野獣の王・5

ミヤ…、ミヤ…?


『ミヤ』と呼ぶ声に、その名前が自分の事だと気付いた時、ミヤは長いまつ毛をふるりと震わせて金色の瞳を開いた。


「ミヤ…!」

「……? ふぇーりぅしゃま?」


開いた視界に広がる赤紫色の空を背景に、青白い毛が印象的な大きな狼、フェンリルがミヤの視界を埋めた。


「あれぇ? なんぇふぇーりぅしゃまがここに? もしかして、また死んじゃった?」


意識が戻り、頭が覚醒するにつれてミヤの思考もクリアになってきた。


「大丈夫だよ、ミヤはちゃんと生きているよ。一時的に危なかったけれどね」

「…わたし、生きてう…? ……よかったぁ…」


ミヤが目を覚ましたのは、ガインがミヤに薬を飲ませてから数時間後の事だった。

空には日が登り始め、炎天星えんてんぼしが星空に朝の光りを伸ばし始めた頃だった。


「ミヤ、起き上がれるかい?」

「あ、あい」


フェンリルに言われ、ミヤはその場に上半身を起こしてみせた。


「かあだ(身体)、動く…!」


此処に来たばかりの時は、一瞬で呼吸が苦しくなり、血圧の急低下を感じてその場に座り込んだ後にはまったく動けなくなってしまっていた。

呼吸をするも、肺がまったく広がらない感覚を感じ、浅い呼吸を繰り返すばかりでチアノーゼを引き起こしていた。

次第に手足の感覚がなくなり、あっという間に気を失っていた。


「ミヤ、スキルの使い方は分かるかい?」

「あ! しゅきる、分からなかったれす…」

「すまなかったね。ちゃんと教える時間がなかったから、ミヤに苦しい思いをさせてしまった…。それに……」

「??」


フェンリルは、目覚めたミヤの姿を見て、彼女の見目が神界に居た頃とは大きく変わってしまっている事実を、どう伝えるべきかと悩んだ。


髪はすべて抜け落ち、ミヤの顔面、右側の額から右目、右頬にかけて大きな青紫色の痣ができてしまっている…。



「おいおいおいおい、目ぇ覚めたのか…!」

「ぅえ?」



声の主はガインだ。

簡単に朝飯でも作るかと言って、薪になる枝や枯れ草を集めて帰ってきたところだ。


銀髪と白髪が混ざったシルバーホワイトの髪を短く刈り込み、頭頂部のあたりだけ長めの髪を残したソフトモヒカンのような髪型をした、ワイルド系イケオジの突然の登場にミヤは驚いた。

目の色は甘いキャラメルのような優しい色で、その色と浮かべた笑みが厳つい印象を和らげてくれている気がする。


(おぉ…! デイルカーンさんたちインテリ系イケオジと真逆のワイルド系…!)


この世界のオジサマたちってみんなイケオジなの!? とミヤが思うほど、ミヤが出会った男性陣はみんな整った顔をしていて少し困った。


ミヤは見目のいいオジサマが大好物なのだ。


好物と言っても、恋愛的、肉体的、物理的にどうこうしたいという好物ではなく、見て楽しむのが大好きという意味だ。



イケオジは見ているだけで癒やされる。

そういう趣味なのだ。



なので、この世界のオジサマがみんなイケオジ揃いなんて事であれば、ミヤの心臓はまったくちそうにない。


「ミヤ、彼はガインだよ。ミヤが危ないところを助けてくれたんだ」

「えっ!?」

「おう、気がついて良かったな」


ニッと、白い歯を見せて笑うその笑顔にもミヤはノックアウト寸前だ。

目尻に皺を寄せて笑う顔は、厳つさの中に可愛らしさが生まれてミヤのイケオジ好きのツボを的確に攻めてくる。


ついつい「うっ」と心臓を抑えてうずくまってしまった。


そんな事をすればフェンリルとガインは大慌てだ。


「ミヤッ!? どこか痛むのかい!? 胸!? 心臓が痛いのかいっ!? それとも肺っ!?」

「俺の持ってる薬で良ければ出すぞっ!!」


そんな事を叫びながらミヤに駆け寄ってくる二人に、ミヤは「ひぇぇぇ」と情けない声を上げて涙目だった。

地球のノリで感情を表現するのは今後辞めた方が良さそうだと思ったミヤだった。



そんな騒がしい目覚めを迎えた3人だったが、ガインは何か食べた方がいいと言って薄味の野菜のスープと、硬いパンをミヤに与えると、街に戻る準備を始めた。


「街に戻って薬師ギルドに薬草を納品せんといかん。後は魔獣の引き取りもしてもらいたいんだ」


そう言ってあっという間に広げた荷物を片付け、準備を整えてしまうガインに対して、食事のことはもちろん、助けてもらったお礼さえもまだ言ってない事を思い出し、慌てて声をかけた。


「あ、あにょ! ミヤと言いましゅ。

 こにょたびは、ごめーわくをおかけしてしまい、もーしわけありましぇんでした。

 たしゅけていただき、あいあとぉごじゃいました」

「おいおいおいおい…、どっかの国のお姫様か?」

「へ?」

「その辺の貴族だってそんな丁寧な挨拶しねーぞ?」

「えっ!?」


わたし何か失敗した!? と慌ててフェンリルを見上げれば、フェンリルは「ふふっ」と笑ってミヤを見ていた。


「姫でも貴族でもないが、遠い国からこちらに来たのは確かだよ」

「しょ、しょみんでしゅ!(庶民です!)」

「しょみん…? なんだそりゃ? 何処の国の言葉だ?」

「えっ!?」


庶民って通じないの!?


「この子は平民の出だよ。今はどこの国にも属していないから、流民の扱いだ」


ミヤの失態を隠すように、フェンリルが落ち着いてフォローしてくれている。

ミヤはこれ以上口を開くのは辞めておこうと、空気を読んで口を閉じた。喋れば自分は異世界人だとボロが出そうだった。


「……まぁ、何かしら理由があるんだろうが、何も聞かない方がお互いのためになりそうだ」

「あぁ、できれば何も聞かないでいてほしい。ミヤの事も私の事も誰にも言わないでいてくれると助かる」

「おう、別に誰に言うつもりもねーよ。それがお互いのためだろうしな」


言えば、危険な目に合うだろうと、ガインの中で警鐘が鳴っているのだ。



「あー…、けど」


(けど? なんだ? 俺は何を言おうとしたんだ…?)



考えるより先に、言葉が出てしまった感じだった。


どうしたんだ? と言う雰囲気でフェンリルとミヤは同じ方向に首を傾げて話の続きを待っていた。



「あー、その、明日の朝にはまた採取のためにこの森に入る予定だが、あんたらはどうするんだ? まだ此処にいるのか?」



そんな予定はなかった。

街に戻ったらしばらくは家に籠もって薬作りと研究に時間を費やすつもりだった。


どうしてそんな事を言ってしまったのか。

ガイン自身も分からなかった。


ただ、ミヤの事が気がかりだったのは間違いなかった。


「明日もまだ此処に居るなら、街で必要な物を買ってきたやれるぞ?」


(めっっっっっっちゃ、いい人ぉ~~~~~!!!!)


ミヤの中で、ガインの株が上がっていく。


(見た目だけじゃなく中身までイケメンかよっ!)


背が高いので、ミヤは見上げるようにガインの顔を見ているのだが、朝日が昇りその光を背後から浴び始めたガインのシルバーグレーの髪は後光が差しているかのようにキラキラ輝いている。

その姿にまた心臓を抑えて倒れ込みそうになったが、既のところで堪えた。


「いいのかい? 君には世話になってばかりでーー」

「構わんさ。元々、森に戻る予定だったんだ。買い出しくらい大した事じゃない」


どうという事はないと肩を上げる仕草にさえ、グッと来ているミヤ。

リューエデュン世界のイケオジ最高かよと、叫びそうになるのを堪えている。


「そういえば、冒険者だと言っていたね?」

「あぁ、そうだ。本業は薬師だがな」

「そうか。なら、私が持っている野獣の素材を売って金に替えてもらえるかい? ガインへの謝礼分も出すよ」

「…あんたがそうしたいって言うなら俺は構わんが、何を持ってるんだ?」

「色々あるから好きな物を持っていくといい」


と言って、フェンリルはアイテムボックスから金になりそうな野獣を次々と出した。


その光景にミヤもガインも開いた口が塞がらなかった。



「キーンホーンブル(牛)、ハングリーキングボア(猪)、コカトリス(鳥)、ブルークアトル(蛇)、エンパイアクアトル(蛇)、あぁ、これらの亜種や変異種もあるね。あと、ヒュドラにドラゴンも何種類かある。あとはーー」

「おいおいおい! 待て待て、待てっ!」

「どれか欲しい物があったかい?」

「~~~~~~違う…っ!」


ガインは自分の目の前に積み上げられていく巨大な野獣たちの小山越しに、眉間を揉みながらフェンリルを止める。


「あ~~~~~~…悪いが、こいつらは受け取れねぇ」

「どうしてだい? 人間の間ではどれも人気の高い、高級な肉になるだろ? 素材だってどれも高値で取り引きされていたはずだが……」


ガインは口の端をヒクヒクと引きつらせながら、言う。


「こんなの持ち込んだらギルドから根掘り葉掘り聞かれちまう。何処で狩ったんだ、この野獣の森に居るのか、ひとりでやったのか、誰が一緒だったんだ……ほかにもまぁ、色々聞かれるだろうな」

「……そうなのかい?」

「あんたが出したのはどれもこの辺じゃ見ない野獣だ。この辺りで狩れるのは、下級のホーンブルとかビッグボアだとかがせいぜいだ。コカトリスは居ないわけじゃねぇが、もっとずっと森の奥の方で、人間の前には滅多に出てこねぇ。それにクアトル種なんてのはドラゴン・ウォールにしか居ねぇよ……」


(クアトルなんてのはドラゴンの近くで天敵のイタチどもを避けて生きる珍しい蛇どもだぞ…。下手したらギルドの職員でも見たこともねぇ奴だって居るかもしれんのに……。それの変種や亜種、ヒュドラにドラゴンまで持ってるって本当に何なんだこいつは…)


そんな物を小さな街のギルドに持ち込んだりしたら、大騒ぎだと、ガインは頭痛を感じてこめかみを揉み扱く。


「あーーーー、あとあれだ。あんたサラッと出してるがアイテムボックス持ちか?」

「あぁ、そうだよ?」

「悪いが、俺は獣が3体ほどしか入らんマジックバックだけだ。それも今は魔獣でいっぱいだから、受け取れるとしても2体か3体がせいぜいだな」

「身体強化を使えばキーンホーンブル5体くらい持って帰れるだろう?」

「……そうだがよぉ…」


チラリと、目の前に転がっている鋭利な角を持った牛型の野獣の大きさを確認する。

地球の牛とは比べ物にならないほど巨大で筋肉質な茶色の牛だ。おおよそコンパクトカー並の巨体だ。


(たしかに頑張れば5体くらいかつげそうだが……)


なんで、俺の身体強化の最高値まで分かるんだよとは言わないでおいた。

それに朝っぱらから本気を出すほど頑張りたくないとも思う。


もう、目の前の白い獣が正直怖い。

シャレでも酔狂でもなく、素で滅多にお目にかかれない貴重な野獣をポンポン出してくる。

それがガインは怖かった。


(それにこんな危険な野獣共の変異種、亜種ってなんだよ……やりやったら普通に死ぬぞ…)


変異種、亜種とはその名の通り突然変異で、通常とは異なった進化をしている獣の事だ。変異種、亜種となると通常個体よりも圧倒的に力が強く、独自の魔法やスキルを持っている個体さえ居る。


そんな危険な野獣たちと遣り合っている目の前の白い獣に、ガインは敵うはずがないと、心の中で少ししょぼくれた。


「それと、マジックバックならたくさんあるよ」

「………………………はっ?」


たくさん? たくさんと言ったか、この獣。と、声に出さなかった自分を褒めたいガイン。


(マジックバックはたくさんあるようなもんじゃねぇんだよ……)


そう心で愚痴りながら、一段と強くなった気がする頭痛を堪えるようにガインはその場にしゃがみ込んでしまった。


フェンリルは言葉の通り、自身のアイテムボックスからマジックバックと呼ばれる古代アイテムアーティファクトをぽんぽん取り出しているからだ。


「ガイン、これを君に譲るよ」

「………はっ!?」

「時間経過がないし、ドラゴン一体分くらいは入るよ」

「いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや……」


口癖の「いやいやいや」を連発するガイン。


「ちょっと待てっ!! お前さん本当になんなんだよっ!? アーティファクトをぽんぽん、ぽんぽん出しやがってっ!!」


正直、もう我慢の限界だった。

この白い獣がなんなのか、何者なのか気になって仕方なかった。


人の言葉をつらつら話し(しかも穏やかで丁寧)、明らかに普通の野獣や魔獣とは異なる種族の獣。


そんな奴が何処から来てどうしてこんな森の中に居るのか。


「せめてお前さんの種族がなんなのかくらい教えやがれ!」

「あぁ、すまない、自己紹介がまだだったね」


フェンリルはそんなガインの心境などまったく分かっていない様子で、にこやかに挨拶をした。


「私はフェンリル種のフェンリルだ。

 ウルフ種の祖とも呼ぶ者も居たが、彼らとは異なる種族だよ。

 獣たちからは『野獣の王』と呼ばれている」


と、改めて自己紹介をしたフェンリルにガインはしゃがみ込んだまま、ポカンとした表情のまま、しばらく動けなくなってしまった。


「は……………………?」


と、彼が声を出したのは、それからたっぷり数分が過ぎてからだ。

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