野獣の王・4

「少しでいいんだ、瓶の中身それの半分を口に流してやってほしい…!」

「わかった」


冒険者でもあり薬師でもあるガインは、フェンリルの指示に従ってガラスの小瓶に入った虹色の液体をミヤの口元に少しずつ、数滴ずつ確実に流しこんでいった。


「一気に流せば器官に入ってむせちまう。だから少しずつだ」

「あぁっ、ありがとうっ…! 本当にっ!」


フェンリルはガインの腕に抱かれた真っ白い顔のミヤを見つめ、未だ止める事の出来ない涙をぼたぼたと零しながら見つめていた。

ミヤの真っ青な唇は最早、呼吸が止まってしまっているようで、神界で見たミヤの面影がどんどん遠くなる気がした。


「ミヤ…、ミヤ…」


目を覚ましておくれ、目を開けておくれと、フェンリルは優しくミヤに呼びかけ続けた。

一方、ガインは、フェンリルの指示通り、エリクサーの液体を瓶の半分ほどミヤの口に流し、「薬はこの位で大丈夫か?」とフェンリルの目の前に残りの液体を持ち上げて見せた。


「あぁ! あぁっ! それで大丈夫だ…! 本当にありがとう、心優しい人の子よ」

「あ、あぁ、いや、いいんだ、これくらい。それより…この子はどうしたんだ?」


ガインはミヤを抱き上げた瞬間から、その異常なほどに高い体温に驚いていた。

それに、頭髪が一本も生えていない。その頭髪と思わしき物はミヤが倒れていたところに散らばっている様子だった。


「何かの呪いにでもかかったのか? 髪がこんなになるなんて…。それにこの顔の痣はなんだ…?」


一見すると、呪いにかかっているようにしか見えなかった。

これはすぐにでも、治癒院か教会にでも運ばないとならないだろうが、この時間、街の門は固く閉じられてしまっている。

治癒院に行けるのは早くても明日の朝になってしまうだろう。


「それは呪いではないんだ。その子のそれは『魔力過多症』が原因なんだ」

「魔力過多症だと…? これが……?」


薬師であるガインでも魔力過多症を患う人間を実際に見たのはミヤが初めてだった。

それくらい滅多にない病気なのだ。


薬師ギルドには時折、魔力過多症を発症した者から緊急依頼で病症を抑えるための調薬の依頼が張り出されるが、それだって本当に滅多にないのだ。


「魔力過多症ってのは、こんなに酷いもんなのか…?」


ガインの記憶の中にある依頼書には、どれも軽度の症状に対する薬を求める物だけだった気がしたからだ。

頭痛や腹痛を抑える痛み止め、熱を冷ます解熱剤、指先の痺れを治す鎮痺薬ちんひやく

するとフェンリルはガインの質問にゆるく首を振り、


「いいや、その子は重度の魔力過多症なんだ……。何もしなければ呼吸も上手くできないし、手足も麻痺で動かせないそうだ」

「……マジかよ…」


嘘だろ…と、ガインは腕の中のミヤの様子を注視し、慌ててその口元に手のひらを当てた。

その様子を、フェンリルは静かに見守る。


「はぁ……、大丈夫だ、呼吸はしてる」

「あぁぁっ! 良かったっ…!」

「熱は…、熱も下がってるな……。さっきまであんなに熱かったのに…」

「心臓と魔心は動いているかい?」

「おし、ちょっと待ってろ」


ガインは一度ミヤをその場に降ろし、置いたまま放置していた自身の荷物のもとに戻った。

ゴソゴソと、荷物の中からなにかを探り当てると、銀色の道具を手にして戻ってきた。


「こいつは治療院なんかにある心臓と魔心の鼓動を測る魔道具だ」

「あぁ、私も見たことがあるよ」

「……そうか」


見たことあるって、何処でこんなもん見るんだよ…と、ガインは引っかかる物を大いに感じたが、今はミヤという子どもの事を先に確認すべきかと、フェンリルの言葉は聞かなかった事にしておいた。


ガインが手にした魔道具は、片手に収まるほどの大きさで、形はハーモニカのような印象だ。銀色の表面には赤と黄色の横線が左右に別れて引かれており、それをミヤの胸のあたりにくっつけると、赤と黄色の線がトクン、トクンという鼓動のリズムで波打った。

地球でいうところの心電図モニターの超簡易版のような感じだ。


「どっちも大丈夫そうだ。一般的な幼児と同じくらいだと思うが、歳はいくつだ?」

「3歳だ」

「ならこのくらいの速さだ。大人に比べると少し速いが問題ない」


フェンリルはその場に座り天を仰ぐと、リューエデュン神様…! と呟き、静かに祈りを捧げた。

金色の瞳を閉じ、顎先を上げて胸を逸らすように伸び上がるその姿に、ガインは目を見開いて息を飲んだ。


(こいつは野獣や魔獣なんかじゃねぇ…。もっと、やべぇ何かだ……)


その獣は淡く、微かに、光っているのだ。


青白い毛並みが星の灯りを反射させているのかとも思ったが、光の発生源は間違いなく、目の前の大きな獣だった。

そして風が吹く度に何度も確認したのが、目の前の獣らしきものからは、獣独特のニオイが全くしないのだ。


獣なら必ずまとっている土や草、食べたものの血肉や排便した物のニオイ。

ガインらのような冒険者は、そういった獣のニオイを敏感に感じて辺りを警戒するのが癖になっている。


だと言うのに、そういった物が全くしない。


そういった野生臭さよりも、もっとずっと高貴で、潔癖な、


そんな生き物がガインの方へ頭を降ろし、おもむろに口を開く。


「ガイン、世話になった」

「!?」


俺は、名前を名乗っただろうか?

……いつ名乗った?


いや、ガインは名乗っていない。言葉を解せる獣相手に自己紹介でもするべきかと、タイミングを見計らっていたのだから。


「……なぜ、俺の名前を知ってるんだ?」

「すまない。敵ではないと感じてはいたが、『鑑定』をさせてもらった」

「か、鑑定のスキル持ちなのかっ!?」


獣がっ!? とあまりの驚きにガインは開いた口が塞がらなかった。


スキルとは、『神の加護』の下に出現する能力だ。この場合の神とは『リューエデュン神』の事を言い、リューエデュン世界に生きる生き物達の中で、稀に発現する。


ガインは獣に加護があるのかと驚いているが、むしろ野獣たちの方が人族よりも多くリューエデュン神の加護を持っている事を彼は知らない。


あの自称女神を名乗る異世界人が人族の中からリューエデュン神への信仰を排除するように動いているが、この世界からリューエデュン神への信仰を完全に消すことはおそらく出来ない。


この世界の野獣たち、鳥獣ちょうじゅう海獣かいじゅうが過去これまでも、そしてこの先の未来でも、リューエデュン神を信仰し続けるからだ。


ドラゴン達が古龍神への信仰を失わないのと同じように、野・鳥・海獣をこの世に作ったリューエデュン神を獣たちは忘れることはないのだ。


だから人族よりも、獣たちの方が加護を得やすくなっている。



「ガインも『観察』『身体強化』『錬金術』のスキルを持っているだろう」

「あぁ、まぁ、…うん。持ってる……」


なら私と同じだろう? と言うフェンリルにガインは微妙な気持ちになる。


(本当に全部見られちまってるんだな……)


鑑定のスキル持ちなんて、それこそ滅多にお目にかかれる相手ではないのだ。

鑑定の下位スキルである『観察』でさえも相当珍しいスキルなのだが…。


観察は、その言葉の通り物や人、あらゆる物を観察し、『表面上の情報を得る』スキルだ。

例えば薬師であるガインなら、薬草や花を観察のスキルで視て、葉脈の模様に間違いはないか、花弁の数や色に間違いがないかと、自分の記憶の中の薬草と相違ないかを視るのだ。


しかし鑑定は、見るものの本質を視てしまう。

すべての情報が文字となって見えてしまうのだ。

薬草を鑑定で視たなら、薬草の名前、効能はもちろん見えるし、人間を見ればその人の個人情報全てが見えてしまう。


ちなみに、鑑定の上位スキルには『心眼』というスキルもある。このスキルは物事の本質を『見抜く』事ができる。偽造された情報でも隠された物の中の真実を見せてくれる。


だが、このスキルを持っているのは今のところ創造神たちくらいだ。

地上では、『鑑定』のスキルが最上位と言える。


(それを目の前の獣が持ってるのかぁ……。マジでなんなんだコイツ…)


人の言葉を話す時点でただの獣ではないと感じていたが。


(悪い物じゃないとは思うが……俺の手には余る相手だな……)


スキルの事もあるが、ここまでに走って来た道のりを思い返しても、戦わずともフェンリルとガインの力の差は歴然だった。

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