいハナの人生の始まり。

 シゲの腕をこれでもかというくらい強く握り、額に大粒の汗をかきながらすり足で一歩、また一歩と踏み出す。

 シゲはシゲで、汗が出るのかとか、案外強く腕を握られてもダメージ判定にはならないものだなとか、本当にどうでもいいことを考えていた。

 本当に数メートル進んだだけだったが、ハナは確実に順応しつつあった。

 

「次は立つ、そのままの姿勢を維持。俺の腕は掴まないで立つだけ。」

 

 ハナはこくりと頷くと、ガッチガチに掴んでいた両手の力を少しずつ抜いていく。

 シゲも一歩後ろに下がり、ハナの手が二の腕を掴んでいたのに、前腕、そして手のひらと掴む場所を変えていく。

 さらにもう一歩シゲが下がると、名残惜しそうに繋いでいた指が離れ、ハナは完全に一人で立った状態となる。

 

 この世界に来た時とはまるで違う。顔面蒼白のハナではなく、奥歯を噛み締めて必死に立つ事をキープしている。

 そしてそのまま五秒、十秒、三十秒、一分と時間が経過する。

 ハナはふうと息を吐くと両足を踏みしめてぴょんとシゲはと抱き着く。

 シゲは突然のことと驚きながらも、そのままハナを受け止める。

 

 ハナはシゲの胸に顔を押し当てぐしぐしと左右に振って顔を擦り付けると

 顔をあげ、シゲに満面の笑顔を見せる。

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