デイルカーンと魔王・3:side デイルカーン

私は夢を見ていたのかもしれない。


目覚めた瞬間こそ、そう考えてしまったが……。私の様子を魔心の影からそっと伺うように見ている魔王の首の存在に、夢ではなかったのかと頭を抱えた。


数日前から体調が優れなかった。いや、それよりももっと以前、魔王を始めて見たあの日から、私の体調はずっと優れなかった。


肉を見てもワインを見ても胃液が込み上げ、もう随分と長いことまともな食事が出来ていない。

ベッドで休んでも悪夢にうなされ、最後にゆっくりと休めた日はいつだったかも思い出せない。


すべて、すべてあの魔王のせいだった。

血肉の腐ったような悪臭のこもる部屋に案内され、そこで見たのが酷く醜い肉の塊と生首。

そのあまりに凄惨な光景と悪臭に、思わず女神様の前で嘔吐してしまう失態…。


その光景が頭から離れず、私はずっと悪夢に苦しめられ続け、魔法陣を描く重要な職務からも外され、13番目の使徒の座からも脱落してしまった…。


悔しさよりも情けなさの方が大きかった。

誰よりも尊い女神様から、使徒の座を降りろと、お前は役に立たない者だと烙印を押されてしまった。


だがそれでも、お優しい女神様は私を見捨てる事などせず、魔王の監視役として私を使ってくださった。


監視は重要な職務だ。

女神様と使徒以外の教徒たちに魔王の存在が気付かれぬよう、私の持つ魔法知識を幾重にも施し厳重に見張らせていただいている。

私がこの要職についている限り、魔王の存在が外部に漏れないよう徹底的に監視を続けるつもりだった。


それだと言うのに…。なんと情けない事か…。

数日前から本格的に体調を崩し、いよいよ掃除の最中に倒れてしまったようだ。


幸いにも、意識を飛ばしてしまうほどではなかったが、胸のむかつき、腹の痛み、頭痛と目眩に起き上がる気力がまったく沸かなくなってしまった。

自分が魔王の血の中に倒れ込んでしまっている事は気付いていた。

人間の血液とは違い、ひどく粘土の高い魔王の血は赤黒く重く、そして酷い匂いを放っていた。

この悪臭も倒れてしまった理由の一つだろう。だいぶ慣れてしまったと思っていたが、悪臭を意識してしまったらまた酷い吐き気が込み上げてくる。


そんな血の中に倒れ込んでしまい、いよいよ動けなくなった私に気付いたのか、魔王が大声で叫んでいた。


(うるさい、静かにしろ)


ただただ、そう思った。


魔王はいつも私に話しかけてくる。何を言っているのかは分からない。種族が違うためか言葉が解せない。

もしかしたら「おはよう」や「お疲れ様」などと言った挨拶をしているのだろうかと、考えた事もあった。


しかしそれは無いだろう。相手は魔王だ。

古代から残る伝記には恐ろしい魔力と怪力の持ち主で、一夜でいくつもの国を島ごと沈めたと記されている。

私は魔王は嘘のような伝説的な存在だと思っていたが、確かに存在していたのだと女神様はおっしゃった。


だと私達に教えてくださった。


そんな『破滅の王』が人族に挨拶などするはずはないだろう。


そんな事をつらつらと考えていたら、いつの間にか魔王が大人しくなっていた。

寝たのだろうか。


監視を続けてしばらく経つが、魔王が睡眠をしているところを見たことはない。睡眠だけでなく食事をしているところも見たことがないが、栄養は常に与えているそうだと使徒の4人が話していたのを聞いた。

なんでも、魔王の頭頂部から繋がっているあの器具が魔道具で、魔王の脳に直接栄養を接種させていると言っていた。


脳に直接栄養を与えると言う意味や仕組みが私には理解出来なかったが、そういう物なのだと考える事は早々に辞めてしまった。知ってしまえば、おぞましい何かを知る事になる気がしたからだ。


ふと、何かが私の身体に触れた感覚がした。


(何かが…、私の身体を持ち上げている…!?)


ぞわり…と、背筋に悪寒が走り身体が硬直した。

冷たくベタついた床の感触から遠ざかる感覚と、得体の知れない何かがうごうごと私の身体の下で蠢いているのを感じた。


人の腕の感触ではない!


何が起きているのか、この目で見て確かめなければ…。

そうは思うが、恐ろしい何かが私の身体の下で蠢いている感覚に恐ろしくて目を開ける事が出来なかった…。


息が苦しい。恐怖で呼吸が上手く出来ない。


あぁ…、もう…、

いっそのこと、死んで楽になってしまいたい……。


そんな考えが頭の中を駆け巡っていた最中、魔王の血で汚れているであろう私の顔を、何かが優しく撫でていた。

随分と丁寧なその動きに、これは顔について血を拭おうとしているのだと気付いてしまった。


そんな事を、一体誰が?


……そして、この部屋に、魔王と私以外の気配はない事に気付いて愕然とした。


この感触は、魔王なんだと気付いてしまった。


そして私がその事実に息を飲んだ瞬間、身体を覆っていた不快な血の感触と悪臭がキレイさっぱりなくなってしまった。


『クリーン』の魔法の気配を残して。

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